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好きなことを仕事にして休職するまでの話#3 建築が嫌になった |高専前編

#1から読んでくれている方へ、長文な自己紹介をここまで読んでくれてありがとう。私の記事を初めて読んでくれた方へ、はじめましてサノツキミです。
高専の具体的な生活は、また別のところで話すとして…
今回は高専で過ごした濃密な5年間での、建築に対する気持ちの変化を綴ろうと思います。

覚悟と決意

晴れて高専生となった私。

高専での授業は1コマ90分、午前と午後で2コマずつ1日4コマの授業構成だった。中学が50分授業だった私は、さっそく初日の授業から、頭がこっくりこっくりと船を漕いでいた。
国語の先生はおじいちゃん先生で、「眠い時は5分だけこうやって肘ついて顔を隠して寝るんですよ〜」と、授業中に上手く寝るコツを教えてくれた。
その先生が当時の副校長だと知ったのは、それから1年経過した頃だった。

1年生の頃、主な授業は国語や数学といった一般科目がメインで、技術的な専門授業はとても少なかった。週に2コマほどだったかな。
私は専門科目がとても楽しみで、毎週授業のある曜日が待ち遠しかった。

初めての専門授業の日。
建築学科の先生方が教室に勢揃いし、自己紹介と担当授業の説明をしてくれた。私の恩師S先生はその時、これからの学校生活と将来に対して期待いっぱい夢いっぱいの私たちに、
「この中で将来建築家あるいは設計事務所に入りたいと思う人はいますか」
と問いかけた。
クラスメイトの半数くらいが手を上げていたと思う。
S先生は私たちの様子を少し見た後、
「おそらく今手を上げたうちの10分の1さえ、卒業時に同じ気持ちでいられる人はいないと思います」と言った。

この言葉の意味は今後設計に関わるうちに痛感することになるが、当時の私はその言葉を聞いて、この先に対する少しの覚悟とちょっとした反抗心で、
「私は絶対に設計の仕事するからな」と心に誓った。

初めての住宅設計

初めて設計をしたのは1年生後期、小規模な木造住宅の設計だった。

設計課題では、設計する上でのいくつかの条件が与えられる。
立地や法令情報、家族構成や将来像、住宅の面積などなど。

与えられた条件の中で、施主(建築の依頼者)が最も気持ちよく過ごせる家を想像して、パズルをはめるように最適解を模索しながら図に起こす。
そして図に起こしたものを模型として立体化する。
模型作りにも建築設計ならではの工作手法、専門の材料や道具があり、それらを使いこなすのが楽しかった。

初めて模型を作ったのは1年生の冬休み。
寮生だった私は実家に一時帰省していた。
年末年始の朝から深夜まで、実家の自室に引きこもって何度もイチから作り直した。模型が完成した時は心の底から嬉しくて、家の階段を駆け降りて、リビングにいた両親に解説しながら見せたのを覚えている。

工作と描くことが大好きだった私にとって、高専での体験はどれもが刺激的だった。入学してから日が経つほどに、「建築の仕事に就きたい」と強く思うようになっていた。
この時の私は間違いなく建築が大好きだった。

「好きなこと」のはずなのに…

まるで恋愛エッセイのようなタイトルになってしまったが、高専3年生後期、私は建築を嫌いになった。正確には嫌いになりかけた。

2年生までは、S先生が設計授業の教鞭をとってくれていた。
建築の授業は心底大好きだったが、設計が得意とはいえなかった私は、とにかく先生に助言を聞きまくった。
そして10名ほどいた建築学科の先生の中でも、特に厳しいと学生内で話題だったS先生に狙いを定め、「高専ではこの人について行こう!」と決意していた。

しかし、3年生ではS先生の設計授業はなかった。
もちろん、3年生の時も設計担当の先生に沢山助言を聞いた。だがその先生はとても優しかった。優しすぎたのだ。
「これいいね」と褒められることが多く、私は自分自身で改善点を見つけることができなかった。過去の自分はS先生に甘えすぎていた。自分1人では何もできなくなっていたのだ。
毎週の授業でいい方向への修正ができず、納得ができないまま時間だけが過ぎていった。

より良くしたいのに、何がダメなのか、どうしたらいいのか分からない。
意欲のコンパスをどこに向けたらいいのか分からない。
次第に周りと自分を比べることが多くなり、「もっとみんなにかっこいいと言われるような、目を引くものを作らなくちゃ」という気持ちが強くなった。

設計はアートではない。既定の与条件や建物が建つ土地の状況を見ながら、専門知識を使ってより良い方向へと解いていくことが大切なのだ。
特に学校の設計課題では「自分が考える最適解を導くこと」が最も重要だった。(これは自論)

しかし私は他人と自分との差に焦りを感じ、納得するアイデアを出せない自分自身がどんどんと嫌になっていた。
建築雑誌を読み漁って世界中の偉大な建築を知るほど、
課題が終わってクラスメイトと作品を見せ合うたびに、より強く。

同時に建築に対する熱意も急激に冷めていった。
冷えていく熱意と反比例するように、3年生から急激に増える専門授業。
授業時間が増えたことで、設計課題の提出スパンも短くなった。
どの設計も納得できないまま中途半端に課題を提出し続け、それらを「自分の最適解」だと伝えるのが辛くて惨めだった。

嫌いな食べ物を無理やり口の中に入れられるような嫌悪感、
「あんなに好きだったのに嫌いになったのか」と自分に対する動揺。

たいてい本気で取り組んだ時は、何かそういった時期があるんだろう。
しかし飽き性な面があった私は「そういった時期」を前にしたとき、嫌いになる前に全て放り出してきた。嫌いになったときの乗り越え方を知らなかった。

「建築」は間違いなく私がそれまでで最も熱中したものだった。

「このまま建築を嫌いになってしまうのか」
「人生最大の好きなものを失ってしまうのか」と、
当時の私はひどく恐ろしく、悲しくなったのだった。

あとがき

人生最大の好きなものを嫌いになった(かも知れない)時の話でした。
この頃は授業が憂鬱で遅刻・欠席気味でした。
でも高専の寮生活は好きでした。寝る前に寮の談話室で映画を見たり、UNOをしたり、タコパしたり。
毎晩夜更かしして2時頃に寝て、始業の8:50に教室に滑り込む生活でした。
寮生だったことが、この頃の私の支えになっていたのかもしれません。
建築が嫌な時期も「高専に入らなければよかった」と思ったことはありませんでした。

建築はこの後また好きになります。

続く

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