見出し画像

【試し読み】ドミニク・チェン先生「『予測不能』を楽しめる世界をつくりたい」②(『表現を究める』より)

3月15日発売の『表現を究める』『生活を究める』の刊行を記念して、好評発売中の「スタディサプリ三賢人の学問探究ノート」シリーズをnote限定で一部公開していきます。引き続き『表現を究める』より、情報学を研究しているドミニク・チェン先生の「!!!」をめぐる物語です。

ドミニク・チェン先生
1981年東京都生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)理事および早稲田大学文化構想学部准教授を務める。専門は情報学。

違うものがうじゃうじゃと
共存している世界が、
おもしろい!

突然やってくる衝動、「翻訳欲」

 日本とフランス、そして進学先のアメリカ……。異なる国の文化、それぞれの言語の〝間〟にいた私には、たびたび、ある衝動が訪れました。
 例えば、フランス語のすてきな文章を読んだとき。「親しい日本の友人にも、この文章を知ってほしい!」といった強い衝動を抱くのです。誰に頼まれたわけでもないのに、そのテキストを別の言語に翻訳したくなりました。なかには、実際に友人たちに向けて公開したものもありますし、誰にも見せずに手元に置いたままのものもあります。
 その衝動に名前をつけるなら「翻訳欲」とでも呼べるでしょうか。詩やインタビュー映像、友人のSNSへの投稿……。「ある表現に触れたときの、自分が味わった感覚を、〝このままだと伝わらない誰か〟に伝えたい」という衝動は、たびたびやってきました。
 「翻訳欲」は、ひょっとしたら私のように、幼いときから異なる国や文化の〝間〟で育ってきた人間の特徴的な欲求なのかもしれません。言語をまたいで生活すること以上に、異なる文化、異なる人と人の間に、放っておいたら通じ合わないだろう部分を感じ取った経験が影響していたように思われます。
 例えば、小学校までは日本に住んでいて、日本のフランス人学校に通っていた私は、フランス人学校の外にいる日本の子どもたちから、決まってこんなふうにたずねられました。「フランス人って、みんな洋服がおしゃれなんでしょ?」「フランス人って、みんな家で犬を飼っているんでしょ?」と。
 こうしたステレオタイプ——多くの人に浸透している思いこみや先入観に触れるたびに、私の中で、何かスイッチが入るような感覚がありました。「そうじゃない。フランス人だって、当然、おしゃれじゃない人もいるんだよ!」とありのままの現実を伝えたくなるのです。
 逆の場合もあります。中学生になってフランスに移り住んだので、フランスでは「アジア人ってこうなんでしょ?」「日本って、ゲイシャやニンジャがいるんでしょ?」といったステレオタイプの質問をたくさん受けました。
 そのたびに私は、ステレオタイプの〝外〟にある、多種多様なできごとや考え方を、相手にも伝えたいという衝動に駆られました。
 もちろんステレオタイプの発言自体は、悪意のないことも多いです。相手の国や文化事情を知らなければ、わかりやすいイメージにとらわれてしまうのは、しかたのないことだなと思います。でも、翻訳をすることによって、わかりやすいステレオタイプからは一歩踏みこんだ、複雑な現実を知ってもらうことができるかもしれません。
「複雑で、わかりにくい。だからこそ、この感覚を翻訳したい」——。そう思えば思うほど、私自身は「翻訳しきれないもの」の存在に気づき、表現のもどかしさを感じるようになります。

画像1

異質なものが混ざり合い、「想定外」が生まれる瞬間

 私が大学に在籍していた頃、インターネットが家庭に普及し始めました。国境も言語の壁も越えて、これまで交流を持てなかった人同士・領域同士が、インターネットを通じて交流できるようになっていきました。
 私はインターネットに大きな期待を抱きました。違うものが混ざり合うことで、一体どんな新しい文化が生まれてくるのだろうか……? インターネットという可能性が広がることで、新しい表現の手法が生まれるだろうという予感もありました。
 インターネットを成り立たせている情報技術への関心も高まり、日本の大学院で情報科学を専攻し、情報サービスを通じた表現や、異なる人たちが集う場づくりの実践的な研究を始めました。
 大学院での研究と並行して、仲間と一緒に会社を立ち上げて、実際にインターネットを介して人びとが交流する場所をつくってみました。最初に一般公開したのは、悩みを持つ人と、励ます人が集うウェブコミュニティー「リグレト」です。「後悔」の意味を持つ英語の「リグレット」から派生した名前で、ネガティブな感情をみんなが持ち寄り、それをお互いにポジティブな思いに転換する場になったらいいな、と思っていました。2008年の公開以降、想定以上の人びとがその「リグレト」に集い、個人的な悩みを吐き出しては励まし合う様子が見られました。
 参加する人が増えてくると、こちらが想像していなかったような参加者の行動が見られることもありました。1日に100人以上に励ましの言葉を送る参加者が何人も現れたこと。当初は意味不明なメッセージで場を荒らしていた人が、そこに集った人との交流の中で更生し、コミュニティーの中で愛されるようになったこと……。想定外の事態が、次つぎと起きたのです。

