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雨降らば晴れるまで参れ善光寺

一生に一度は善光寺参り

そう目にはしたことはあったものの、長野はいつ来ても通過点でしかなかった。

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雪まじりの雨がしとしとと降る。
よくよく思い返すと、昨夜から天気予報のマークは雨と雪を行ったり来たりしていたっけ。それでも、やっと長野が目的地になった今回

善光寺には行かねばならぬ!

という謎の使命感に燃えつつも、空を眺めてはどんより気分になっていた。

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そういえば、初めての長野は湯田中へ行くための中継地点だったな。
そんなことを思い出しながら、運賃が高くて首都圏の引退車両を運用することで有名な長野電鉄乗り込む。

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善光寺下へ着いても、やっぱり雨。
それでも傘が一本しかないわたしたちは(旅の前日、丁寧に天気予報のスクショを送ってもらったのにすっかり傘を忘れたのは、わたし)相合傘で善光寺までの坂を登る。

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途中ふらりと寄ったお店で
「今日採れたての山菜、美味しいよ。買っていかない?」
と店員さんに勧めていただいたのに
「畑、お持ちなんですか?」
と尋ねて寒い店内をさらに凍らせたのもまたわたしで。
(山菜は、山で採る野菜だから「山菜」なんですよね)
そそくさとお店を後にして、善光寺へと歩みを進める。

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雨の善光寺は、人もまばらで。「一度参れば極楽浄土」なんていうけれど、この曇天の中の善光寺はまるで落ち武者の駆け込み寺のよう。ご利益とは。

行ったのが夕方だったこともあってか、参道もまた物静かでちょっぴり不気味な雰囲気しか感じられなかった善光寺。
なんなら、帰りもバス停でバスを10分近く待つことになり、相合傘のわたしたちはお互いの肩を濡らしながら無言の時を過ごす。

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死後に極楽浄土に行けるのだとしても、今この時が楽しくないと辛すぎる。

切実にこう思ったわたしの気持ちを神様は、いや、お釈迦様は汲み取ってくれたのか。翌日は、きれいな青空から春の太陽の光が覗いていた。

朝起きていの一番に
「ね、今日は駅から歩いて善光寺に行こうよ」
そう駄々をこねるわたしに
「そうだね。今日はお散歩しよっか」
と嬉しい応えが返ってくる。
青空が広がっていることが嬉しいのか、大好きなお散歩に行けることが嬉しいのか。多分どちらもなんだろうなと思いながら、笑みが止まらない。

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昨日は長野電鉄で景色の見えない道中だったけれど。この日は暖かい陽気の中、学生時代にこの地で過ごしてきた思い出を教えてもらいながら歩みを進める。
昨日はお互いに肩を濡らしながら。でもこの日は、口元を読み取って会話をしたり、お互いのときめきをカメラに収めながら。

今この瞬間のあったかい空気が続いていくのなら、極楽浄土に行けなくてもいいかな。なんて罰当たりなことを考えていると、あっという間に善光寺。

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雪がうっすら積もる山々に囲まれた善光寺。NHKの「ゆく年来る年」信者のわたしにとってお馴染みのこのお寺は随分と山奥にあるのだと勝手に決め付けていたけれど、長野駅からさらっと歩いてこれちゃうんだからびっくり。

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青空をバックに聳え立つ本堂に参りながら、今年度がなんとか終わろうとすることに感謝して、願わくば好きな人と幸せになれたらいいのに、何て贅沢なことを考えながらお参りをする。

昨日はお互いの肩を濡らし、寒さに震えて言葉を失ったわたしたちも、この日は笑みとおしゃべりが止まらない。おみくじを引いたり参道をキョロキョロと眺めながら長野駅へと軽い足取りで戻っていく。

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ほら、帰りのバスの出発まで、あと少しだからね。


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