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数学者で音楽家で教育者・中島さち子さんの「!!!」——無目的な遊びの中で、人はクリエイターになる

自分の「好き」な気持ちに自信を持つのは、意外と難しいものです。「あなたの好きなことは何ですか? その『好き』から、やりたいことを見つけてみては?」——こんなふうに問われると、つい「本当にこれは私の好きなことか?」「仕事につながるほど、好きと言えるだろうか?」と疑い始めてしまう。私たちはつい、「好き」のハードルを無意識に上げ、好きなことをひとつに絞らなければと考えてしまいがちです。もっと自由に自分の「好き」を捉え、自分らしい社会との関わり方へとつなげていくことはできないでしょうか?

自分の「好き」をひとつに絞らなかったことで、人とは異なるキャリアにたどり着いた人がいます。数学研究者でありジャズピアニスト、そして数学と音楽への「好き」を通じて味わってきた学びのおもしろさを、STEAM(スティーム)教育として伝授する、中島さち子さん。その多彩な活動と唯一無二のキャリアは、どのようにしてつくられたのでしょうか。自分の「好き」からやりたいことを見つける力について聞きました。

株式会社steAm CEO 中島さち子さん
ジャズピアニスト、数学研究者、教育家、メディアアーティスト。東京大学理学部数学科卒業。高校2年生のときに、国際数学オリンピックインド大会で日本人女性初の金メダルを獲得。大学時代にジャズに出合って本格的に音楽活動を開始、フリージャズビッグバンド「渋さ知らズ」に参加し、プロのジャズピアニストとして活動。2017年に株式会社steAmを設立。STEAM教育の普及に努めている。

数学にも音楽にも「正解」なんてなかった

——中島さんは高校生のときに、世界の高校生が数学の問題を解く能力を競う「国際数学オリンピック」に出場され、日本人女性初の金メダルを獲得されました。なかなかそこまで究められるものではないと思うのですが、数学のどんなところに夢中になっていたのでしょうか?

中島:数学というと、計算して正解を導き出したり、決まった定理や公式を暗記したりするイメージがあるかもしれません。しかし、国際数学オリンピックで出題される問題は、入学試験で出るようなものとは異なります。そこには、まるでゲームのような遊び心があり、いかに自由にものを見るかが、回答者には問われるのです。一体なぜこんな不思議なことが起きるのか? 本当に1+1は2なのか? 実際に自分で手を動かして考えたり、数えたりしているうちに、あるとき急に本質が見える。答えに至るアプローチが無数にあったり、そもそも自分で問題をつくりだしたりすることすらできるのが、数学のおもしろさなのです。自分なりに発見する喜びや、自分で考えて作り出せる自由さを、数学の世界に感じていました。

——その後、東京大学理学部数学科に進学されるわけですが、今度はジャズピアニストとしての活動を始め、音楽の世界へとのめり込んでいくのですよね。

中島:ジャズの「即興で音楽を生み出す」ところに魅せられ、東大のジャズ研究会に入り浸るようになりました。大学を卒業してすぐに「渋さ知らズ」というバンドに入り、プロのミュージシャンとして活動することになります。20代は音楽漬けの生活を送りました。
その後、自分の子どもが生まれたことで、社会との関わり方を改めて考え始めました。その際に自分が取り組んできた数学や音楽を振り返ってみたら、そのふたつはよく似ていることに気づいたのです。
正解を求めるだけではなく、ものの見方を探り、自分なりの発見をする数学。そして、その日、その場に集った人たちの化学反応を楽しみながら、即興でつくり上げていく音楽。どちらにも、自分らしくものを見て、発見し、創造することのできる自由さがありました。

今後のキャリアは数学か音楽か、の二択から選ぶのではなく、双方を通じて私が得てきた「創造する楽しさ」を、もっと多くの人に伝える道を歩みたい。そう思ったときにSTEAM教育と出合いました。STEAMとはScience(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Arts(芸術)、Mathematics(数学)の頭文字を組み合わせたもので、創造(探究)的・実践的・横断的な学び方を表します。日本ではSTEAM教育というと理数教育と捉えられがちですが、理数科目を究めることを目的としているわけではありません。

