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あなたの小説を読ませてください#1 『わ た し / えあのの』


先日 ( といってもかなり前 ) に募集した『あなたの作品を読ませてください』企画の、感想第一弾です。

https://note.com/santei/n/nf9640f0630d4?magazine_key=m0b434438b79b

思いのほか時間がかかってしまいました。
というのも、企画の目論みとして、極めて短い形式がもつ可能性や限界について考えたいと思っていたので、作品評と随伴するかたちで形式についての思考を展開したかったのですが、これがとても難しかった…。
結果として、作品評に専念しました。これからも同じスタイルで書き続け、いずれ総括として形式についても書ければと希望を未来に丸投げします。諦め大事。これがないと書き終えられないので。感想を書くというのに不慣れなせいで諦めるラインの見定めに苦労しました。
あるいは、総括という形ではなく、感想を書く中で芽生えた思索を、感想とは別の独立した文章としてその都度書ければいいなとも考えています。その折にはご一読いただければ喜びます。賞賛あるいは罵倒などの反応をいただけるともっと喜びます。気が向いたら是非とも一緒にああだこうだ言いましょう。
さて、では感想です。独特の方法に貫かれた、底知れぬ不気味さを湛える作品でした。どうぞ。





わ た し / えあのの
http://ncode.syosetu.com/n6496gs/


人影は美しい。それは言葉を失い、内面が消失して、輪郭だけになった存在だから。
誰も人影を見て、人間に対してそうするように、愛したり恨んだりはできない。
幽霊じみた彼ら。
小林秀雄が「何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。」と眺める「死んでしまった人間」に似た、虚ろな彼ら。

⚪︎⚪︎⚪︎

はじめ、作品世界に浮かびあがる三人は、他ならぬ人影としてあったのだった。
三人というより、三つ。
蝋燭の火と、暗がりと、三つ。
それだけがある。
誰にも名前はない。非人間的なほどあっけなく、彼女たちはただ纏う服の色で名指される。
「語る」という特権を持つのは青服の者である。彼女は自らに与えられた状況をつぶさに認識する。
なにかに切迫された彼女は、白服の者を絞殺する。切迫の内実は、詳らかには語られない。なんらかの切迫としか言いようのない、深層の不可視な一つの衝動が青服の者をそうさせた。白服の者は、まるではじめから殺されるべき存在としてそこにいたように、生命を奪われたのだ。
そして青服の者も、理由を明かされることなく、死を迎える。

⚪︎⚪︎⚪︎

二つの死は解釈を拒んでいる。
そこにはただ死が投げ出されて、その内側に分け入ることができない。
いわば真実の死。
解釈とは生の営みである。物事に意味を与えて、秩序に組み込むことである。二つの死は、まるで微塵たりとも生に穢されぬように透明な膜で包まれているかのようだ。
匿名の者たちの、理由の不可視な死。

⚪︎⚪︎⚪︎

青服が「私」という一人称から、状況を認識していた。
その視線が自身の死さえ見届け、果てたのち、今度は一切をすべて微笑みをたたえて傍観していた黄服が「私」として語り始める。確認しておくべきなのは、ここでは「私」は、語るという営みは、特権的ではないということだ。
ここでは、内面を決して語らない、言葉を尽くしながら、しかし言葉を優雅に蕩尽するように、周到になにかを語り明かさないことによって、「私」は、語ることは、ある人格に固有の営みではなく、誰にも代入可能な一個の機能に化しているのである。
われわれは「私」という普遍的な記号に、世界で唯一の、固有の、自己の実存を投げ込もうとする。
しかしここでは「私」を、実存から乖離させる、あるいは実存そのものを消し去ること ( このどちらの操作が行われているかも、われわれには知るよしもないのだ。われわれの前には空虚が拡がるばかりなのだ ) によって、空白の、ただ記号であるばかりの記号にしてしまうのだ。
だから、ここに神秘的な光景が現れる。青服の者と黄服の者が「私」と語り始める時、その「私」はそれぞれに固有であるというより、誰かから誰かに乗り移る霊体のように見える。
「私」が、青服の者から黄服の者に、憑依する。

⚪︎⚪︎⚪︎

黄色い私は笑っています。もちろん声を出すことはありません。ただずっと微笑むだけなのですから。

この「私」に匂う、静かな狂いはなんだろう。
語りの放棄だろうか。
自分がなぜ微笑むのか知らない、いや、知ろうともしていないかに見える。
彼女はおそらくなにかを知ろうとする認識の運動から隔てられている。
だから彼女の視界は冥界のように澄んでいる。
冥界は死者たちが彷徨うから冥界なのではなく、死者の眼に映る世界が冥界なのだというべきではないか?
白服の者は無知という無垢である。
事象を認識し時に解釈しながらも他者の死に斥けられ、遂には自己の死のなかに沈黙させられる青服の者は知ることの挫折である。
黄服の者の微笑はなにも知ろうとしない静止である。

⚪︎⚪︎⚪︎

微笑みこそなにも知ろうとしない者の顔に浮かぶ面差しではないだろうか。
黄服の者はすべてを微笑みつつ眺めたのだった。微笑み以外はいらなかった。彼女にはすべてが、ただそのようにあるに過ぎないのだから。
あの有名な微笑、風景から疎外されていると柄谷行人が言ったモナリザの微笑の、ちょうど対称に位置する微笑がここにある。
ここでは内面が蒸発している。
ここは客体しかいない世界である。
すなわち冥界である。



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