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かけがえのないものをニヤニヤ汚しに来る蛆虫たち

朝ドラ「エール」の音ちゃんの怒り方がわたしには小気味良い、と感じたのだけれど、そう思わない方も多々いらっしゃったようで、NHKには朝から怒号とか聞きたくないという苦情も来たらしい。

たとえばバブル時代のドラマみたいに、男性に水ぶっかけることが新しい時代の女性みたいな演出されるとゲンナリするけれど、ドラマの内容見る限り、音ちゃんは裕一さんがカフェーに行ったことよりも、その事実や理由を説明することを嘘ついて誤魔化して放棄したから怒ったわけで、それは新婚さんだと当然のことじゃないかなと思う。信頼関係を築いてこその夫婦なのだし。

お見合いでの胸倉掴みも、女性全体を小馬鹿に軽く扱われたから、廿日市さんに食い掛ったのも、裕一さんの音楽家としてのブランドを守りたいから、昨日のカフェーの水ぶっかけは私も若干引いたけど、そもそもおっさんが女給の分際で、と音たちの仕事そのものを侮辱したことに対する怒りからきている。

理由があったら怒鳴っていい、暴力をふるっていいというわけでは決してない。けれど女性だけが侮辱されても耐えるべきと偲ぶことを美徳とされ、傷つけられたときにすら感情をあらわにすると叩かれるというのはあまりに理不尽で窮屈だ。
ああ、女性って自衛権すらないのだなと絶望してしまう。

戦いは男性に任せるべきなのだろうか。
日本が核兵器を持つアメリカに守ってもらっているみたいに。

同じ怒りでも例えば男性の白洲次郎さんはGHQのマッカーサー元帥を怒鳴りつけた。天皇陛下からのクリスマスプレゼントを、そこらへんに置いておいてくれと流したからだ。戦争に負けたからとはいえ天皇陛下にそれは失礼であろう、「日本は戦争には負けたが奴隷になったわけではない!」と。彼は陛下だけでなく、陛下を心から慕う国民たちの心情も守るために怒ったのだけど、彼の怒りが武勇伝になるのは、彼が男性だからだろうか。かけがえのないものを傷つけられて、怒り、それを守ろうとするのは、男性だけが許される特権のようなものなのだろうか。

テレビ番組での振る舞いをネットで非難され、自殺に追いやられた木村花さんのいきさつ、私はその手の番組の興味がないので見てはいないのだけれど、きっかけはテラスハウスというドキュメンタリーの中でとある男性が木村花さんの女子プロキャリアにおいてとても大切でかけがえのない思い出の衣装を、わざと洗濯機に入れ、縮ませてしまったことに、木村花さんが感情をあらわにして怒ったことが、非難される原因になったらしい。
それをきく限り、あきらかに、その男性か、それを指図したかもしれないテレビ局側に非はあって、木村花さんが怒るのは至極当然と思われる。 
彼女がずっと守ってきたかけがえのないものを男性、もしくは番組に台無しにされたのだ。
もしその怒る姿が醜かったとしても、それを第三者が非難はできないし、そしてそんな炎上を、原因を作っておきながら放置する番組サイドを始め大人たちは最悪なのではないか。

これらは信じられない状況のようで、私はなにか、この構図に昨今の、もしかしたら大昔からのあるあるを感じてしまう。
若い女性の、かけがえのない、大切なものを、平気でニヤニヤ笑いながら汚しにくるおっさんたちとそれに追従するおばさんたち。
女性がそれに傷つき、感情をあらわにしたら、不穏を嗅ぎつけて大喜びでどこからともなくワラワラと沸いてきて、非難するひとたち。そして、普段なにも関わらず、親しくもないくせに、こういういときだけおもむろにやってきて、きっとどちらにも非があるよ、謎なモラリストぶって、したり顔で加害者と一緒に、ウキウキと傷ついた女の子に追い打ちをかけるひとたち。

こういうひとたちは、教養の低いひとたちだけでなく、一見、上っ面だけそれっぽく取り繕ってるようなひとたちが多い。人の命や健康に携わったり、女性を含む若い人たちの教育に携わったりと本来社会的地位がそこそこあってしかも奥さまや娘さんのような女性を家族をもつひとたちが、何故かある日、反抗してこなさそうな、それでも自分の思い通りにならない女性を見つけると、オオヨロコビで飛びつき、叩き、汚し、尊厳を奪ってきたリする。
それらの醜いものたちはあっという間に蛆虫のようにたかり、集まり、蝕み、どんどん増えていく。こういう本性をもったひとたちが、これからもヘラヘラと飾っただけの外面を引っ提げて、大きな顔をして、女性たちを誹謗中傷し、累々と屍を積み重ねていくのだろう。彼らから女性たちの屍から出た腐臭が取れることは永遠にない。
アウシュビッツの集団大量虐殺を動かしてた人たちが、戦後生き延びて素知らぬ顔でその後の社会の根幹をなしていたように。
女性の美しさを賛美するようで、女性を性的に搾取しつづけて汚しながら利用し、まともな賃金も与えず、ヒット映画を作り続けて儲けていくるハリウッドのように。
女性をニヤニヤと傷つけ、汚し、叩き、追い詰め、死に至らせる人たちは、当たり前に機能する社会に平気な涼しい顔で潜んでいるのだ。

普段は蛆虫たちはなりを潜めているので気づかないかもしれない。けれど、誰もが、ふとしたことで、その汚らしい蛆虫たちに、襲われる可能性がある。それはヘラヘラと仲間の顔をして寄り添ってることも多いし、彼らも巧妙に隠してるから最初は私達もわからないのだ。
たちはそんなとき、どうすればよいのだろうか。どうしたら汚らしい蛆虫たちから、我が身や愛する人たちを守れるのだろうか。

次回最終回にします。


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