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時事YouTuber・たかまつななさんの「!!!」——正しいことを追求したい、だから「弱い私」と向き合う

今日もSNSやニュースのコメント欄では、誰かのひと言が炎上しています。相手が著名人か一般人かにかかわらず、殺到する批判や誹謗中傷の数々。それを見ると「もし私の考えを発信して、問題になったらどうしよう? 身近な人に『面倒くさいヤツだ』と思われたら?」と、つい考えてしまいがちです。「危ない話題はできるだけ触れずに黙っておこう」と逃げ腰になる瞬間があるかもしれません。

中でも、政治の話題やジェンダーの不平等、人種や国籍による差別をはじめとした社会問題の話題は避けられがちです。場合によっては、「不用意に触ると危なくて面倒」とすら思う人もいるかもしれません。意見の異なる他者との対話は諦めて、沈黙する。あるいは徹底的に叩く。そんな大人たちの背中を見て、虚しさを感じている若い世代も多いように思えます。

そんな政治や社会問題の話題を、とくに若い世代に向けて、お笑いを通じて発信してきた、たかまつななさん。距離を置いてしまいがちな社会問題をわざわざ取り上げ、楽しく伝えることにこだわってきたのは、一体なぜでしょうか。自分のテーマを見つけるまでの道のりと、それでも伝えることをあきらめない理由を伺いました。

時事YouTuber / 株式会社笑下村塾 代表取締役 たかまつななさん
1993年神奈川県横浜市生まれ。時事YouTuberとして、政治や教育現場を中心に取材し、若者に社会問題を分かりやすく伝える。株式会社笑下村塾を18歳選挙権をきっかけに設立し、出張授業「笑える!政治教育ショー」「笑って学ぶ SDGs」などを全国の学校や企業、自治体に届ける。著書に『政治の絵本』(弘文堂)『お笑い芸人と学ぶ13歳からのSDGs』(くもん出版)がある。

「赤信号、大人なら渡ってもいい」の矛盾が許せない

——たかまつさんが社会問題に興味を持ったきっかけを教えてください。

たかまつ:小学4年生のとき、アルピニストの野口健さんが開催された環境学校に参加したのがきっかけです。富士山の麓でゴミ拾いをして、バスやトラック、産業廃棄物までもが捨てられている状況を目にしました。「一体なぜ、こんなところに大きなゴミを捨てていく人がいるんだろう?」と不思議でした。そして、ゴミの処理費用を浮かせようとしている一部の人が、不法投棄をしていることに気づいたのです。

私はすごくショックを受けました。一部の人の身勝手な振る舞いによって、土壌が汚染されていくのはおかしい、と。野口さんに「こういう問題への違和感は、大人は見て見ぬふりをする。だから君たち子どもが伝えてほしい」と言われて、「私が伝えなきゃ!」と思いました。

——たまたま目撃した不法投棄の問題を、そこまで自分ごととして捉えられたのはなぜでしょう?

たかまつ:子どもの感性って、目の前の“ちょっとヘン”な状況に対して素直に反応しますよね。たとえば「私には『好き嫌いしないで、なんでも食べなさい』と言うのに、パパとママはなんで嫌いなものを食べなくても許されるの?」みたいな違和感って、誰もが子どもの頃、自然に持っていたと思うんです。不法投棄の問題も同じで、その状況を知って「あまりに身勝手だ」と、素直に違和感を抱いたんじゃないでしょうか。

特に私は幼い頃から、気になることは「なんで?」と掘り下げて考えずにはいられない性格でした。
小学生のころ、校長先生に「危ないから赤信号は絶対に渡ってはいけません」と言われたことがあります。ところが、その直後に校長先生自身が、赤信号で横断歩道を渡るのを目撃しちゃったんです。短い歩道だから大丈夫、と先生は思ったのかもしれません。だけど私は「なんで? 子どもに『渡ってはいけない』と言っておきながら、大人は渡ってもいいなんて、おかしくない?」と思いました。

