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ジョージ・オーウェルが「傑出した小説」と絶賛。75年ぶりに発見されたドイツ語原本からの初邦訳『日蝕』。

5月31日取次搬入予定、Arthur Koestler(アーサー・ケストラー)著/岩崎克己訳の『日蝕』。描かれた時代背景や、著者アーサー・ケストラーについて、そしてドイツ語原本からの初邦訳に至るまでの変遷とこれまでの邦訳との違い、本書の評価や魅力について、岩崎克己氏による訳者あとがきを抜粋し公開します。

日蝕
Sonnenfinsternis

あらすじ

革命の元英雄ルバショウは、絶対的な権力者「ナンバー・ワン」によりでっち上げられた罪で逮捕・投獄される。隣の独房の囚人と壁を叩いて交信し、自身の半生を追想するうちに、革命家としての自分の行動の正当性に対する確信が揺らぎ始め……。ついには、グロテスクな偽りの罪を「自白」するようになっていく。
スターリン専制下に行われたモスクワ裁判の犠牲者をモデルにした政治/観念/心理小説。


訳者あとがき

 本作は、ハンガリー生まれのユダヤ人作家、アーサー・ケストラー(一九〇五―一九八三)の長編小説 『日蝕(Sonnenfinsternis) 』を、ドイツ語原本から初めて翻訳したものである。
 『日蝕』は、スターリン専制下のソビエト連邦(以下、ソ連と略す)で一九三〇年代後半に行われたモスクワ裁判の犠牲者をモデルとした政治小説である。それと同時に、ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』の系譜を受け継ぎ、政治と倫理の問題をめぐる議論の交わされる観念小説でもある。さらには、全体主義的な体制下の監獄で、一人で戦わねばならなかった孤独な人間の心の動きを丹念に追ったサスペンスタッチの心理小説でもある。作品は主人公の老革命家ルバショウが逮捕されるところから始まり、彼が処刑されるまでの獄中体験に過去の回想シーンがフラッシュバックされる形で進行する。
 ケストラーは一九四〇年三月にこの作品をパリで書き上げた。しかし、その頃すでにナチスドイツによるパリ侵攻が迫っており、ドイツ軍から逃亡する混乱の中で、このドイツ語原稿は失われてしまった。そのため、当時、ケストラーのガールフレンドであった二十一歳の美術学生ダフニー・ハーディが訳した英訳原稿だけが残った。それが一九四一年にロンドンで出版され、いわばそのまま原作に「昇格」することになった。日本でもこの英訳版からの重訳が、戦後まもなく『真昼の暗黒(Darkness at Noon) 』という題で二度翻訳され、二〇〇九年には岩波文庫からも翻訳が出た。ところが、長らく失われたと考えられてきたドイツ語原本のタイプ原稿が、二〇一五年に若きドイツ人文学研究者マティアス・ヴェーセルの手によって、チューリヒのある出版社の資料庫で七十五年ぶりに発見された。
 原作のタイプ原稿は、英語版とはもともと少し内容が異なるうえ、両者を突き合わせてみると、ダフニー・ハーディが訳し飛ばしたり誤訳したりした箇所も多い。特に心理描写などでは、英語版からの翻訳では酌み取りにくかった表現も、ドイツ語の原作を読むと腑に落ちるところが多い。訳者の感想では、ケストラーはこの心理小説を、個々の語彙選択や多くの伏線を含めてかなり緻密に計算して書いており、すべての心理表現が細部に至るまで非常に明快で、その意図を理解して訳せば曖昧にはならない。英語版のもう一つの問題は、原作では非常に明瞭な、ナチスとスターリン体制という二つの全体主義的な体制の並行性を意識させる表現が、しばしば曖昧になっている点である。この作品を、二十世紀に一時期存在したソ連型社会主義やスターリン専制下で行われた残虐行為を批判した反共小説とのみ捉えるのか、それとも、何らかのイデオロギーや理念、あるいは宗教、民族、国家などの共同幻想に基づく理想社会の実現や、それらを共有する既存の共同体の防衛という〝崇高〞な目的を掲げて突き進む政治運動の危険性と呪縛を広く問題としたアンチ・ユートピア小説と捉えるのか。これは、本小説が持つ批判の射程にも関わる重要な点である。こうした事情もあってか、二〇一八年にドイツ語原作が初めて出版されたのに次いで、それを原本に改めて訳し直した英語版も二〇一九年にニューヨークで出版されている。以上が、既に先達による翻訳が数点ある作品を、訳者が今回改めて原作から訳出したいと思った理由の一つである。
 もちろん翻訳を志した最大の理由は、この作品自体のおもしろさにある。すでに、述べたように、『日蝕』は、政治小説であり、観念小説であり、心理小説でもある。
 政治小説という観点で言うと、日本では、この作品は戦後一時期ベストセラーになったものの、どちらかと言うと、当時はまだ実態のよくわからなかったソ連の内実を暴露した反共小説としてのみ読まれ、現在はほとんど忘れられたかの感がある。しかし、後に『一九八四年』や『動物農場』を書いたジョージ・オーウェルは、この作品を「傑出した小説」として絶賛し、『収容所群島』の著者ソルジェニーツィンやケストラーの伝記作者でもあるマイケル・スキャメルも、新たに出版されたドイツ語版に寄せた序文の中で、この小説を評して以下のように述べている。

