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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2021年9月の記事一覧

慎みが第一なり

慎みが第一なり

信心して徳を積み、神様より徳を受けたる人は、慎みが第一なり。

 金光教教典
 402頁
 吉本吉兵衛の伝え
 1

おはようございます。

たまたま、あるお寺様の掲示板をフェイスブックで見ました。
そこに次のようにありました。

よいことをしようと思えば出来る
悪いことをすまいと思えばやめられる
これを思い上がりという

「うん」「うんうん」と思って読み進めて、三項目で「おお!」とひっくりかえ

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取次の人を敬わん人ほど損をしておる

取次の人を敬わん人ほど損をしておる

とかく、遠方の人ほど広大のおかげを受けられるような。神様のところでは違いはないが、取次の人を敬わん人ほど損をしておるようなわい。

 金光教教典
 401頁
 山本定次郎の伝え
 69

おはようございます。

近くの人は、取次の人の生活や人となりが分かってきて、なかなか敬う心になれないが、遠くの人は、そういうことが分からず純粋に敬いの心になるからおかげを受けやすいということを、この御教えは言って

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人を敬うてわが身に徳を受ける

人を敬うてわが身に徳を受ける

願いの取次をする人は、もと、百姓でも何職をする人でも、「お先生」と敬いのある人ほど早くおかげを受けられる。人を敬うてわが身に徳を受けるとは、このことである。

敬いの少ない人は、せっかく神様のおかげを受けるに、入れ物を改めておらんということになる。銭金もいらん。心を改めて、早くおかげを受ける考えは、みやすいことでありますなあ。

 金光教教典
 401頁
 山本定次郎の伝え
 69

おはようござ

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手厚い信心の氏子の手続きで願うてもらえば、早くおかげを受けられる

手厚い信心の氏子の手続きで願うてもらえば、早くおかげを受けられる

この広前へたびたび参詣して此方の話を聞き、信心する人の中には、天地金乃神、金光大神と、思うことを願えば、直々に聞いてもらうようになっておる人がだんだんある。

神様へ近しいようになるのも、お上の役人へ近しいようになるのも同じことである。村役場、その上々の役所、役人と懇意の人は、万事の事柄がよく知れておるから願い事も早く聞きずみになるようなもので、

神様のことは、この広前の手続きで拝んでおる所や、

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子孫が安心に日を暮らすようになる

子孫が安心に日を暮らすようになる

この金光大神の話を聞いて信心する人は、子孫が安心に日を暮らすようになる。

子供に安心のことを伝えるは、真の信心であるぞ。

 金光教教典
 401頁
 山本定次郎の伝え
 68

おはようございます。

親様・ご先祖様は、今、このコロナの中に生きるわたし達をご覧になって心配しておられることと思います。

でもわたしは、伝えてくださった信心を大切にして、自分の中で育てながら、そして信心に育てられな

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十人十色じゃ

十人十色じゃ

参って来た人が、自分の好きなようにいろいろして拝む人がありましょうが。
手を合わせていさむ人もあり、手をこする人もある。大きな声で拝む人もあり、泣くように言うて、かがんで拝む人もある。

真に十人十色じゃ。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 67

おはようございます。

わたしが教えていただいたのは、一礼→四拍手→一礼→心中で祈る→一礼→四拍手→一礼です。神前拝詞など唱える時は、

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おかげを受ける気で

おかげを受ける気で

十人十色というて、さいさい参っても、自分の思うことを頼み、帰ることを急ぐ人は、身信心(勝手な信心)で、此方の話すことは何もわからん。お前はゆっくりとして、おかげを受ける気でおられるから結構である。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 67

おはようございます。

おかげを頂く気持ちになって、聞けるだけの話は聞こう、できる限りの御用はさせてもらおうと思っている人は、おかげを頂きます。

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さいさい参りただけのご神徳はいただかれる

さいさい参りただけのご神徳はいただかれる

此方には、参って来なさいとは申さんが、さいさい参りた人は、さいさい参りただけのご神徳はいただかれるであろう。たとえば、昔は師匠様、今は学校という所へ長らく行きた人は、何か知りておることが多い。この神様へさいさい参って来る人は、金光大神の話を聞き覚えても、何か知れるであろう。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 67

おはようございます。

神徳とは、「この者にはぜひおかげを授けてや

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一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝える

一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝える

この広前へ参りてお願いし、全快してお礼参りをすれば、それで大願成就とする人もあるが、この神様のおかげで全快すれば、此方の話を聞いたことを他の難儀な者に伝え、一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝えるのが、神様へのお礼になるのである。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 67

おはようございます。

真のお礼とは、神様のありがたいこと、ご信心のありがたいことを人に伝えて、真の信心

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一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになる

一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになる

百姓の人は、一粒の種から積もれば何石というようになるのも知っておられるが、一人がおかげを受けたので千人万人もおかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心するがよろしいなあ。

 金光教教典
 400頁
 山本定次郎の伝え
 66

おはようございます。

自分が真の信心を進めて自分がまず真のおかげを頂く、ということが大切です。「真の信心 真のおかげ」です。
当教会ではそのことを初代のご信

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ご分霊が分限を定められる

ご分霊が分限を定められる

人間が食い飲みする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。体に相当するのである。

それを、もう一杯、また一杯と、我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様へ対しご無礼ではないか。

また、食い過ぎ飲み過ぎして、嘔吐をする者もあるが、これも悪い考えである。

 金光教教典
 399頁
 山本定次郎の伝え
 65

おはようございます。

食事をし

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人が人を助けるのが人間である

人が人を助けるのが人間である

人が人を助けるのが人間である。

人間は、子供がこけておるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちておるのを見て、すぐに引き上げてやられる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。

牛馬その他の獣は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできん。人間が見ると、助けてやる。牛馬犬猫の痛い時に人間が介抱して助けてやることは、だれでも

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金光大神は銭金を目当てに拝むのではない

金光大神は銭金を目当てに拝むのではない

この金光大神は銭金を目当てに拝むのではない。難儀な人を助けねばならぬから、「お供えのことを思わず、こづかいだけのくり合わせを受けられた時に参りなさい」と言うて話しておるのじゃ。

信心しておかげを受けた時に、心任せのお供えができるようになれば、氏子も喜びである。

 金光教教典
 399頁
 山本定次郎の伝え
 64

おはようございます。

金光教は、本部広前も日本全国・世界各地のどこの教会も「

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お供えは心任せである

この広前にはご祈祷のお札もなく、ほかほかの神様とは違う。天地の神様が「お洗米で人は助かる。銭金で人を助けるとすれば、貧乏な人が困る。天が下の氏子は安心におかげを受けさせねばならん」とお伝えくだされたので、このようにして神様の前でご用を勤めさしてもらうのである。

まことに神様のみ教えどおりで、百石持ちの人がほかへ一両使うたのは、その日に何のこともないが、貧乏で、その日時々のもうけ食いの人がほかへ一

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