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できないことは「弱み」じゃない。
人を頼ることは「ダメ」じゃない。

今朝、コミュニティのグループメールでのやりとりを通して感じた。

「◯◯ができないから誰か助けてー」
とひと声上げることが大切なのだ。

物理的にもスキル的にもマインド的にも、何かができなくても他のことはできる。大勢の人が集まるってことは、誰かができないこと、苦手なことを、他の誰かができるってことなのだと思う。

事務処理が苦手でも、得意な人がやればいい。
文章が考えるのが苦手なら、得意な人がやればいい。
力仕事が苦手なら、得意な人がやればいい。
すべてを自分でやらなくていい。
助けを呼べばいい。

誰かが助けを呼んでいたら、自分ができることならやればいい。
自分ができないことならごめんなさい、私もできないと詫びればいい。

人が多く集まれば、多様な凸と凹が集まる。
みんなで何かを作るとき、凸と凹で作るから面白い。

求められることが多いものを持っている人ほどエラく見えるけど、それはない。マニアックなものを持っているあなたこそが魅力的なのだ。
ビジネススキルがないと憂うことなかれ。
ありきたりのビジネススキルなんて、万人が持っている。持たずにこれまで生き抜いてきたのだから。何で生き抜いてきたのかを考えた方がいい。

みんなが持っているビジネススキルを磨くことよりも、ビジネススキルを持っていないことの強みがあるはずだ。だからこそ、浮かんでくる突拍子もないアイディアが。だからこそ出てくる、他の人の辞書にはない言葉がある。

「何かを持つ」ということは、「何かを持てない」ということだ。
みんなが持っているものは、持たなくてもいいんじゃないか。

持ってないものよりも、持ってるものをみたらいい。

持ってるものは、くだらないものではない。
活かせる場所を見つけてないだけだ。
持ってるものを活かせる場所は自分で探したい。模索したい。

普通すぎてつまらないと思っていた自分の、その「普通」が強みになるときがある。多くの人は普通なのだから。

特出しているものがあるのなら、それが活きるところで活かせばいい。

つまりは、どんな自分でもいいってことだ。
まったく同じ人間はいないのだから。
自分がいる、というだけでいい。
多様性が成り立っている。

不完全だから人は一緒にいる。
みんなで何かを作ることが楽しい。
ないものも、あるものも、晒しあって生きている。






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