「 『日蝕』はアンチ・ユートピア小説であり、ザミャーチンの『われら』 、ハクスレーの『うるわしき新世界』 、オーウェルの『一九八四年』 、そしてブラッドベリの『華氏四五一度』と比較し得る。残念なことに、これらはいずれも、今日に至るまでその現実性を少しも失っていない二十世紀からの警告の声である。 」

また、最初に英語版が出た英語圏でも、アメリカの「現代文学社(Modern Library) 」編集部が、英語で書かれた重要小説百選リストの第八位にこの小説を選ぶなど、今でも重要な小説と見なされている。ちなみに、二〇一八年に新たに出版されたドイツ語版も、書籍、音楽、映画などに関するドイツ語圏での著名なランキングサイト「歴代最高傑作(Die Besten aller Zeiten) 」で、同年に出版された他の十四冊の小説と並んで、二十一世紀に出版された小説ベストランキングの中に選ばれている。
 さて、この作品の直接の背景には、すでに述べたようにモスクワ裁判がある。また、ケストラーがこの作品を書くに当たっての直接の問いは、ロシア革命の指導的メンバーであり、いわば筋金入りの共産主義者であったブハーリン、カーメネフ、ジュノヴィエフ、カール・ラデックらの被告たちが、なぜ一様に、自分たちが犯してもいないグロテスクな犯罪を自ら進んで認めたのかということだと言われている。実際、主人公のルバショウも、その外見と性格はトロツキーとカール・ラデックを、思考方法はブハーリンをそれぞれモデルにしたと著者自身が旧ドイツ語版のあとがきの中で述べている。しかしその一方で、ドイツの地方都市の党細胞リーダーのリヒャルトやベルギーの港湾地区党幹部レーヴィと主人公ルバショウとの関係など、小説の中で語られる主要なエピソードは、むしろ中堅活動家としての体験を思わせ、一九三一年に共産党に入党し、ナチス政権下でソ連の諜報員として非合法活動をしていた時代のケストラー自身の体験や見聞が基になっている。また、リアルな獄中体験の描写なども、実際にスペインで右派のフランコ政権軍側に逮捕、投獄され、死をも覚悟せざるを得なかった作者の実体験が反映している。その意味で、モスクワ裁判の犠牲者に仮託しながらも、その重点は、自らが正しいと信じ命懸けで行ってきたこれまでの活動の何が問題だったかを、改めて問い直すことにあったように思われる。
 ソ連型の社会主義は、二十世紀最大の政治的実験と言われ、多くの血の犠牲の下に成立し維持されたが、それは、共産党の一党独裁のもとで作られた中央集権的官僚体制とそれに寄生する一部の特権階層(ノーメンクラトゥーラ)を生み出しただけで、経済発展や基本的な生活レベルの向上という点でも資本主義の自由市場経済に完敗した。残ったのは、物不足の恒常化と社会活動全般の停滞、および個人の自由を抑圧する閉塞した社会のみで、その多くは一九九〇年前後に自壊した。そうした現実を歴史的な事実として既に確認済みの今日の私たちにとっては、当時の人々が、なぜ社会主義にそれほどの魅力を感じたのかを心理的に追体験することはむずかしい。しかし、ヤン=ヴェルナー・ミュラーが『試される民主主義』 (上巻岩波書店、二〇一七)の序章で「イデオロギーの名のもとに作られた制度の多くが、救いようもなく時代遅れだと思われた自由主義の諸制度よりも、遙かに優れた機能を確実に発揮すると、多くのヨーロッパ人は信じていた」と書いているように、剥き出しの市場経済の下で一部の特権階層と大多数の貧困層の差が歴然としてあった時代には、資本主義から社会主義への転換は歴史的必然であり、社会主義経済の発展こそが人類に貧困と抑圧のないユートピアをもたらし、それを担う唯一の前衛である共産党は歴史の意志を体現した絶対的な存在であるというイデオロギッシュな主張には、抗いがたい魅力があった。獄中のルバショウの述懐の中にも、ロシア革命により、誰もが「ユートピアへの門が開かれ」たと思ったという記述がある。だが、そうした理想社会実現という目標を掲げながら、当時のスターリン専制下では、秘密警察と密告の助けを借りた恐怖政治が続き、農業集団化の過程で人為的に引き起こされた大飢饉ホロドモール(一九三二―一九三三)により数百万人が餓死し、大粛清(一九三〇年代)により百三十万人以上が犠牲となっていた。また、各地に作られた大規模な強制収容所ではのべ数百万人の人々が非人間的な条件の下で強制労働を強いられ、(一九三〇年代―一九五〇年代)、ソ連一国の利害を優先するあまり国際的な労働運動や平和運動に混乱をもたらすような裏切り行為(独ソ不可侵条約調印、第一次ソ連・フィンランド戦争など)も行われた。それらの多くは作品中で、直接的あるいは間接的な形で繰り返し言及されているが、この理想と現実の差が大きければ大きいほど、こうした運動に身を投じた者にとって問題は深刻であったであろう。

