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【86球目】経営者としてのシンカ

昨日のnoteでは、会社が大きくなる過程においての出来事を書いてみました(⇩こちらの記事参照)。

もっともっと細かいことはたくさんあるので、そんな細かいこともどこかで書ければと考えています。

今日は昨日と同じように、過去の流れの中で私自身がどんな想いを持っていたのか、どんな考えを持って行動していたのか、そんな視点で書いてきます。

第1次成長期(2009年から2015年)

リーマンショック後ですから、どん底からのスタートです。
私の役割は何でもやること。行動の量が必要な時期でした。

人数も少ないですし、マネジメントという概念も、そんなに意識していません。みんなと一緒に私も行動している訳ですから。プレイヤーです。

ただ、変わらないといけない変えないといけない、そんな想いは強く持っていましたし、人が会社を創っていくという想いは、その頃からずっとありましたので、人の採用についてのアンテナは常に張っていました。

未来の計画が、3年後が、5年後が、そんなことはあまり考えていません。
がむしゃらに行動
し、会社の規模を大きくすることだけに夢中になっていた、そんな時期かもしれません。

製造派遣事業
でも製造業でも、新しいことがドンドン始まっていました。
何かあれば県外であってもすぐに動く
製造業においても、自分の目の届く所で全てが動いていく
この時期は、自分自身にとって絶対に必要なものだと思います。

この時に参加していた経営者の会で、よく言われました。
自分が動くことも大切だけれど、右腕になるような人を育てることも大切だと。

それは理解をしていましたが、まだ先だなと自分自身には言い聞かせていました。

第2次成長期(2016年から2018年)

規模もそれなりに大きくなってきました。
プレイヤーである機会も、徐々に減ってきました。
気づけば、自分の管轄と言えるのは高砂事業所だけでした。
ここだけは、最後まで意識して自身の担当としていましたね。

理由は簡単です。
自分で初めたから


それだけ想いが強い場所です。
と同時に、自身で現場を持つことによって、変なブレ方をしたくなかった。原点は常に現場です。その意識を持ち続ける為に、担当を持っていました。

生産推進グループが出来てから5年が経過していますが、多くの仲間が三陽工業に入社をしてくれています。
彼らの環境を整えること
。そして、より多くの仲間を増やしていくこと
ずっとそれを考えていました。もちろん今でも。

この頃には、役割が変わってきたと痛感してきました。
規模感も出てきましたので、当然と言えば当然ですが。

毎日が、試行錯誤の連続です。

リーマンショックから数年経過した時点で、過去の売上を毎年更新していましたので、常に未知の世界へ突入するような感覚です。

約12億くらいの会社の経営者が7億1,800万円の経営者になり、それが20億30億40億と変化していくわけです。

自然とその変化には対応をしていきましたが、やはり大きな変化がありました。自分が動いてはダメだ、とまでは思いませんが、自分が動くことに対しての抵抗は少なからず出てきます。

その辺のバランスが難しい。

ですが、今の仕組みの礎が出来たのもこの時期です。
数多くの面白いことがありましたし、今も続いているものもあります。

挑戦期(2019年から2020年)

IPOへの取り組みは、結果として良かったと考えています。
(⇩こちらの記事参照)

もちろんどこかで達成はしますが、まずはその仕組み作りは三陽工業において必要不可欠なことでした。

IPO準備をしなくても、この取り組みは必要になったと考えています。
それまでは、いわゆる仕組やルールというものがゼロとは言いませんが、ほとんどなかった。それを1つずつ整理していきながら、構築していきました。

その為に必要な仲間も、この時点では揃っています。
急激なスピードで仕組を整えていきましたので、ついてこれない人も出ました。今考えると、もっとやり方はあったのではと思いますが、それはそれで現実として受け止めています。
そして、その経験を未来の為に自分の引き出しへ入れています。

5年ほど前では、自分の会社が監査法人と契約するなんか、夢にも思いませんでした。

様々な変化を重ねて、今に至ります。

三陽工業という会社は1年ごとに凄まじい変化・シンカを重ねていることを実感した時期でもありました。

社長として、いや呼び方は何でも良いのですが、会長がいなくなってからが私の中では本当の意味でのスタートです。

それまで、1日のうちで挨拶だけという日も数多くありましたが、そこにいるのといないのでは大きな違いがあります。

しかしながら、いないことが当たり前になっています。
そこに、違和感はもうありません。

環境が変化しているのですから、私自身も変わらないと、何も進んでいきませんからね。

新しい世界へ(2021年から)

三陽工業を3秒で紹介してください、そんな機会がごくまれにあります。

三陽工業は日本の製造現場を元気にする会社です。

これで3秒です。
今日はもう少し時間があるので、もうちょっと詳しくお話させて頂きますね。

最近の私の話の導入部分です。
日本の製造現場を元気にする。

これを最初に口にした時は、少し恥ずかしさがあったことをよく覚えています。やったことがないことをやってみようの精神で、この言葉をずっと言い続けてきた結果、習慣になりました。

多くの仲間が三陽工業は日本の製造現場を元気にする会社です、と全国各地様々な場所で言葉にしてくれています。

三陽工業という存在は、兵庫県のみならず九州、中四国、関西、中部、関東と様々な地域の製造現場を元気にしようと行動してくれています。

最近では東北のお客様もスタートをしました。

文字通り、日本の製造現場を元気にする会社として、これからもシンカを続けていきます。

そして、三陽工業の経営者として、私自身も変化を恐れずシンカを止めずに常にシンキングしていきます。

本日もありがとうございました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!