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#家族について語ろう「告白」6

(まえがき)

約三十年も前の出来事なので、差別的な表現や不快な表現を含みます。まだバリアフリーという言葉が日本になかった頃の話しです。ご了承下さい。




しつこく鳴り続ける電話に
「もしもし?」
恐る恐る出た私を受話器の向こうの母が、いきなり怒鳴りつけた。
「沙希に何をしたのー?!」
三歳でこの実母と別れた私は、記憶の中で母に叱られたのは、この時が初めてだったと思う。
母は意味もなくヒステリックに子供を怒鳴るような人ではなかった。

「何って、何もしてないけど……」
「家中、グジャグジャよ!!沙希が沙希が…」

その後は嗚咽で言葉にならない。暫く私は母の泣き声だけを黙って聞いていた。
「…とにかく今から直ぐに来て!!」
「分かった、家に行けばいいのね?」
「ううん、〇〇病院に居るから」
「えっ…」

驚いた声を上げたが、心の中では
(やっぱり)
と思っていた。あの妹の姿は常人の物ではなかった。当時の〇〇病院は地元では有名な精神病院だった(現在では心療内科が併設され閉鎖的な感じはかなり無くなってきたと思う)
「〇〇病院の待合室に居るわ、直ぐに分かるから。結花も必ず連れて来てね」
「分かった」

誠司は昨夜、自宅へ送り返した。
私の安アパートのこたつで疲れ果てて眠っているのは、結花と志郎の二人だった。
私は大声で二人を叩き起こした。
「起きて!早く起きて!直ぐに出掛けるから!!」
眠い眼をこすりながら、志郎が上半身を起こした。
「えっ?何処へ行くんですか?」
結花は眼だけを開けて寝たままの体勢で、不安そうに此方を見ている。
「〇〇病院へ行くの。お母さんに呼ばれたの。沙希が多分其処に居る」
「お姉さん、〇〇病院って」
「そう、精神病院」
「……」
志郎も多分、私と同じ思いを抱いていたと思う。
「お姉ちゃん、私も行かなきゃいけない?」
結花はまだ昨夜の恐怖を引きずっているらしい。
「どうしても行かなきゃいけないらしいの。さぁ、早く支度して」
さっきの母の気配から察するとグズグズしている暇は私達にはなかった。最低限の見た目だけを整えると三人でまた私の車に乗り込んだ。
朝日を浴びて昨夜の雨の滴が残ったポンコツプレリュードがブルルンと低い悲鳴をあげた。

志郎を家に送り届け、一言も口を開かない結花と共に「絶対に行ってはいけない」と幼い頃から言い聞かせられていた病院への坂道を登った。
春の芽吹きが感じられる病院の敷地内を歩行のおかしな人々が数人、散歩しているのが見えた。どの顔にも表情というものが感じられない。背中を曲げて歩く人の群れが攻撃を仕掛けないゾンビのように私には感じられた。
入り口近くの駐車場に車を停めるとハンドルを握る自分の手がぶるぶると震えていることに気付いた。私は大きく息を吐いて呼吸を整えると助手席で押し黙っていた結花に声を掛けた。
「行こう」
「うん」
今まで無言だった結花は、自分なりに心の整理をしていたらしい。私達二人は怯えながら並んで病院のドアの中へ入って行った。
広いが薄暗い灯りの待合室に母や義父、親戚数人が長椅子に座っていた。たまたま、その日は日曜日だったと記憶している。急患の患者以外の受け付けはしていなかった。つまり其処に集まっていたのは、我々血縁関係にある者達だけだった。
私達の到着に気付いた母が、顔を上げて力なく言った。
「よく来てくれたね」
その顔には赤い引っ掻き傷が縦横無尽に付いていた。
「うん」
頷く私の隣で
「沙希姉ちゃんは?」
結花が声を上げた。
「まだ処置をしているらしいのよ」
さっき私を怒鳴り付けた母の勢いは、もうどこにもなかった。
「沙希の口からアルコールの匂いがしたから、あんたが飲ませたんじゃないかと思って…ごめんね」
「あれはチョコレートの匂いだよ」
結花が私を庇うように言った。
「アルコールの発作だったら…と思って」
最悪の状態の中で母親の一縷の望みだったのかもしれない。
自分の産んだ娘が獣のように変わった事への何でもいいから「外的要因」が欲しかったに違いなかった。アルコールでも薬物でも、何でもいいから取り除けば元へ戻れるような…そんな原因を追求していたのだろう。

親族は下を向いたまま押し黙っている。誰も口を開こうとはしない。口を開いたら誰かが傷つくのを恐れてか、その場に相応しい言葉を見い出せないのか。
母の姉(私の伯母)が、時折り
「大丈夫だよ」
気休めに母の背中を擦るが、重苦しい空気の中に白々しく浮ついて聞こえるだけだった。


バタンッ
ドタバタ……

沈黙を破ったのは沙希だった。大きな物音と共に処置室の扉から4人の男性に羽交い締めにされて出て来た沙希は、暴れ続けながら、
「ガーーーー!ウォーーーー!」
人間の言語ではない雄叫びを上げている。
物凄い力に男性達は弾き飛ばされ蹴飛ばされ、一人が噛みつかれた。
「ぎゃっ」
その様子を見て、更に追加の男性職員が加わる。
医師は背後からそっと近づき沙希の尻に注射を打った。
私達の前には安全の為かロープが引かれていた。
「ペッ」
沙希は噛みついた時に出た人の血を床に吐いた。
「沙希ちゃーん、お母さんだよ、分かる?沙希!」
よろよろとロープぎりぎりまで歩み寄る母を義父が止めた。
医師はまた一本、私達の前で注射を打った。
(オオカミ!)
あの時、私は本当に自分の妹が狼のように見えた。
医師は静かに首を振った。
「牛に注射するくらいの量の鎮静剤を打ちました。これ以上は…」
床に取り押さえられ、少しだけ大人しくなった沙希は4人掛かりで運ばれて行った。
「ガーーーー!ウォーー!」
獣の雄叫びと共に病室への扉が開かれ閉まった。
再び、凍りついたような静寂が私達を包んだ。




つづく










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