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【試し読み】ドミニク・チェン先生「『予測不能』を楽しめる世界をつくりたい」③(『表現を究める』より)

3月15日発売の『表現を究める』『生活を究める』の刊行を記念して、好評発売中の「スタディサプリ三賢人の学問探究ノート」シリーズをnote限定で一部公開していきます。引き続き『表現を究める』より、情報学を研究しているドミニク・チェン先生の「!!!」をめぐる物語です。

ドミニク・チェン先生
1981年東京都生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校卒業。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。クリエイティブ・コモンズ・ジャパン(現コモンスフィア)理事および早稲田大学文化構想学部准教授を務める。専門は情報学。

語尾を変えて1日過ごすと
あなたに何が起こるだろう

微生物たちに声を与えた、ぬか床ロボット

 今、私はさまざまな方法を通じて、わかりあえないもの同士がわかりあえないままにつながるために、新しい表現行為や表現する場をつくる実験をしています。
 例えば、ぬか床ロボット「NukaBot」も、そのひとつです。ぬか床の腐敗の兆候を見逃してしまった私自身の経験をヒントに、目に見えないぬか床の微生物たちに声を与えたらどうなるだろう、と考えて開発しました。スマートスピーカーのように、「調子はどう?」と話しかけると「いい感じ」などと音声で返事をしてくれます。ぬか床内の菌の増え方を察知して「そろそろかき回して」と自分からまわりの人間に呼びかけることもできます。
 このぬか床ロボット開発の裏には、ぬか床の中で微生物たちが「生きている」ことを可視化し、ぬか床とコミュニケーションを取ることができるようにしたいという動機がありました。本来人間と話すことのできないぬか床に声を与えることで、目に見えない微生物たちの住むぬか床と共に生きやすくなるのではないか。わかりあえないと思われているものと、つながる方法があるのではないか―。こうした関係の築き方は、ぬか床だけでなく、人間同士にも転用できるものだと考えています。
 その他には、「書いたあとの文字には現れない感覚を、視覚的に表現することで、その人の複雑さや多様さを伝えられるようにする」という実験もしています。文章がタイピングされたプロセスや、執筆行為そのものをスクリーン上で再現できるソフトウェア「TypeTrace」の開発です。これを使って何かを入力すると、入力してからエンターキーを押し確定するまでの時間に従って、その言葉が表示される大きさが変わります。その言葉がどのようにその人の身体から出てきたのか、その人の思考の跡を感じ取ることができるというしくみです。
 この「TypeTrace」を使って、人気作家が作品を執筆する、さまざまな人が遺言を書くなどの試みをしてきました。そこには、ただテキストを読むのとは違った「感覚のやりとり」がありました。書き手の存在感や表情、思考の流れなどの複雑な感覚を受け取ることで、感じることもまた変わるのです。これらの感覚は、テキストを読むだけでわかったつもりになっていたら、見落としていたはずのものです。
 多様で複雑な人の心を感じ取ることができるような表現行為とは……。これからもさまざまなテクノロジーを使って、探っていきたいと考えています。

ツイッターもインスタも、あなたがつくっていい!

