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2021年9月の記事一覧
取次の人を敬わん人ほど損をしておる
とかく、遠方の人ほど広大のおかげを受けられるような。神様のところでは違いはないが、取次の人を敬わん人ほど損をしておるようなわい。
金光教教典
401頁
山本定次郎の伝え
69
おはようございます。
近くの人は、取次の人の生活や人となりが分かってきて、なかなか敬う心になれないが、遠くの人は、そういうことが分からず純粋に敬いの心になるからおかげを受けやすいということを、この御教えは言って
人を敬うてわが身に徳を受ける
願いの取次をする人は、もと、百姓でも何職をする人でも、「お先生」と敬いのある人ほど早くおかげを受けられる。人を敬うてわが身に徳を受けるとは、このことである。
敬いの少ない人は、せっかく神様のおかげを受けるに、入れ物を改めておらんということになる。銭金もいらん。心を改めて、早くおかげを受ける考えは、みやすいことでありますなあ。
金光教教典
401頁
山本定次郎の伝え
69
おはようござ
手厚い信心の氏子の手続きで願うてもらえば、早くおかげを受けられる
この広前へたびたび参詣して此方の話を聞き、信心する人の中には、天地金乃神、金光大神と、思うことを願えば、直々に聞いてもらうようになっておる人がだんだんある。
神様へ近しいようになるのも、お上の役人へ近しいようになるのも同じことである。村役場、その上々の役所、役人と懇意の人は、万事の事柄がよく知れておるから願い事も早く聞きずみになるようなもので、
神様のことは、この広前の手続きで拝んでおる所や、
一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝える
この広前へ参りてお願いし、全快してお礼参りをすれば、それで大願成就とする人もあるが、この神様のおかげで全快すれば、此方の話を聞いたことを他の難儀な者に伝え、一人増しに真の信心する人のできるよう話し伝えるのが、神様へのお礼になるのである。
金光教教典
400頁
山本定次郎の伝え
67
おはようございます。
真のお礼とは、神様のありがたいこと、ご信心のありがたいことを人に伝えて、真の信心
ご分霊が分限を定められる
人間が食い飲みする時に、このくらいでよろしいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。体に相当するのである。
それを、もう一杯、また一杯と、我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神様へ対しご無礼ではないか。
また、食い過ぎ飲み過ぎして、嘔吐をする者もあるが、これも悪い考えである。
金光教教典
399頁
山本定次郎の伝え
65
おはようございます。
食事をし
金光大神は銭金を目当てに拝むのではない
この金光大神は銭金を目当てに拝むのではない。難儀な人を助けねばならぬから、「お供えのことを思わず、こづかいだけのくり合わせを受けられた時に参りなさい」と言うて話しておるのじゃ。
信心しておかげを受けた時に、心任せのお供えができるようになれば、氏子も喜びである。
金光教教典
399頁
山本定次郎の伝え
64
おはようございます。
金光教は、本部広前も日本全国・世界各地のどこの教会も「
お供えは心任せである
この広前にはご祈祷のお札もなく、ほかほかの神様とは違う。天地の神様が「お洗米で人は助かる。銭金で人を助けるとすれば、貧乏な人が困る。天が下の氏子は安心におかげを受けさせねばならん」とお伝えくだされたので、このようにして神様の前でご用を勤めさしてもらうのである。
まことに神様のみ教えどおりで、百石持ちの人がほかへ一両使うたのは、その日に何のこともないが、貧乏で、その日時々のもうけ食いの人がほかへ一