#家族について語ろう「告白」4

当時の私の実母は昼は化粧品のセールス、夜は知人の深夜営業の「お好み焼き屋」で皿洗いをしていた。
義父が倒れた一家を支える為に、二人の娘を育てあげる為に。
私はずっと父の元で育てられ実母と再会を果たした時には既に沙希と結花は小学生だった。その何年後かに義父が倒れ、以来ずっと働き通しの人だった。
もちろん、あの悪夢のような夜も母はいつものように皿を洗い続けていた。

安西の家に残っているのは身体に障害を抱える義父と野獣と化したその娘 沙希だけだった。

武者震いがした。私の身体中の血がドクドクドク物凄い勢いで駆け巡っていた。
行くな!行くな!
もう一人の私が私に叫ぶ。いったい安西の家は、どうなっているのだろう。
明日の朝刊の三面記事には間に合わない。時計は1時をとうに回っている。
人は、いや私はこんな時に「傍観者」のようにとりとめもない的外れな事を考える。しかし、それが精神の均衡を保っていられる脳の不思議な構造なのかもしれない。今の私はそう思う。

稲妻が走った。安西の家の庭へ私の車はライトを消して、そっと滑り込むように入った。志郎がそう指示したのだ。
これ以上、刺激を与えてはいけない!
予想に反して、その家はシーンと静まり返っていた。普段と違うところと言えば、深夜1時を回っているのに居間の灯りはこうこうと灯り、玄関ドアの摺りガラスの向こうにシャンデリアが来客を招くようにぼんやりと光っていた。

「さあ、行こう!」

第一声をあげたのは誠司だった。さっきまで車の助手席で、酔っているのか眠っているのか、腕組みをしたまま黙りを決め込んでいた男だ。

「嫌ぁーーーー!」

後部座席から、結花の悲鳴にも似た拒絶の声がした。
「嫌、嫌、怖い、怖い」
歯の根が合わないとは、こういう事を言うのだろう。振り返った其処に、さっきよりも蒼い顔をしてブルブル震え続ける結花がいた。

ドッカーン、ダーーンッ!

真昼間のように辺り一面が明るくなり車の窓ガラスを震わす衝撃が走った。落雷だった。
一瞬の静寂の後、誠司がもう一度言った。
「行こう!」
今度は誰も口を開かなかった。人に有無を言わせない誠司の言葉には深い説得力があった。
普段からこの男には、そういう雰囲気がある。酒も強いが腕っぷしにはもっと自信がある。身体中から「生きている」というエネルギーが発散されているような男だ。
志郎も今の若者にしたらかなり逞しいが、彼の比ではなかった。本物の肉体労働で鍛え抜かれた身体は、服を着ていても人を圧倒した。そのくせ男女誰からも好かれる何かを持っていた。
大胆にして繊細…
「この世で怖いのは死ぬのと生玉子くらいだな」
当時の誠司は、そう豪語していた。何を考えているのか分からない、そんな彼に私は密かに惹かれていた。
だから、さっき志郎がゴーストバスターズの一員に彼を選出した時、無意識に直ぐに従ったのだろう。この恐ろしく楽天的なランボーなら私達の窮地を救ってくれるかもしれない。
「私も行くわ」
決意は固まった。結花だけは私の運転席の背もたれにしがみつき無言で「自分は行かない」と意思表示していた。
「僕も行きます」
志郎はやはり男だ。恐怖を自分でコントロールする術を知っている。
「いや、志郎は結花ちゃんを見ててやれよ。10分して戻らなかったら、その時は来てくれ」
誠司はもう車のドアを開けながら、若い二人にそう言い残した。
私は雨でぬかるんだ庭をランボーの後に従った。

何と表現したら、いいのだろう。
それは異様な光景だった。私が誠司の後から居間に入った時には、もう彼は沙希の隣に胡座をかいて座っていた。
義父も沙希も死んではいなかった。しかし何かがやはり可怪しかった。
沙希はダイニングキッチンに続く居間の隅で、正座をして祈りを捧げるように両腕を真っ直ぐに伸ばし突っ伏していた。顔は見えない。

「うぉー、うぉー」

獣のような声が静かに沙希の顔と畳の隙間から洩れてくる。
これが人の声?
初めて聞く沙希の声だった。
部屋中の空気はピンと張り詰め、足元からザワザワと鳥肌が立つような恐怖感が這い上がって来る。その中を沙希の
「うぉー、うぉー」
の声だけが同じリズムで繰り返されていた。

此処に居たくない!
私の身体中の細胞が「逃げろ、逃げろ」とざわめきたっているのを感じていた。

つづく


※誠司は私の亡くなった主人です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?