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学習院女子高等科山岳部夏山合宿の思い出(「山桜通信」52号)

学習院大学山岳部 昭和42年卒 藤井恭子

高二の時友人に生藤山への山行に誘われて、軽い気持ちで参加し、そのまま山岳部に入部したようだ。毎月か隔月だかに奥多摩や都内から近い所に行った。男子部の山岳部と合同で行ったこともあった。川苔山に行った時は体調が悪く、男子部の岡崎博之先生に付き合っていただき、すっかりお世話になった。奥多摩の鷹巣山へは数回行ったが、下山の時は電車の時間に間に合わないと走り降りた。

部活動の中で最も印象深いのは私にとって最初の夏山合宿(一九六一年七月二十六日〜二十九日)である白根三山縦走だった。日本で二番目に高い山である北岳はその時は三一九二メートルだったけれどいつの間にか一メートル高くなっている。間ノ岳、農鳥岳も三千メートルを超えており、子供の頃に蓼科山に登った経験しかなかったので凄いことだった。後に富士山も登ったので、日本一、二の山を登ったことは、私にとっては秘かに自慢である。

合宿初日に広河原からずいぶん長いこと歩いて山道に入ったと思ったら傾斜は急になり、自分を大丈夫と勇気付けて歩いていた。疲労が増した人もいたので二班に分かれ、食事当番だった私は先に御池小屋に向かった。後からの人達も到着し、全員揃った時は薄暗くなっていた。山小屋というのはランプが下がっていて、ロマンティックな雰囲気があるのかと思っていたが、暗く殺風景なので驚いた。翌日からも天候に恵まれ、間ノ岳の頂上付近には広いところがあり、ゆっくり休み写真を撮った。農鳥岳を経て西山温泉に降りた。この時は、皆降りたら食べたいものを言いあっていた。

翌年高三の時の夏山合宿(七月二十一日〜二十五日)は後立山連峰縦走であった。八方尾根から入り、唐松岳から始めた。鹿島槍ヶ岳へ向かう途中、八峰キレットで事故があったと聞き、慎重に注意深く渡った。確かに落ちたら恐ろしい所だった。無事に通過し、鹿島槍ヶ岳の雪渓で遊び、その日は冷池小屋に宿泊、登山ブームの始まりだったのか小屋は満員状態であった。前年の南アルプスの小屋とは大いに異なった。翌日は爺ガ岳の裾をまわって針ノ木小屋へ着いた。ここまで来ると小屋は空いていた。針ノ木小屋での夜に空を見上げると、満天の星だった。「なんと素晴らしい星空」と大感激し、また来たいと思ったことが忘れられない。

この山行では、目前の剱岳の雄大な姿に圧倒されていた。大学生になってから、いつか行ってみたいと中島右智さんに言ったら、連れて行ってあげると言ってくださったが、叶わなかった。大学一年の時には女子部の夏山合宿(七月二十八日〜三十一日)甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳行きに参加した。三千メートル級の山々に登ることが出来たのも山岳部に属したお陰である。

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