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多趣味の人は暇にならない自信アリ

忙しい日々を過ごしていると暇になる瞬間を想像してしまうことがよくあります。

ダラダラと日中を過ごし、夜が近づいたら夕日を眺めながらビールを飲んでぼーっとするような、そんな一日を過ごしたい欲求が高まります。

経済の本などを読んでいるとベーシックインカムに関する話が増えてきていて、経済学的に詳しいことはわかりませんが「働かなくても生活ができる」未来がもしかしたらくるのかもしれません。

しかし、仕事に苦痛を感じる人がたくさんいる一方で、仕事が生きがいだという人がたくさんいるのも事実なので、仮にベーシックインカムが実現したとしても「仕事」そのものがなくなる未来はおそらくやってこないだろうと思います。

また、早期退職を果たした人が、数年間の悠々自適生活を経てから、もう一度仕事の現場に戻ってくるというのもよく聞く話です。人は仕事をするのが好きな側面があるとも言えますが、やるべきことが少ない退屈な時間を過ごすことも、実は同じくらい難しいのかもしれません。

こういった話が出てくる時によく目にするのが「そういう人は趣味がないからだ」という意見で、趣味を多く持っている人にとってはやるべき仕事がなく余暇だけがたっぷりある時には、その趣味に没頭し続けることができるのだということです。

僕も読書が好きで積読をたくさんしている身なので、ある日突然仕事をしなくても生活ができるくらいのキャッシュフローが入るようになったら、一日のあり余る時間を積読の消化に充てて読書三昧の日々を過ごすことになるはずです。妄想をしてみる範囲では、しばらくの期間はその生活を続けることができるような気がしています。

また、旅行が好きな人にとっても、仕事に縛られることなく自由な時間をたくさん使えるというのは魅力的なことに違いありません。行きたい都道府県や海外の各国に片っ端から訪れる日々を過ごしていれば、退屈だと感じることなどないでしょう。

思いを馳せてみるだけで、これらの日々がいかに至福の時になるのかが目に見えて思い浮かびます。人は働くためだけに生まれてきたわけではないのです。

こういった暮らしがしたいと妄想することもありますが、しかしどうしても思いとどまってしまう点があります。自分が仕事をしなくなった時に堂々と過ごしていられるかという不安です。

かつて病気が原因で実家で療養生活をしていた時のことです。「闘病中」というステータスではあったものの、家族や友人が忙しく働いているなか自分だけが何もできずにいる毎日は非常に苦しいものでした。

紀行文の古典的名著である、小田実の『何でも見てやろう』という本があります。1961年に出版された当時のベストセラーで、世界中をバックパッカーとして旅してまわる日々が記されています。

この本のなかで世界を周っていた著者が当時の日本に思いを馳せるシーンがあります。

当時の日本は高度経済成長の真っ只中であり、サラリーマン達は今とは比べ物にならないようなモーレツな働き方をしていた時代です。

著者は世界を周りながら当時の日本の満員電車を思い浮かべ、自分が今こうして旅をしている時に自分以外の日本人はがむしゃらに働き続けていることを想像して対比させながら「これでいいのだろうか」と思いに耽ります。

近い将来に悠々自適な生活を手に入れたとしても、きっと僕にもこういった感情が芽生えてしまうのではないかと思ってしまうのです。人間はどうしても自分の役割を求めるものなのでしょうか。

こういったあれこれを考えていると、やっぱりまだまだ働かなければいけないのかな、と腹を括った次第です。夕日を眺めながらビールを飲む日はしばらくの間お預けとします。

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