この新しい教育理念のポイントは、科学者や研究者のような思考法と、エンジニアや芸術家のような創造のプロセスを学ぶことで、その人らしい探究や創造のやり方を身につけていくところにあるのです

「問う+形にする」で、音楽鑑賞を創造的な体験に変える

——“創造性”というと、芸術家や表現者など限られた人たちに必要なもの、というイメージがありますが、これからは万人に必要なのでしょうか。

中島:そもそも、ものを自由に見る喜び、自ら創造する楽しさを、芸術家だけのものにしておくのはもったいないと思うんです。私は建築家やエンジニア、バレエダンサーや研究者など、さまざまな業種の方と協働することも多いのですが、活躍している人たちは総じて、まるで遊ぶように好きな世界を楽しみ、その過程で、正解を追求するというより自分なりの発見をしようとしています。

そうした創造的な体験は、取り組み方次第で、誰でも経験することができます。たとえば音楽を聴くとき。「作曲家は、この曲をつくるときにどんなことを考えていたのだろう?」と想像したり、曲から得たインスピレーションを絵に描いてみたり。ただ受け身で聴くだけではなく、自分なりに何か気づこうとすることで、音楽を聴く行為が創造的な学びに変わっていくのです。

好きなことを持ち、その世界で遊びながら自分のものの見方を培ってきた人たちは、「自ら発見する喜び」を知っています。その人間としての根源的な喜びを知っているからこそ、困難な状況も乗り越え、粘り強く取り組んでいくことができる。“人生100年時代”を迎えて、ひとつの職業名や会社名で自分を規定する時代はほぼ終わったと言われている今、芸術家・研究者に限らず、ありとあらゆる人に創造性が求められていくと思います。

——中島さんのいう“創造”とは、作品をつくることだけではないのですね。

中島:そうです。私は、創造という行為にはふたつの段階があると考えています。ひとつは、問いやコンセプト・テーマを立てること。もうひとつは、具体的な形にしようとすることです。

たとえば、小さな子供が砂遊びをしているとき。「砂のお城をつくりたい」と自らふとテーマを打ち立てて、夢中で遊んで創っている中で、ふと「あれ? ここに穴をあけて、水を流してみたらどうなるんだろう?」と問いが浮かんだとします。ああでもない、こうでもない、と身体や思考を通じて試行錯誤して形にしているうちに、少しずつ砂の扱い方をつかみ、「お城の中に川をつくってみよう」といった次のテーマ(コンセプト)を自ら生み出す。同時に、それをどんどん試して、時にはお友達と一緒に協力しながら、自らがエンジニアとなってアイディアを「具体的な形」へと落とし込んでいく。こうしたプロセスは簡単な砂遊びのように見えて、ある意味、自分で設計図を描いて街のデザインをし、建築まで行うようなもの。立派な“創造”と言えるでしょう。

これまでは経営者や芸術家など、限られた人たちが問いを立てていればよかった。でも、これからの時代は違います。きちんと知識を身につけてから表現しようと考えるのではなく、まずは、自分なりに目の前の事象に対して疑問を投げかけてみる。プログラミングなど、考えたことを形にして、表現する方法はたくさんあるでしょう。不完全でもいいから自分なりの問いを持ち、ひとまず形にすることを繰り返して、自信や喜びを得ていく必要があります。

それは決して難しいことではありません。なぜなら、私自身、数学や音楽といった「好き」な世界を通じて経験してきたことだからです。ジャズに惹かれていくうちに「私はどんな音や状態を、気持ちいいと感じるのだろう?」などと、自然と問いが生まれる。そして、自分が目指す音を出そうと試行錯誤する……。与えられた課題を、指示された通りの学習法や練習法でこなすのとは異なり、好きなことに没頭していると、勝手に自分の中に問いやコンセプトが立ち上がり、形にしようとし出すのです。

