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第一章 初めての土地で単身出張、二泊三日の場合⑤

⇩ 前回<第四節 注文と食事>はこちら

第五節 馴染みだす気配

 刺身のツマ(刺身と一緒に盛り合わせられた、薬味と飾りを兼任する食材、風味や見た目以外にも殺菌等の効果のあるものもある)に蓮芋をあしらっていることに気づいたことで、更に株を上げた貴方は、追加注文で今度は火の通った肴をという事で、銀ムツの西京焼きと天婦羅を少し注文しました。この辺りが初回の訪問では無難な注文だと言えます。料理が来る迄の間に女将が貴方に興味を持ったようです。こちらへは出張ですか?とか聴かれますので、貴方はこの地区担当で月に一回は来訪し、二、三泊する事を告げます。この時間間隔が重要で、週に一回来るとか言ってしまうと、過剰な来店を期待されますので、本当の事を話す事にしましょう。こんなお店が家の近くにあったらなぁぐらいの誉め言葉が最も平和です。そのうち奥に座っていた重鎮様が、貴方の方言を聴いて、わしも昔関西で仕事をした事があると会話に入ってきたことを発端として、皆さんが初めて逢う貴方に興味を持ってくれた様です。そこからはここは何が美味しいとか、大将は無口だけど腕は良いとか、実は酒を呑み出すと仕事をせずに良くしゃべるんだとか、女将の口車に乗せられてついついお替りをしてしまうとか、いやそれは自分の責任でしょとかの情報をくれる事となりました。ここで店主は大将と女将と呼ばれる事、お店の方も一緒に呑んでくれそうな事が解り、貴方が来たことによって、今夜のチームとしての一体感が損なってしまったのでは無いかという懸念が杞憂である事に気付いた貴方は、ここで大きく動く事にします。お店の方に一緒に呑んで貰うモードの発令です。これは飲食店の方々、若しくは同席のお客さんにも自分が一杯振る舞うという大技で、一気に親近感が増すという効果が期待されます。但し、空気の和が弱い場合、唯の気取った嫌な奴になる可能性もあるので、馴染みの温度感には注意しましょう。これは理論的にここまで温まれば善しというものではありません。貴方の年齢や立ち居振る舞いも影響を与えます。又、人によっては奢って貰う事を恥ずかしく感じる方も居ますので、技を出す前には気を付けましょう。
 貴方は女将をそっと呼び、実は皆さんとお近づきのしるしに乾杯がしたい旨を伝えました。初めての来店の際には、接客係の方にそれとなく訊く事が大切です。接客担当者はお客さんの人柄や状況を把握して居ます。それは止めた方が良いのか、あるいはお店側とだけ乾杯する事が良いのかを判断してくれます。この日の方々は皆さんお互いにその様にしている様で、貴方が振る舞う事は大歓迎だと教えてくれます。聞いてみると和食に合いそうな白ワインはレパートリーが豊富で、手頃な一本を注文する事となりました。不思議な事ですが、貴方がその様な相談をこそこそ話して居る事は、決して広くないお店の中で少しは聴こえている筈なのですが、このような時、何々、何の話かなぁ?と聴いてくる人はまず見かけません。みんな貴方の乾杯への第一歩を心から応援してくれて居るからです。

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 ここで貴方は勇気を出して白ワインを注文した事、大好きな白ワインではあるが、お酒が弱いので独りでは呑み切れない事。そしてワインを空ける事を手伝って欲しい事を皆に伝えます。すると皆はまるで貴方がワインを注文したことに初めて気が付いたふりをし、喜んで頂きますと言ってくれました。この瞬間、貴方はこはる日和さんで完全に馴染み客への第一歩を踏み出せたと言えるでしょう。
 お酒の味は変わらない筈なのに、独りで呑む酒と、愉しく仲間で呑む酒は別の味がするという有力な学説があります。旨味の心理的効果はこのような形で実感する事が出来るでしょう。
 いよいよ第一章も次のステップに移ります。次の第六節では一件目から二件目へのスムーズな移行に関して論じていきます。

<第六節へつづく>

⇩ <序章>及び<目次>はこちら


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