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ブックオフ「太宰治全集」山積みの衝撃

まず季節のご挨拶から。
カルロスゴーン逃亡以来、テレビにしばしば登場する森雅子法務大臣、彼女、なかなか可愛くないですか?
読者諸氏(中年男に限る)におかれては大坪寛子厚生審議官の方が、というお話もあろうかと思いますが、大坪さん、今はウイルス対策の激務にいそしんでおりますゆえ、何卒!(何のこっちゃ)

1、朗読CD

さて、暇なときなど、時折図書館に通っている僕なのだが、そして時々図書館に通っているというやまパンちゃんとはどうしても遭遇しないので、偶然という神様に見放された感にうなだれつつ、それでも僕は本や雑誌を、読んだりして数時間すごすのである。(私信→やまパンへ、図書館デート強く希望!)
と、先日、不意にひらめいたのである。
 この図書館、CD も少し並べていたよな。もしかしたら近代日本文学の小説を朗読した物があるんじゃないだろうか。
館内をうろついてみると2階の隅のあたりにCDコーナーはあった。コーナーの中心を占めていた落語の脇にある棚の幾段かにそれはあり、早速何枚かを選んで2週間の貸し出しを受け、自宅へと急いだ。
家に着いてもさて、CDプレイヤーがない。やむなく古いパソコンを出してきてスロットにいれやっと聞くことが出来た。
太宰治「人間失格」「富嶽百景」「家庭の幸福」「桜桃」
梶井基次郎「檸檬」「交尾」「ある崖上の感情」
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」
今聞いているのは太宰治「東京八景」である。

私の私淑する、太宰、梶井、それと宮沢賢治。文字を追うのではなく言葉を聞くという所作はまた不思議な感覚であったというのが、まずの感想。朗読も仲代達矢、寺田農、唐十郎、あたりなので聞いていて心地よく、のめりこんでしまうのである。また作家毎の文体の違いに気付き易いというのも自分なりの副産物としてあった。日本近代文学界で希有ともいえる美文を作る梶井基次郎の「檸檬」などは一語一句と逃すまいと真剣に耳立てる。
さあ、結果はどうだろう。
「危ない」のである。
Bluetoothイヤホンをして聞きながら、道を前のめりに歩く私は、実はほとんど世界を見ていない。道路を見ていない、視界が情報として脳に届いてはいない。心ここにあらず、である。「あたしの話、ぜんっぜん(全然)聞いてない」と妻も極端に嫌がる。危ないのである。ケガしなくて良かった。
朗読CDは、ながら聞きはすべきではないというのが今回の結論なのであるが、心残りは梶井基次郎「城のある町にて」のCD がなかったことだろう。いやカセットテープでならそれもあるにはあったのだが、例え借りても我が家にはそれを鳴らすカセットプレイヤーがすでに一台もないのである。今時、カセットデッキ(プレイヤー)ないですよね(笑)

2,ブックオフにて

私は最近のある日、それはやまパンにフラれて(3回目)自暴自棄になり、昼から飲んでしまって、それでも家ではする事もなく、やむなく歩いてブックオフに行ったのだった。
ブックオフは天気が悪い勢か空いていて、アダルトDVD コーナーも落ち着いて見学でき(笑)、その後2階へ移動した。一通りパトロールしたのち歯抜けになった全集本など並べてあるコーナーへ向かった。ふむふむ、まあ買うほどでも。
そしてなにげに目線を落とした先には・・・床に置かれたプラスチック箱の中に、水上強全集とともに詰め込まれた太宰治全集があるではないか。
もしや、もしやの岸壁の母、そっと手にとって中をあけると、、、がーん。まさに私が持っている昭和50年51年ころ筑摩書房から発行された全集、そのものではないか。勿論初版本!しかもオレの持っている全集より全体の程度は良いと来てる。日焼けがしていないのだ。パラフィン紙も破れていない。つまり本を箱から出していない証拠ね。

「ひ、ひどい!ひどすぎる」
これが正直な感想。そしてやや考えて
「す、すごいな」
つまり僕は考えたのだ。僕が必死に買い揃えていたのは、横浜有隣堂書店。今住むこのサル王国たる山国で、僕と同じ事していた人がいた可能性があると言うことに驚いてしまったのである。多分じいさまなんだろな。田舎中学の国語の先生とみたがどうだろう。その先生、最近死んじゃって、四十九日も過ぎ、遺された家族が処分に困って、先日ブックオフに持ち込みました、という想定はいかがだろうか。近からずとも遠からず。
以前からブックオフに時折すげえ本(個人的な主観だけど)が並んでいることがあって、こんな本買って持ってたおっさんが近くにおるんか?と気になり、店員に聞いてみたことがある。他の店との間で本を融通する事はあるのか、と。
問いに対して店員曰わく。「原則その店に持ち込まれた本をその店で開陳しており、融通しあうことはまずない」と。つまりは僕と同じ太宰治全集を最近まで持っていたじいさまが、僕の近くに住んでいた、という証明になりはしないか、という事だ。そこに驚愕したのだ。もしご存命ならじいさまにあって、筑摩書房版「太宰治全集」を買いそろえた、そのいきさつなどをを聞いてみたい。
そうして、私はその場で佇み、悩んだ。こうして目前にあるこれらを買うべきか否か。一冊210円である。信じられない安値だ。買っても惜しくはない値段だ。
ただし、言っているように僕の部屋には同じ全集が一揃えあるし、常時読んでいる電子書籍においては、2種類の太宰全作品集をタブレットに入れてあるのだ。

「ちょっと要らないのだけれど、うんと欲しい」
迷える乙女心。
「ああ欲しい。うんと欲しい。でも要らない、絶対要らない、あっても困っちゃう」
そんなおとめごころ♥なのであった。

さあ、乙女心と言えば、最近のやまパンちゃんは僕に対して、時々強気のメールをしてきて、気の小さい心の細い僕などは子犬のように鳩のようにプルプルと震えてしまう。というのはウソで、そんな強情な生意気な、一筋縄ではいかない女、けっして嫌いではないので安心してください。彼女の身体から発している「甘い、たまらなくいい匂い」にフラフラと吸い寄せられている僕ですから!