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ワーママの葛藤。ある方から贈られた言葉に救われた話

車を運転すると、ところどころに咲く桜の木に癒されるこの時期。

キレイだなぁ、とホッと心が綻ぶ。

昨年、次男を出産する前日の散歩で見た母校の桜

あと数日で、次男は1歳を迎える。

今月は次男が毎週のように体調を崩し、バタバタ過ごすこの頃。急な予定変更。もちろん、スケジュール通りにはいかず、家事育児仕事とバタバタする日々。(今も)

そうそう、長男も1歳頃ってこんな感じだったなぁと思い出す。

出社してすぐ保育園からのお迎えコール。職場に謝りつつも迎えに行く日々だったっけ。迷惑かけることが申し訳なく、毎日ペコペコ。

下がり続ける自己肯定感。無力感。
やり場のない、徒労感。

今はフリーランスのため特定の職場はないけれど、仕事に責任がないわけではない。むしろ、全部自分でしないといけないから重くなっているような気もする。代わりのいないプレッシャー。

子どもを育てながら働くことの大変さを改めて思い知る。

「子育て」って「親育て」だ。準備しても、あれこれ対策してもままならないことがたくさん起こる。理解できないこともある。体力もいる。

スムーズに行くことのほうが少ないのかもしれない。あらためて痛感。

だからこそ、親はさまざまなことを学ぶ。当たり前だ。その都度グッと踏んばり乗り切るしかない。

最近は、普段読まない育児書を読むようになった。来年には長男も小学校入学だ。

どんな声かけがいいのか。
どんな心持ちがいいのか。
どんな考え方ならいいのか……。

公式通りに、当てはまらないのが人間。

集団行動が苦手でゆっくりな成長の長男にも、わたしが焦らずじっくり関わるのが大切だなと思う。

だけど、ズーンと重く、多分少し落ちているここ数ヶ月の自分の気持ちも大切にしたい。 noteに書き出し、整理してみる。

最適を実現して寄り添いたい、親としての気持ち。

もっとのびのび過ごしたい、個人としての気持ち。

他者や社会にもっと貢献したい、仕事人としての自分の気持ち。

やさしく穏やかでありたい、妻としての気持ち。

他者からすれば、わたしは「変わり映えのしない日常」をおくっている人間なのかもしれない。

30代主婦。二児の母。田舎在住のフリーランス。好きなことは、のんびり過ごすこと。

だけど、そんな日常には日々感情を揺さぶる出来事が起こっている。小さいけど、わたしにとっては心の中は毎日が非日常なんだ。目の前の現象から少しずつ学び、変わり映えのしまくっている。

大変だけど、愛おしい日々。

繊細気質で生まれたことに、疲れることもあれば些細なことで喜べる自分に感謝することもある。

一つひとつを大切にしたい。

じっくり変化したい。

そういえば昔、ある書道家の方から以下の言葉を贈られた。最近、なぜか急に思い出した。

「人生、先は長いのです。時間をかけてひとつひとつ、学ぶことを楽しもう。その自分のペース、一生変わらない。学ぶことを大切に」

その方は依頼者の目を見て、その方にぴったりの言葉をインスピレーションで贈る方だった。

確か結婚前の22、23歳頃。ちょうど今の時期、春だった気もする。

経緯はぼんやりしているけど、とあるお店卒業シーズンプレゼントキャンペーン(書道プレゼント)をやっていたから、という出会いだった。贈られた言葉が書かれた色紙は、桜色の額縁に入れて、今も保管している。

じっと目を見て「焦らず、楽しんでね」と言われたのが印象的だった。あまり会ったことのない独特な雰囲気の男性だった。

当時はピンとこなかったけど、最近になってハッと思い出た言葉。今になり、ジーンと心に響く。

まさに、わたしにピッタリの言葉ではないか。

言葉が本当の意味で届くのには、実は人それぞれのタイミングがあると思う。時差がある。

親になって知ったこと。

言葉が持つ意味は理解しても、心で深く理解するのには時間がかかることもある。

わたしは今、多分、その書道家さんの言葉を受け取った。

親であるわたしだって、実はわからないことだらけ。子どもだけではない。間違えることも遠回りすることもある。

だからこそ、焦らず楽しみたい。

急かされて焦らなくてもいい。じっくり、自分なりに決めて考えて試行錯誤する。

「それがわたし」なのかもしれない。

子どもから、そんなことを学ぶこの頃。

そして、桜色の額縁に囲まれた、書道家さんの独特な字とその意味にも今、支えられている。

道で咲き始める桜の花からも「がんばれ」「大丈夫」と見守られ、励まされているようで、ちょっと泣きそうになる日々だ。

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子どもに教えられたこと

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