 このとき、私は不思議な高揚感を抱きました。お互いに異なる者同士が、ひとつの場で混ざり合い、これまでとは違う存在へと変身していく——。それは、言語と言語が混ざり合う幼い頃の情景や、言葉のルールを変えて新しい暗号をつくったこと、写真のコラージュでかつて見たこともない景色ができあがったことのおもしろさに似ていました。
 あるサービスやシステムをつくり、それを人に使ってもらうと、予測できなかったところで盛り上がることが必ずあります。「この人はきっと、こんな行動をするだろう」「きっとわかりあうことができるだろう」とあらかじめ考え過ぎてしまうと、予測不能から生じる想定外のおもしろさを排除してしまうことになりかねません。
 ——〝わかりあえない〟の中に、新しいものや価値観が生まれるヒントが、きっとある。〝わかりあえない〟世界は、おもしろい!
 こうして私の中に、インターネットという場や情報テクノロジーの力を使って、「わかりあえない者同士が、わかりあえないままにつながる場や、そのための表現をつくれないか?」という問いが芽生えたのです。

複雑なままひとつにならないから、おいしい

 こうしたインターネットの予測不能なネットワークの世界を、私はたびたび〝ぬか床〟にたとえることがあります。
 みなさんはぬか床を知っていますか? ぬか床を見たことがない人でも、ぬか床で漬けたぬか漬けを食べたことがあるかもしれませんね。ぬか床とは、お米を精白したときに出る米ぬかに、塩や水を混ぜてつくるものです。そこでは、乳酸菌などのさまざまな細菌類や微生物が混ざり合うことで、発酵し、栄養分が生まれます。そのぬか床にきゅうりや大根、にんじんなどの野菜を漬けると、ぬかの栄養分を吸収した、独特な風味を持つ漬物、ぬか漬けのできあがりです。
 友人から、実家に伝わるぬか床をもらったことがきっかけで、私はぬか床づくりに没頭するようになりました。おいしいぬか漬けをつくるために欠かせない微生物は、あらゆる経路でぬか床に入りこみます。空中に浮遊していたり、かき回す人の手についていたり、漬ける野菜に付着していたりする目に見えない微生物たちが、ぬか床の中に移り、発酵が進みます。
 ところが、ぬか床の中で、ひとつの微生物が増え過ぎてしまうと、ぬか床は腐ってしまいます。多種多様な微生物がバランスよく共存していることが、ぬか床を保つ条件です。
 ひとつのぬか床には、100種類以上の異なる微生物がいるといわれています。微生物のそれぞれが、一体どのように作用し、野菜をおいしくすることにつながっているのか、私たちは目で見て確認することはできません。ぬか床それ自体が一種の生き物のようでありながら、あまりにも複雑で、その性格や特性は、犬や猫のように簡単にとらえることはできないのです。
 インターネットの世界も、まるで、この〝ぬか床〟のようではないでしょうか。巨大な容器の中に、さまざまな人、異なる考えが混ざり合い、決してひとつになることなく、うじゃうじゃと動いています。
 大事なのは、巨大なインターネットの世界の中で、ぬか床の中の微生物のように、異なるものが予測不能な混ざり合い方をすることによって、これまでにない新しい可能性が生まれることです。
 インターネットが誕生するまでは、テレビや新聞や雑誌の中で取り上げられるような選ばれた人だけが、有名になるための切符を与えられていました。しかし、今は誰もが勝手にインターネット上で表現をすることができ、予測不能なつながりや、偶発的なできごとをきっかけに、注目を浴びて活躍することもあります。偉い人から承認を得なくても、誰も予想をしていなかったところから、新しい文化が生まれることがあるのです。
 簡単にわかりあえる人同士でつるむだけではなく、わかりあえない他者とかかわることによって、自分自身が開かれていく。複雑な事象や考えを、複雑なまま、他の人へと翻訳する——私の中の「翻訳欲」はひょっとしたら、他者とかかわり合うことで起こる変化、コラージュによる化学反応を期待する気持ちと、つながっているのかもしれません。
 わかりあえない者同士が、わかりあえないままにつながるための表現は、どうつくったらいいのでしょう? 複雑さをそぎ落とすことなく、わかりあえない他者と共に生きることを楽しむには?
 私には、この問いの先には、「〝ぬか床〟のような、多種多様なものが混ざり合う、おもしろい世界」が待っているような気がしてならないのです。

<続く>

『表現を究める』では、ドミニク・チェン先生の他に、川添愛先生(言語学・言語処理)、水野祐先生(法律・ルール学)が登場します。ぜひそれぞれ異なる「問い」から表現を究める三者三様の物語をお楽しみください。

※この作品は、note内での閲覧に限り認められています。その他の方法で作品の全部または一部を利用することは、著作権法で特別に認められている場合を除き、すべて禁止されています。

イラスト:はしゃ
©Recruit 2021

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?