(中略)

 死を前にしたルバショウの、「(論理的な一貫性を持って)すべてを最後まで考え抜くのは、おそらく人間には向いていないのだ」、「人間は、そうするには若くて危なっかしすぎるのだ」という切れ切れの述懐は弱々しく響くかもしれない。しかしその中にこそ、〝崇高〞な目的を声高に掲げて突き進む政治運動の魅惑に引き込まれないための鍵があるようにも思える。いずれにせよ、作品の中では、ケストラーが問うた問題の答えは出ていない。

〇著者紹介 Arthur Koestler(アーサー・ケストラー)

1905 年ブダペストに生まれ、1919 年以降ウィーンで育ったドイツ系ユダヤ 人作家。1983 年ロンドンで自死。1931 年に共産党に入党しソビエト各地を 旅行。パレスチナ、パリ、ベルリンでジャーナリストとして活動。1936 年に 英字紙の特派員として内戦中のスペインに派遣。翌年、右派フランコ軍によって投獄されるも、イギリス政府の働きかけで釈放。1938 年に共産党を離党後、「モスクワ裁判」の被告たちをモデルとした本作『日蝕』を 1940 年にパリで書きあげ、ドイツ軍のパリ侵攻から逃れてロンドンに亡命。逃避行中の混乱の中で原作は失われ、英語への翻訳版だけが残る。戦後『真昼の暗黒』という題 で何度かその英語版からの重訳が出たが、2015 年に 75 年ぶりにドイツ語原作原稿が発見される。初期の作品:『スペインの遺書(Ein spanisches Testament 1937)』、『奴隷戦争(Der Sklavenkrieg 1939)』、『日蝕(Sonnenfinsternis 1940)』(ドイツ語で執筆)、『出発と到着(Arrival and Departure 1943)』、 『夜の泥棒(Thieves in the Night 1946)』(英語で執筆)など。

〇訳者紹介 岩崎克己(いわさき かつみ)

1959 年生まれ。金沢大学文学研究科修士課程修了。福井大学教育学部助教授 を経て、現在広島大学外国語教育研究センター教授(博士)。主な研究領域は、ドイツ語教育、ドイツ文化事情。著作:『日本のドイツ語教育と CALL―その多様性と可能性―』(三修社 2010)、Wortschatztest zu 100 Grundverben an einer Universität in Japan(Neue Beiträge zur Germanistik Nr. 159 2020) など。

『日蝕 Sonnenfinsternis(ゾンネンフィンスターニス)』は2023年5月31日取次搬入予定。ご予約受付中です。


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