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ハイボールと古道具


大阪で時々行くバーがある。オレンジを漬け込んだウイスキーで作るハイボールが、とても美味しい。
いつもテンガロンハットを被った老翁のマスター。数十年前、彼がバンドマンとして日本全国を飛び回り各地の酒場でギターをかき鳴らしていた頃に、札幌のサントリーバーでオレンジ漬けウイスキーのハイボールを初めて飲んだらしい。その味が忘れられず、後年バーを始めるにあたってメニューに加えたと言う。

札幌で、その元祖のハイボールにお目にかかることができた。
街をぷらぷら歩いていて、サントリーバーを見かけた瞬間に、その話を思い出したのである(札幌に来ておいてなぜすぐ思い出さなかったのか、全くアテにならない脳みそである)。
店に入ってみると、例のハイボールはメニューになかった。が、系列店にあるかもしれないと、バーテンダーが電話で確認をとってくれたのである。それで数十年前にマスターが訪れたであろう店に晴れて訪問できたというわけだ。
ちなみに初めに訪れた店も良い店だった。わざわざ俺の宿願を叶えるために労を取ってくれた美しい女性のバーテンダーはもとより、店内広く、天井高く、壁がないから路上に直に面していて、気持ちが良かった。
涼しい風を浴びながら、街路を行き交う人々を眺め、札幌はつくづく良い街だなあと思った。道が大きいから、人が遠い。それでいてどこか、光が淡い。
ハイボールは、大阪の店のほうが美味しかった。メニューを盗んだほうが美味しいとは皮肉なことである。
またマスターに会ったらそう言ってやろうかな、喜ぶかしら、と思うが、媚びているみたいになるのも癪なので札幌に行ったことごと黙っておこうか。
珍しいウイスキーを良心的な値段で飲ませてくれるかわりに、こちらを小童と見くびってなんでもないウイスキーを珍品と騙ったりもする人なのである。勉強と思っている。

昔から行ってみたいと思っていた古道具屋が札幌にある。
先日、ようやく訪れることができた。いざ行ってみると、想像よりもなお美しい店だった。美しすぎるくらいだった。
古い物が、年代や使用目的とは無関係に陳列されていた。鉄壺、試験管、鉱石……。
色褪せた物、錆びついた物しか目につかない。器物はあらゆる意味を剥ぎ取られて、ただ古さによってのみ溶け合いながら、其処此処に置かれてあった。

天井から、ひとつの浅い木箱が吊り下がっていた。灰色のドライフラワーが載っている。ときおり微風に揺れる。
その揺らめきに目を取られながら、甘く郷愁に誘われてゆくのを俺は感じた。郷愁。しかしそれは明確な対象を欠く。ただ古さによって繋がる器物たちに囲まれて、いつとも、どことも知れぬ、ぼんやりとした古さに、終わりに、すうっと惹かれてゆく。
店があまりに美しいせいで、物がぼけて見える、と思った。物が感傷に濡れている。
物は物であって、心でない。物の、心に寄り添わぬところを愛する俺は、郷愁に安らぎながら、これは気を引き締めないとなんて、滑稽にも勇み立つような気分で物色をした。

古釘と油壺を買った。どちらにも、場にうまく馴染まない不器用さを見た。

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