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「学習院登山史Ⅱ」の現状報告とお詫び(「山桜通信」52号)

学習院大学山岳部 昭和33年卒 芳賀孝郎

2019年の「学習院山岳部100周年記念式典」に発行予定の「登山史Ⅱ(仮称)」の発行が大幅に遅れたこと、編集責任者としてお詫びを申し上げます。

現在今年の秋には完成するように編集委員会一同は鋭意努力しております。

「登山史Ⅰ」は2006年「山桜」特別号として1887年~1953年までの旧制中高等科山岳部から新制学習院大学山岳部までのコア・パーソンを中心にした登山記録を見事に編集された。

その後の登山史Ⅱの第一回の編集会議は2008年10月に開いて、既に15年近くの年月が経過。且つ70回以上の会議をしてきた。最初の会議は故井ヶ田傳一宅で、後の5年は故贄田統亜宅で行われた。その後は学習院百周年記念会館の会議室で行ってきた。コロナ禍からは、百周年記念会館を利用することができなくなり、編集会議は、加藤洋新会長の勤務する会社の会議室で行っている。

今回の登山史Ⅱ(仮称)の編集は学習院補仁会山岳部の100周年とするにあたり、学習院大学山岳部のみではなく、学習院高等科山岳部・女子高等科山岳部・女子中高等科野外活動同好会・女子短期大学山岳部・女子短期大学ワンダーフォーゲル部・女子大学ワンダーフォーゲル部・女子大学観光部・大学スキー部・大学ワンダーフォーゲル部・大学あるける同好会・大学竿友会同好会・大学探検部を含めたオール学習院の「山登り」となり、その資料収集に困難を極め、時間を要した。

遅れた主な理由は下記の事が考えられる。

 部報「山桜」は1955年の鹿島槍ヶ岳天狗尾根の遭難を反省して発行された。現役部員の山に対する考え方と登山報告、先輩の遠征記録及び登山記録、随筆等を掲載した。これらによる先輩と現役の交流、大学への報告、父兄への連絡報告が目的であった。

 「山桜1号」は、鹿島槍ヶ岳遭難の2年後の1957年に現役部員の後藤登(昭和35年卒)の編集で発行された。「山桜2号」は1962年に同じく木戸武志(昭和37年卒)の編集で、「山桜3号」は1965年に同じく檜山栄司(昭和40年卒)の編集で発行された。「山桜4号」は3号の28年後の1993年にようやく発行された。その編集は現役部員ではなくOBの永田秀樹(昭和53年卒)が編集した。部報が継続して発行されなかったことは、先輩の一人として後輩の指導に問題があったと反省している。

そして、登山史Ⅱ(仮称)を発行する前に「山桜5号」を発行する計画であったが、2015年2月に八ヶ岳・阿弥陀岳での遭難事故で延期となり中止した。「山桜5号」に掲載予定であった1992年以後の山岳部の活動報告も抜けているところが多々あり、調査とまとめにも長い時間を要した。

その間に刊行物を待ち望んでいた先輩の舟橋明賢、芳野赳夫、橋本實の他、井ヶ田傳一、贄田統亜、後藤登らが亡くなった。完成をお見せすることが出来なかったことは誠に残念であった。

もう一つの遅延理由は、編集委員の努力で資料の収集を終えたところで、2019年に世界的なコロナ問題が発生。大学の施設が一切使用できなくなり、編集会議は事実上開催不可能になったことである。

現在の編集会議は加藤洋新会長、松坂淳二、高橋雅彦、平澤信一、伊藤秀明、岡田光正らがほぼ毎週集まり、収集された多くの記録、随筆、写真等の資料から編集に必要な選択作業をしている。若き編集者は、今までの山岳部報パターンから脱却したユニークな新しい編集に取り組んでいる。一般の多くの人が見たい、読みたい登山史Ⅱにしたい意向のもとに現在作成中である。

山桜会会員の皆様ご期待下さい。

尚高価な本の為に資金不足が予想されます。その時は会員のご理解とご協力と登山史Ⅱの販売もよろしくお願いを申し上げます。
2023年5月記 

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