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毎日note月曜がきた「珈琲タイムは私の心のバロメーター」

人生の大転換期、14年半勤めた会社を辞めてフリーランスになるときに、自分の人生において大切にしたいことを考えた。
道に迷った時に立ち戻れるようにと。それは事細かに書かれた地図ではなく、方角だけを教えてくれるコンパスのようなもの。

これまで省いてきたことを大事にしたい
大切なものを省いてしまった気がするから・・・

朝の珈琲タイム。
初めて珈琲が美味しいと感じたのは、まだ福岡の南区に住んでいた頃、近所の珈琲豆屋さんにふらりと立ち寄ったときだった。長年喫茶店をやっていたマスターが、珈琲豆だけでやっていきたいと決意して立ち上げた珈琲豆屋さん。
苦い、という印象だった珈琲が、とてもフルーティで新鮮で、美味しい、と感動したことを今でも覚えている。ご夫婦二人で営むお店で、とても小さい規模でお店をやっている。仕事が休みのたびに通ってくるわたしに、マスターは珈琲のイロハを教えてくれた。
マスターが教えてくれたように、飲む分だけの珈琲豆100グラムを買って、毎朝豆を挽いて、お湯をおとす。お湯をすこ〜し落として豆を蒸らす。その後、お湯を注いで、ハンバーグみたいな盛り上がりができたら成功。
小さな部屋が、珈琲の香りに包まれて、幸せな時間だった。
その珈琲を飲んで、残りを水筒に入れて、西鉄電車に揺られて会社へ向かう。

妊娠して、引っ越しして、育休から復職して、珈琲メーカーを購入した。豆だけ挽いて、珈琲メーカーに移して珈琲を淹れてもらう。水筒に入れて、会社に持って行っていた。その頃には、朝のゆっくり珈琲タイムをとる、余裕はなくなっていた。
豆だけは、どうしてもマスターの珈琲が飲みたくてネコポスで送ってもらっていた。

やがて、夫の単身赴任を追いかけて、私も転勤願いを出して、東京へ異動した。
福岡では考えられないほどの早朝出発に、珈琲メーカーはより便利なものへと進化した。豆を機械に投入すれば、全自動で豆を挽いて、珈琲を淹れてくれる。これまでで、最速で珈琲が飲める。便利だなあ、すごいなあ、とひたすら感心した。
でも、前のように、マスターの珈琲美味しいなあ、と思うような日々はなくなっていた。

そして1年後、追いかけた夫が福岡異動となり、わたしも、また福岡に転勤願いを出して異動した。福岡での生活も慌ただしく、朝の珈琲タイムという言葉すら、忘れてしまっていた。
一年半の後、会社を辞めた。
フリーランスになった。
珈琲メーカーを捨てた。
朝の珈琲タイムをゆっくり過ごせる生き方をする、と決めた。

豆を挽き、お湯をポットに入れて、珈琲を淹れる。

珈琲の香りに包まれてはじまる一日。
この珈琲タイムがとれているかどうか、それがわたしの暮らしのバロメーター。


友人たちが家に遊びにくると、珈琲メーカーをすすめてくれる。
デロンギやシロカ、便利なものがあるよ〜って。
最近、その言葉に心惹かれるようになっている自分に気づいた。
なぜだろう。時間はあるはずなのに。

朝起きて、英語やなんやらやって、学校へ送り出して、いつもの仕事して…。
会社員時代のように忙しいわけではないのに、何か先を急いでいる。
珈琲タイムをすっ飛ばし、次へ次へと何かをやろうとしている。

しばらくのゆっくり期間を経て、エンジンがかかったのか、
それとも。

同じことしていても、それをムダな時間だと思うのか
豊かな時間だと思うのか
自分の心の在りようだ。

珈琲メーカーを手に入れて、そこで捻出した時間で何をしたいのか。
冷静に自分の一日を見つめてみると、大して忙しくない。
時間は十分にある。
ということは、心が焦っているのだ。
やりたいことが次から次へと湧いてきて、珈琲淹れる手間を省こうとしている。

そんな時こそ言ってやりたい。
珈琲タイムとって、落ち着けよと。

珈琲タイムはわたしのマインドフルネス。
珈琲淹れる30分は、なにも考えなくていいじゃない。
お湯を注ぎ、ムクムクと盛り上がる、挽いた珈琲豆の山を見つめよう。

潔く時間を使おう。
珈琲飲んで、落ち着いて、一日を始めよう。

ということで、
マスターの美味しい珈琲を飲んで、noteに思ったことが書けたので、満足して仕事します。

今日も良い1日を。


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