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明治大学山岳部創部100周年記念祝賀会に参加して(「山桜通信」52号)

当会も2019年に100周年記念式典を開催したが、ここ数年各大学山岳部の100周年が目白押しである。今号以降、その式典の内容をリポートいたします。(編集部)

学習院大学山岳部 昭和48年卒 絹川祥夫

折から、神田明神の祭り、神輿が通りにくり出した5月14日、明治大学山岳部創部100周年記念祝賀会がお茶の水は東京ガーデンパレスで挙行された。ちなみに山岳部設立は大正十一年(1922)五月三十日である。

出席者は、明治大学関係者は勿論のこと、山岳界関係者、そして関東を中心に北は北海道大学から西は関西学院大学まで、全国の多彩な大学山岳部OB等総勢200名が参席した。学習院山桜会からは福岡孝昭、藤大路美興、そして絹川の3名が出席したので、当日の会の様子をここで報告しておきたい。

会は大学関係者、来賓のJAC古野会長による祝辞の後、思い思いの懇談となり、懐かしい往年のクライマーたち、明大の猛者たちと交歓の輪は広がり和気あいあいと語り合った。

その中で大学OBやJACの方々、70年代のヒンズークシシュ・カラコルムを知る人たちから山桜会元会長の贄田統亜さんが亡くなったことを惜しむ声があった。また、藤大路さんによれば、山岳図書の処分は、どこの山岳部も困っているとの相談話、北大からは板倉祭はどうするのかとの質問があったそうだ。また女子炉辺会員から山桜会柴田・丸山OGとの楽しい話も出たそうだ。絹川の私事になるが炉辺会の根深さんとは、お互いにヒマルチュリ敗退の話や彼のホームグランドである白神山地の話と旧交を温めた。

その後、映像で見る「100年のふみあと」がスクリーンを使って紹介解説があった。そこで光るのはやはり、明治の高所登山、特に8000m峰の登頂である。明治大学山岳部は創部80年を記念して8000m峰14座の完登を目指した「ドリーム・プロジェクト」を立ち上げた。1970年の植村直己さんのエヴェレスト登頂から始まり、最後に残されていたアンナプルナ1峰を2003年5月に登頂して成功の裡に完結させている。この33年間に及ぶ14座登頂の記録は『登頂8000メートルー明治大学山岳部十四座完登の軌跡』(谷山宏典・炉辺会会員、山と渓谷社)という1冊の書籍にまとめられている。

記念品の、『炉辺 第11号 創部百周年記念号』の「第4部山逝った岳友たちの墓碑銘」と題された中に、右川清夫さんの弟さんが、1959年(昭和34)夏山合宿、南アルプス全山縦走中、体調を崩し緊急下山したが急性腎臓炎で死亡した報告がある。右川さんが今日でも山桜会の山で亡くなった後輩たちに追悼を続ける所以はここにあったのだとあらためて知ることになった。

会は最後まで友好の輪が絶えることなく、部歌・校歌斉唱して盛会のうちに閉会した。

現役部員について少し補足しておこう。8000m峰14座に登った人数が24名を数える明治だが、1980年代半ばからは断続的に部員不足、学年欠員など悩み続けている。時に10名を超えるときもあったが部員数は絶えず一桁で推移、スポーツ推薦による効果も厳しい。そしてコロナ禍である。活動の禁止、自主トレなどで活動を何とか続け、徐々に合宿山行、強化養成、日々のトレーニングと充実させているが、如何せん現役部員5名以下と部員不足の危機は脱出できていない。しかし、今秋、現役部員を中心にヒマラヤに出かけることになっている。

決して他の大学山岳部と比べてはいけないが、明治の海外登山からは学ぶべきことは多い。山高きが故に貴からずではあるが、高さの持つ魅力は絶大である。是非、山桜会でも高所登山に出掛けてもらいたい。

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