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【126球目】本田宗一郎さん

先日、本田宗一郎さんの晩年のインタビューをYouTubeで拝見しました。

本田宗一郎さんは、言わずと知れた昭和を代表する経営者です。

元々私は、学生の時にホンダが大好きでした。
本田宗一郎さんもそうですが、それ以上に副社長の藤澤武夫さんが大好きでした。

初めて買った車はホンダ・インテグラ
2台目の車はホンダ・インテグラタイプRです。

そんな本田宗一郎さんのインタビューを見て、とても共感したことがありましたので、今日はそれについて感じたことを書いていきます。

インタビュー

私が見たYouTubeで語っていたことは、

自分たちは戦後、マッカーサーがやってきて財界を解体し、上の人達を全部排除したので文句を言う人がいなかった
だからこそ、自分のやりたいようにできた。日本全体がそういう状況だったからこそ、高度経済成長期を支えることができた

その後に、

だからこそ、僕みたいな上の人達がさっさと辞めないといけない

そんな内容のインタビューでした。

本田宗一郎さんは1973年、66才の時に社長を引退しています。
そして、その時の後任は45才

凄いことですよね。オーナー社長ですから。
創業者ですので、いつまでも会社に居続けることはできます。
しかしながら、自分が感じたことを、しっかりと次の世代の為に
自分自身が身を引く

なかなか出来ることではありません。

そして、だからこそ、ホンダの黄金期を作ることが出来たのではないでしょうか。

私も1ファンとして、ホンダが大好きでしたから。

そして、そんな企業とお付き合いさせて頂いていることを誇りに思っています。

三陽工業では

事業承継の時にも書きましたが、会長が引退したのが、2018年2月
65才の時です(⇩こちらの記事を参照)。

いま、三陽工業という会社はトップが43才
もちろん私より年上の方はいらっしゃいますが、私よりも年上の拠点長は、数えるほどです。

組織としてはずいぶん若い

若いからこそ、まだまだ経験値不足の部分はありますが、それを補っていけるくらいの熱量がそこにはあります。

仲間を増やすための行動を日々考え、そして素直に真面目に一生懸命、その行動を取っていく。

もちろん、成果が伴わない時もあります。それも1つの経験として自分自身の取り込んでいき、次の思考と行動へと繋げていく。

このスピード感が上がっていけば、必ず仕事は上手いきます。

間違いなく上手く行く

20年経つと

20年経てば、2041年には私は63才になっています。

えーと、森本さんはいくつかな、小杉さんは・・・・・(笑)

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私自身が専務という役割の時に、好き勝手やらして頂いた。
会長が会長でなければ、今の三陽工業は出来上がっていません。

もちろん、私もそうあるべきでしょう。

いつまでも、しがみついてはいけません。

そう考えた時に何が必要になるかというと、次世代を担う人材の育成です。
まだまだ、足元の成果を出す責任を負っていますので、それを達成しながらも、人材育成は私にとっての大きな命題です。

でも、ここは焦る必要はありません。
まだまだ時間はある。ただしアンテナは張っています。

三陽工業が日本の製造現場を元気にする会社として社会に必要不可欠な存在になるように、その為に必要な思考と行動をこれからも重ねていきます。

最後に、

アメリカでインテグラが復活するそうです。

いいなぁ。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!