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甘夏

実家から甘夏を沢山貰ったけれど、2週間程ほったらかしにしていた。家族が多いので、この類いの柑橘系は一回に3.4個皮を剥かないと間に合わない。自分の口に入る間もない。理不尽だ、、、
そんな理由で、沢山の甘夏をずーっとほったらかしていた

私は毎朝大抵3時に起きてて、黙想したり、youtbでカトリック司祭の講話を聞いたりしながら、趣味の手仕事をする。(プロテスタントに所属しているがカトリック好き)
昨日の朝は黙想の後、家族が起床するまでの時間は家族が喜ぶ事を丁寧にするよう主に促された。
呼吸に合わせて
「主よ」「私はここにいます」というフレーズを心の中で繰り返しながら、まず朝食用のパン作りをした。長女のお弁当も作り、まだ時間あるなぁ
と思っていたら甘夏が目に入った。
これですか、、神様。皮を剥くのは大変だし退屈で理不尽なんですけど、
と思ったけれど大変で退屈な中にキリストをみる訓練なんだろうなぁ
とも思った。

甘夏5つの皮を剥く中で
たかが甘夏の皮むきなのに、主に促されるとか、主の思いをみるとか誰も気づかないし、どうでもいいことなんだけども、何とも言えない穏やかな気持ちがあった。主と親密に過ごしている、と。

朝食に甘夏を出したら子供達は、酸っぱい!と言ってあまり食べなかったから私は甘夏を沢山食べた。
手作りパンは当たり前のように食べていたし、長女は寝坊して学校を休んだのでお弁当は家で食べていた。

自分が思っていた反応ではなかったけれど、理不尽だとか腹が立つこともなかった。主と共に家族を想いつつ作った豊かな時間が嬉しかったし、こういうごちゃごちゃの中にもキリストがいてくださる、というのは何とも楽しい。
もちろん生活の全てにおいて、主を意識している事は出来ないけれど、ほんの少したかが甘夏の皮むきに主を意識し物事を取り組んだら、こんな豊かな思いを頂けるのだから、普段自分は神の恵みの多くをどれだけ見過ごしていることかと思う。

緊急事態宣言が発令されようとしている。自宅で過ごす時間がまた増える。大変で退屈で同じような毎日になるけれど。神の恵みは散りばめられていて、こんなところ?!と思う時、場所にキリストを見られたらと願う。

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