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光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)④

学習院大学山岳部 昭和36年卒 熊野將

我らがハイマート(その2)


 十六年六月十四日に来舎した櫻井信雄、南部信克などは現状の問題点を挙げている。 「ノミ退治、ゴミ捨て場露出、水の便悪し、便所汚く臭気ひどし」とか。 「帰る時の掃除悪く、蒲団の綿を出したり、毛布を持ち帰るなど(後略)」と記され、管理者(牧場)の管理者責任云々の記述が小屋日誌に見られるようになった。 それでも学校生活を終え、戦地に向かう前にもう一度と、この小舎の雰囲気を味わいに来るメンバーもあり、時局の流れが小屋日誌に伺えられるようになってきた。

 十七年二月初旬に来られた榊愛彦氏は、卒業を前に最後の小舎行きとして「あまり小舎に来なかったが、それは私にとっては小舎よりも北アルプス、三ッ峠の方がより技術的な練習場と考えられたからである。 しかし、今になって考えてみると、中学二年~三年までの間にここで基本的なことを覚えてから北アでも、どこでも行けばよい。 この小舎では岩や氷に憧れた私にとって技術的な満足感を与えてくれなかった。 然し、その代わり、心の糧を与えてくれたのであった」と日誌に書き残している。

 この頃より、物資の欠乏から小舎生活も楽ではない記述が見られるようになる。

(※)光徳小舎
山岳部では設立時から「舎」という文字を使っている。現在正式には「学習院光徳小屋」です。このエッセイでは、執筆者(故人)の考えを踏まえて敢えて「舎」で統一いたします。

「光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)③」から

「光徳小舎三代の流れ(100年の自画像)(原文)⑤」へ

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