 今、インターネットの世界は、使う人の興味にあわせて、勝手に情報がカスタマイズされていく方向に進化しています。あなたが検索したり閲覧したりした履歴データや、あなたの友人の傾向を踏まえて、あなたのスマートフォンやパソコンには、他の人とは違う「あなた用の情報」が表示されています。インターネット広告が、その代表例です。
 一見、便利に見えますが、それは、あなたにとってインターネット上の世界が「自分に似ている人たちだけの世界」になっていくということでもあります。気づかないうちに、どんどんあなたの世界は狭まっていき、あなたが知らない世界の情報は遮断されていくのです。
 このままでは、あなたとはまるで違う誰かや、〝わかりあえない人たち〟とかかわり合う機会がどんどん減っていくでしょう。それを打ち破るには、自分たちで、自分たちの理想の場を「勝手につくる」「変えてしまう」という発想が必要です
 特に、生まれたときからインターネットやSNSが存在している世代にとって、今あるSNSの形に疑問を抱くのは難しいことかもしれません。もしかしたら、まちの公園のような「自分たちでは変えられない遊び場」としてとらえている人もいるかもしれません。
 でも、インターネットが普及して、たかだか30年です。みなさんのまわりに当たり前のようにある、ツイッターやインスタグラム、LINEなどのSNSの形も、ほんの十数年前に、誰かが自由な発想でプログラミングしたものなのです。
 もし「自分の家族や親戚が集うためだけの掲示板」や「自分のクラス専用のSNSアプリ」をつくるなら、あなたならどんな形で、どんなルールで、つくりますか? まだ自己紹介もしたことのないクラスメイトや同僚とオンラインで交流するには、どんな空間だと話しやすいでしょうか? そういった発想の先に、わかりあえないままつながっていく可能性があるはずです。
 ―この「新しい表現や、表現の場をつくる」という発想は、決して、インターネットやSNSといったデジタルの場、情報テクノロジーを使った表現に限った話ではありません。実はアナログな日常生活の中にも、新しい表現のヒントはあふれています。
 例えば、今日1日だけ、語尾を「ござる」にしてみたら、どんなことが起きるでしょうか。おそらく、まわりの人はびっくりするでしょう。ちょっと変な目で見る人もいるかもしれない。でも、いつもは話さない人が話しかけてくれるかもしれません。語尾を「ござる」にしたことで状況が変わって、普段しないような話ができるかもしれない……。
 ただ語尾を変えるレベルのことでも、自分で、他者とのかかわり方を変えることができるのです。

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 そもそも表現は、作家や芸術家、音楽家など限られた人がするものではありません。みなさんは息を吸って吐くのと同じくらい自然に、「表現行為」をしています。ちょっとした表現の違いで、かかわり合う人も、かかわり方も変わります。自分で表現を考えて、新しくつくってみよう、アレンジしてみようとすることは、「自分が語りかけられる世界」を広げていくことにつながるはずです。

 今思えば、仲良し3人グループで秘密の言葉をつくった瞬間から、「複雑なものを伝え合うための表現を、自らつくりだしていくこと」への道のりが始まっていたように思います。漢字の起源が気になってしかたがなかったこと、写真のコラージュ作業に夢中になったこと、勝手に翻訳していたこと、インターネット上に新しいコミュニティーをつくりだしたこと……。私が熱中したことや、実験的な試みの根底には、「〝わかりあえない〟世界は、おもしろい!」という思いが、共通してあったような気もします。
 似た考えの人が集まり、目的を共有して議論すれば、最短ルートで結論らしきものにたどり着くでしょう。それにくらべて〝わかりあえないもの同士〟のコミュニケーションは、長くて、ときには脱線し、無駄なこともたくさんあります。でも、〝わかりあえないもの同士〟が共生し、それぞれに影響し合い、作用し合うことで、これまでにはない新しい景色が見えるはずだと私は信じています
 多種多様なものが、多種多様なまま、複雑に混ざり合う〝ぬか床のような世界〟へと向かって、新しい表現のあり方を模索したい。これが私の学問探究です。

 ■あなただけの「!」を見つけるために
自由で混沌としていたはずのインターネットの世界は、今や「わかりあった」気になれるコミュニケーションが増殖し、「わかりあえそうなもの」だけでつながれるようにもなりました。でも、ドミニク先生は、「『わかりあえなさ』を排除することなく、他者とも共存していきたい」と考えたのです。
 漠然と「こんな世界になったらおもしろいな」と思うことの中に、あなたの道を切り開くヒントがきっとあります。あなたというぬか床の中には、一体どんな異なる考えが混ざり合い、発酵し、理想の世界を描いているでしょうか。
 
! あなたが「こんな世界になったら 楽しいな、わくわくするな」と思うのは、 どんな世界?
! その世界にちょっと近づくために、 何をどう工夫する?
『表現を究める』では、ドミニク・チェン先生の他に、川添愛先生(言語学・言語処理)、水野祐先生(法律・ルール学)が登場します。ぜひそれぞれ異なる「問い」から表現を究める三者三様の物語をお楽しみください。

※この作品は、note内での閲覧に限り認められています。その他の方法で作品の全部または一部を利用することは、著作権法で特別に認められている場合を除き、すべて禁止されています。

イラスト:はしゃ
©Recruit 2021

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