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水色のスモックを着た3歳の女の子は。

水色のスモックを着た3歳の女の子。砂場で黙々と1人で遊んでいる。ふと周りを見渡すと、誰もいない。
「なんでだろう。。。」
そう思って教室へ視線を向けると、同じクラスの友達たちが室内で制作をしていた。

なぜか忘れられない記憶の断片。
幼い頃から耳がきこえにくかったわたしは、たぶん、遊びの終わりの合図がきこえなかったんだと思う。それに加えて遊びに夢中で。教室に帰ることができなかった。

今思い返しても、ショックだったとか寂しかったとかそういう感情が湧くわけではなく、ただそんな記憶がある、くらいのものだ。それなのに、ふとこの記憶の断片が蘇ってきた。

というのも。
聴覚障害のある娘を育てたお母様の講演をきいたときのこと。

ある日、娘の様子が気になって幼稚園に見に行ったんです。そしたら、わたしの娘は靴箱の前でボーッと立っていました。しばらくすると、遊びの終わりの合図のチャイムが流れて、周りの子たちが一斉に靴箱へ走ってきたのです。それを見た娘は、自分の靴を靴箱に入れて教室へ駆けて行きました。
そのチャイムが聞こえなくて、教室に帰りそびれたことが過去に何度かあったんです。娘なりの工夫なんだなぁと思って眺めていました。

こんなエピソードが語られた。
このエピソードをききながら、あのとき砂場にいたわたしが浮かんできた。ただの記憶の断片に過ぎないけれど、それでも覚えている。きっと、よほどショックだったんだろう。

そういえば、小学校に入ってからも、中休みや昼休みみたいな短時間しか校庭に行けない時間は、なんとなく教室や図書室に籠もっていた。確かにお絵描きや読書が好きだったけれど。でも、どこかでチャイムから取り残されることに、不安を感じていたのかもしれない。

あんまりにも昔のことだし、かもしれない、の話だからわざわざ誰かに話したことはなかった。でも、このお母様のエピソードをきいて、どこかほっとする自分がいた。

あの記憶の断片をもっているのは、わたしだけじゃなかったんだ。。。

そう思ったら、不思議な安心感に包まれた。と同時に、わたしのきこえない後輩たちが同じ記憶の断片をもたない未来が訪れて欲しいと切に願った。


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