私たちは”創造”という言葉を難しく捉えがちですが、人間は本来、創造性の塊のはず。大人になるにつれて、勝手に「創造なんて難しい、できない」と思い込んでしまうだけです。
もともと私たちは、好きなことや無目的な遊びの中では、自然と問いを持ち、自分らしい発見をしようとする。本来持っている創造性を勝手に発揮しているんです。ですから、その人なりの「好き」や心が動くことを追究できる環境や文化があれば、自然と、つくり手や発見者としての喜びや自信、力が養われると思っています。

やりたいことはまだない? それとも、ありすぎる?

——そうやって、問うことと、形にすることを繰り返していくと、自然と自分の「やりたいこと」も見えてくるものなのでしょうか。そもそも自分の「好き」がわからない、やりたいことも見つからないという人は多いです。むしろ子供より大人のほうが、「好き」の迷子になっている人が多いかもしれません。

中島:そうですね。興味深いのは、日本とアメリカの学生に対して「あなたのやりたいことは?」と聞いたときの反応の差です。日本の学生は、往々にして申し訳なさそうな顔をして「まだやりたいことが見つからないんです」とネガティブに答える。アメリカの学生は「やりたいことがたくさんあるから、もっと試して、たくさん体験してから考えたい」とワクワク答える人が多い。同じ「やりたいことはまだない」状態なのに、捉え方が異なる。それは、日本人のほうが「ある程度の年齢に達するまでに、やりたいことをひとつに絞らなければいけない」という思い込みが強いことに加え、好きのハードルが高いからではないかと思います。この程度で「好き」と言っていいのだろうか、あの人に比べたら「好き」とは言えないのだろうか、と考えてしまうのですよね。

もっと私たちは「好き」のハードルを下げていいのではないでしょうか。人との比較ではなく、自分自身の心がちょっと動いた瞬間、でいい。自分はどの瞬間に心が動くのか、自分とはどういう人間なのか、自分らしさとは……。他人にではなく、自分に問わなければいけないんです。自分に問われ続けることで、自分の「好き」も、やりたいことも、見えてくるはずです。

「好き」も、専門性も、ひとつに絞る必要はありません。これまでは「好き」を必ずしも仕事にする必要はなかったと思いますが、時代の変革期を迎えた今だからこそ、「好き」だからできること——試行錯誤を乗り越える力や、創造性を発揮してものを見る力——の強みを生かすべきだと私は思います。好きなことや遊びに夢中になっているとき、私たちは目的を持っているわけではありません。遊ぶこと、それ自体が楽しい。やりたいことも、何かのためといった目的意識から解放され「ちょっとおもしろそうだからやってみる」の延長線上にあるのではないでしょうか。その結果「やってみたけれど、思ったよりおもしろくなかった」があってもいいのです。

「自分は何が好きか? 何をやりたいのか?」と自分に問い続けることで、自分がどの瞬間に心が動くのか、次第に見えてくる。年齢や立場は関係ありません。ちょっと心が動いたらやってみる、そして気づいたことを形にしてみることから、始めてみましょう!

■あなただけの「!」を見つけるために
中島さんは、数学や音楽の世界に
「自分らしくものを見て、発見し、創造することのできる自由さ」を見出しました。
そして、その「創造する楽しさ」を、教育を通じて多くの人に伝えています。
もともと私たちは、好きなことや、無目的な遊びの中では、
自然と問いを持ち、自分らしい発見をしようとしているもの——。
「好き」のハードルを下げて、ちょっと手を出してみたら、
あなたにも、勝手に創造性を発揮しだす瞬間が、訪れるのかもしれません。
    
! 他人と比べる必要はない。
あなたの心が少しだけ動く瞬間は?

取材・文・構成:塚田智恵美

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