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パパ活

昨晩の夢をぼんやりと思い出している。夢の中では、あまり親しくない女の同級生3人と、ギャルソンの黒いロングスカートを纏い、互いに巫女の化粧を施して、ハロウィンの日に旅行に行こうと約束していた。

街のあちこちを抜け、怪談パーティーを渡り歩くうちに、雲に届くほど高くそびえる階段の前に辿り着いた。その瞬間、背後の街並みが一瞬にして消えてしまった。

その階段は、かつて友人たちと中国の黄山を訪れたときに見た「百歩天梯」を思い出させた。旅行で心に残ったのは、美しい風景ではなく、体の芯まで浸透する恐怖だった。

「戻る道はないのよ。」彼らはそう言った。

夢の中でも、彼女たちは同じように言い、階段の上で手を振りながら「さあ、空港はもうすぐ上だよ」と呼びかけていた。

それは悪夢だった。
喉を絞められるような窒息感が、夢の後も残っていた。

半ば目覚めたまま、私は背後から彼を抱きしめるようにしがみついた。まるで浮木を掴むかのように。しかしその抱擁は、重たい岩のように、彼の言葉と共に「百歩天梯」から転げ落ちてしまった。

これは、お金の問題なのだろうか?
お金と恋愛は、一体どんな関係があるのだろう?彼と付き合うまで、私はそのことについて深く考えたことがなかった。中国の価値観では、恋愛では男性が多くを支えることで関係が成り立つとされている。

彼はこう言った。「俺の周りのカップルは、みんな割り勘が普通だよ。イギリスで知り合ったカップルなんて、家賃は彼女が払ってたくらいだ。」

彼の言う通りで、私たちの日常生活は徹底して割り勘を続けていた。それが長く続くうちに、私の中で違和感が募り始めた。
もしかしたら私が悪いのかもしれないが、愛されるのを試すようなことを繰り返していた。

昨日の口論は、とうとうベッドマットを買う話から始まった。
可笑しな話だ。春にこの家に引っ越してきたのに、未だにベッドすらない。引っ越しの際に無印良品週間があり、全品が10%オフだったので、以前使っていたベッドとフレームでいいんじゃないかと提案した。
しかし彼は迷って、最終的にネットで三か月の無条件返品が可能なマットレスを注文した。期限が来て返品し、また別のブランドのマットレスを試すという方法を取っていた。今回も、三か月が過ぎようとしていて、ようやくベッドマットを買う決心をしたそうだ。
この方法には驚きを隠せなかった。「アメリカではこれが普通だよ」と彼は言った。

私も一人でベッドやマットレスを買おうかと考えたが、自分一人で二人が寝るためのベッドを買うことに、どうしても悲しみがつきまとい、結局そのままになっていた。
引っ越してから、まともな食卓すらない。初めて食事の写真を母に送った時、すぐに「テーブルを買ってあげるわ」と言ってくれた母が、実はもうテーブル代も送金してくれていたが、私はどこか怖れていた。彼がいつか離れたとき、自分一人で買い揃えた家具をどうしようかと。

こんなにたくさんの不安、こんなにもたくさんの不安。私はただ、彼が少しでも支えようとする姿を見せてくれさえすれば、こんなに怖がることはなかったのに。

だから、昨日ラーメンを食べている時、無印良品の新しい週間の話が出た時に、「ベッドは君が買ってくれる?」と尋ねた。

その時、彼が「いいよ」と言ってくれることを期待していた。そう言ってくれたら、すぐに「じゃあフレーム代は私が払うね」と言うつもりだった。しかし彼の答えは、「なんで俺が買うんだ?」だった。ラーメンを食べ終わり、彼が当然のように共用口座から支払いを済ませた時、私は思わず「また共用の資金を使ったね」と言ってしまった。

不安が募るのは当然だ。
鹿児島から戻って以来、私の心身の状態はずっと良くなかった。休むが必要だと彼に伝え、しばらく家賃を負担してほしいとお願いした。(それも愛されるかどうかの試練だと思ってた)

そのことについて、彼は昨晩こう言った。「サンの状態が悪いの?毎日家で日記を書いてるだけで、日記には俺の悪口ばかり。そんなのが自己整理の方法だなんて、サンの自己整理はそんなに安っぽいの?」
「サンがInstagramに書いていることは、俺への中傷そのものだ。」
黙っている私に、「話せよ、なぜ黙っているんだ?」と言い放った。
「だったら君も君の視点から、私がどこを間違ったのか書いてみてよ。日本では交換日記ってあるよね?」と私は言った。
彼は言った。「俺にはそんな暇はない。そんな無駄なことに時間を割けるほど暇じゃない。そうな喋れるなら、調子悪いには見えないね。」
「サンの書いたことを読んで、俺の精神状態も限界に達してる。」
「調子の悪い奴は自分の調子悪いなんて言わない。彼らは黙々と努力して死ぬまで働く。サンが俺に養ってほしいなら、それは俺に仕事時間を延ばさせるってことだ。そうなれば自分のための時間なんてなくなる。それがかわいそうだと思わないか?もし俺が病気だったら、絶対に相手から離れるよ。」
「家賃は俺に払わせ、ベッドも俺に買わせ、ラーメンまでおごらせる。サンは『パパ活』をしているんだろう?それなら、次の『パパ』を見つけたほうがいいんじゃないか。」

彼がこれを言った時、私はずっと自分で手首を切る光景を頭に浮かべてしまった。
現実では、私は痛みに恐怖を感じるはずなのに。もしかしたら、私はこの恋愛の中でどこか自己破滅的な衝動を抱えていたのかもしれない。

彼と出会ったのは私が33歳の時で、誕生日を迎えた今、私は35歳になった。夏から冬、そしてまた秋へと、こんなにも長い年月に思える。
心の中の苦しみは、焼けた鉄板の上に置かれたままだ。

彼の母親は「私と主人も、おそらくそうしてきたんでしょうね。若い時はよくケンカしてたハズなので。子供ができれば、二人はもう喧嘩しなくなるわよ」と言った。
昨夜の喧嘩の最後には、私は狂いそうになった。私が二人分の生活費を負担していれば、関係はこうはならなかったのではと考え、彼の子供を産みたいとまで思ってしまったことがあった。

今この瞬間、夢遊病者のように空港に辿り着いた。
205号線のバス、京都駅、伊勢丹11階の菊川、HARUKA33号、そして関西空港。

スマホでこれらの言葉を打ち込む手がずっと震えている。今度こそ、本当に家に帰らざるを得なくなった。

両親の期待を裏切って安定した公務員の仕事を辞めて中国を離れた時、心の中で両親の庇護なしでも必ずうまくやっていくと決意した。だから、どんなに絶望的な状況でも、両親に助けを求めることはなかった。彼らは今でも私を心配してくれているが。

しかし今回は、結局、傷だらけになって帰るしかない。

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