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人類は1つの体

いつも読んでいただき
ありがとうございます。
さおりんです。


健康な人が医者の前に行き
私は元気です!と報告することは
なかなかないです。
医者に診てもらう人はなんらかの心身の
不調を訴えるのが普通です。


カウンセラーの周囲には、心に重荷を
背負って生きている人が集まります。


今回はある足を失った東京のに住む青年
の話をご紹介していきましょう。


彼は少年の頃から引きこもりとなり
家庭内暴力を繰り返しました。
頼んでいないのになんで俺を生んだんだ
と罵りながら母親を殴り、家の中の物を
ひっくり返し、ときにはバイクで暴走を
して荒んだ生活を送っていました。


ある日、母親のもとへ北海道の警察から
連絡が入りバイクで事故に遭い、病院へ
運ばれたのだそう。


母親は急いで北海道まで向かったが、
病室で駆け込んで目に入ってきたところ
青年の全身は包帯を巻かれ、
声をかけても意識はありませんでした。


主治医は母親へ
命は取り留めましたが両足を切断する
必要があります。
と伝えました。


母は気を失いそうになりました。
足を失うことが、青年にとってどれほど
過酷な現実を招くかを
瞬時に感じ取りました。


多くのコンプレックスを抱える青年
のただ1つの自慢は走るのが速いこと
でした。


多くの挫折を味わいながら
俺は走ることなら誰にも負けないんだ!
と自分を鼓舞し、
いくつもの壁を乗り越えてきたことを
母親は誰よりもよく知っていました。


せめて片足だけでも
残していただけないでしょうか。
そうすればこの子は心の支えにして
苦しみを乗り越えられると思うのです。
と医師へ懇願しました。


医師は治療に全力をそそぎ、
片足を残すことに成功しました。


青年はしばらくして東京の病院に転院
しましたがあいかわらず心は沈んだまま
でした。足を切断したショックから
さらに陰鬱な状態になったのは
無理もないでしょう。


精神的にどん底にいる青年と話し、
青年は立ち上がろうとしたはずみに
よろけ、主治医に支えられた時、
目の前の壁に、1枚の紙が貼られている
のに気づきました。
その言葉に青年はくぎ付けになりました。


それは、
新約聖書のコリントの信徒への手紙の
一節でした。


体は1つの部分ではなく、
多くの部分から成り立ちます。
足が「わたしは手ではないから、
体の1部ではない」と言ったところで、
体の1部でなくなるのでしょうか。
耳が「わたしは目ではないから、
体の1部ではない」と言ったところで、
体の1部でなくなるのでしょうか。
もし、体全体が目だったら、
どこで聞くのだろうか。
もし、全体が耳だったら、
どこでにおいをかぐのでしょうか。
そこで神は、ご自分の望みのままに
体に1つひとつの部分を置かれました。
すべてが1つの部分になってしまったら
どこに体というものがあるのでしょう。
だから多くの部分があっても、1つの体
なのです。
目が手に向かって、お前はいらない
とは言えず、頭が足に向かって、
お前たちはいらないとも言えません。
それどころか体の中で他よりも弱く
見える部分が、かえって必要なのです。
わたしたちは、体の中でほかよりも恰好
が悪いと思われる部分を覆って、もっと
恰好よくしようとし、見苦しい部分を
もっと見栄えよくしようとします。
見栄えのよい部分には、そうする必要は
ありません。
神は見劣りのする部分をいっそう
引き立たせて体を組み立てられました。
それで、体に分裂が起こらず、各部分が
互いに配慮しあっています。1つの部分
が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ
1つの部分が尊ばれれば、すべての部分が
共に喜ぶのです。
(コリントの信徒への手紙1 12章14-26節)


事故の後、青年は体、とくに足という
ことばに敏感になっていました。
上記のこの聖句を繰り返し読むうちに
主治医に支えられながらへたへたと椅子
に座り込み、声を上げて泣き始めました。


泣きやむと青年はこれまで見たこともない
素直で清々しい表情をしていました。


人は神様を頭とした1つの体のようなもの
です。ある人は指、ある人は心臓、
ある人は足の裏かもしれないです。
だけど、誰一人欠けても体は動きません。
どれ1つとして切り捨てていいもの
ではないのです。
形は違えど、皆かけがえのない役割を
担っています。


主治医は青年に
キミは足を失ったことを不運だと
嘆いているけれど、そうではないのだよ。
どんな立場だろうと、キミという存在は
人類という大きな体の一部です。
どうか、誇りを持って力強く生きてほしい。
と伝えました。


青年の脳裏には、
懸命に自分を支えてくれた母親や、手術に
全力を注いだ医師たちの姿が甦りました。


自分の苦しみを、あたかも我がことの如く
思ってくれた人たち、片足が残ってくれた
ことを心から喜んでくれた人たちの存在に
ようやく気が付きました。


青年の目は潤み、思わず主治医に
抱きついて再び号泣したのです。
主治医もしっかり抱きしめいつまでも
一緒に泣き続けました。


この日を境にして青年の態度は大きく
変わりました。
松葉杖を使って病室を回り、
これまでわがままですみませんでした。
何か僕がやれることはありませんか。
と声をかけるようになりました。


暗く陰険で悪態をつくことで
知られていたのに、
どうしてそんなに変わったの?
と質問をぶつける人もいました。


すると彼は、あなたは僕の身内だから
と明るく答えました。


ある病室の信心深いお婆さんがいて
生きとし生ける人がすべて幸せで
ありますように。
と書かれた紙を青年に渡しました。


生きている人はみな自分の身内。
自分の体の続き。
と、いつものこのことばを唱えて
患者さんたちの幸せを祈り、
勇気づけました。
彼がいることで、いつのまにか病院中が
明るくなりました。


この青年は、片足を切断するという
絶望的な状況のなかで、
聖書のことばに触れ、
人生を大きく好転させていきました。


逆境もまた恵。人間は誰しも尊い役割を
神様から与えられています。


全人類で1つの素晴らしいタペストリー
を織り上げているのが私たちの歴史です。
裏側から見ても
織物の美しさはわかりません。


それがいまの世界ですが、本当の姿が
私たちの目の前に明らかになる日を
楽しみに人生を歩いていきたいものです。


神は、御自分の望みのままに、
体に1つ1つの部分を置かれたのです。
(コリントの信徒への手紙1 12章18節)


ここまで読んでいただき
ありがとうございました。
さおりんでした。


今回ご紹介したのは、
シスターの鈴木秀子さんの著書
「自分を生き抜く聖書のことば」
について、ジェンダーのLGBTQ種族や
ADHD・HSPなどの繊細敏感種族、
いわゆる繊細感覚派が
生きづらい世の中から生きやすくなる
ために感銘を受けた思想を
私の主張も絡めながらご紹介しています。
ぜひ一度、読んでみてくださいね。


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