目の前の気になることに「なんで?」と問いかけていくと、大人の言葉の中にある矛盾や不条理、きれいごとだけでは解決できない問題が見えてきました。そういう「ずれていること」「ちぐはぐな状態」が気になって、また「なんで?」と徹底的に考えてしまうんです。

子どもなら、いちいち「なんで?」と違和感を抱くのは普通です。でも、大人になるにつれて、多くの人はそうした違和感を流して生きていく方法を覚えていきますよね。でも私は今もなお、違和感を抱く自分、矛盾や不条理を許せない自分を、うまく処理できずにいるのかな……って思います。


学校の廊下に貼っても全国紙で書いても、伝わらないもどかしさ

——不条理を見過ごせない性格だったこともあって、富士山の不法投棄の問題を「私が伝えなきゃ!」と切実に思ったのですね。たかまつさんはこの問題を、どのようにして伝えようとしたのでしょうか?

たかまつ:環境学校から帰って、夏休み明けの始業式の日に、全校生徒の前でスピーチすることになりました。ところが、私はひどい人見知りだったので、人前で喋ることが苦手で。マイクに声すら届かなくて、「何を言っているかわからない」状態になっちゃったんです。
うまく伝えられなかったことがショックで、模造紙に不法投棄の問題を書いて、廊下に貼ることにしました。それでもみんなに伝わった感じはしませんでした。

そこで中学1年生のときに、読売新聞の子ども記者団「ヨミウリ・ジュニアプレス」に参加したんです。新聞記事にすれば、全国の人に不法投棄の問題が伝わると思って。でも、苦労して記事にしても、周りの同世代からの反応はなかった。新聞記事を読む人は社会問題への関心が高い層だから、もともと関心のない人には全然伝わっていなかったんですね。

どうやったら伝わるんだろう? その方法をずっと模索していて、たどり着いたのが爆笑問題の太田光さんと中沢新一さんの対談をまとめた書籍『憲法九条を世界遺産に』(集英社新書)でした。その本に出合ったことで「もともと関心のない人たちにも、お笑いを通して社会問題を伝えたら、興味を持ってもらえるんじゃないか」と思ったんです

——それで「お笑い×社会問題」というテーマに行き着いたのですね。


違和感をやり過ごせない、でも、迷いなく戦えるほど強くない

——テレビや舞台を中心に「お嬢様芸人」として活躍されていた、たかまつさんですが、近年は株式会社笑下村塾を設立して出張授業に力を入れたり、YouTuberとして社会問題を発信したりと、活動の場所を広げていらっしゃいます。どういった心境の変化があったのでしょうか。

たかまつ:私の中には、ずっと「今は注目されていない社会問題にも光を当てられる存在になりたい」という思いがありました。「お嬢様芸人」として人前に出る仕事を選んだのも、「お嬢様芸人として顔が売れたら、私が本当に伝えたい社会問題について発信できる」と思ったためです。

でも、お笑い芸人として活躍するには、「出演する番組の趣旨に応えたトークやリアクションをいかにできるか」が問われます。少し顔が売れたからといって、自分のしたい話を自由にできる場は、テレビの世界にはなかったのです。番組の収録で社会問題や政治の話をしようとすると「テレビに出たいなら、言わない方がいいよ」とアドバイスを受けることもありました。

本当に伝えたいことから目を背けて、お嬢様大喜利を続けるだけの生活は、あまりに辛い。でも、テレビのテロップ一行が持つ影響力は大きいものです。番組で紹介されるプロフィールに出張授業の取り組みを載せてもらっただけで、視聴者から問い合わせがきたこともありました。多くの人に伝えるためには、テレビの仕事もしつづけたほうがいいのかもしれない。どうしたらいいだろう、どこに軸足を置くべきだろう、と日々、自問自答していました。

テレビに出るかどうか、ではなく、自分自身をメディアにして社会問題を伝えられればいい、と心から思えたのはここ1、2年の間のことです。今はYouTube「たかまつななチャンネル」を通じた発信に力を入れています。おかげさまでチャンネル登録者数は11万人を突破しました。

自分には芸人という立場が合っているのか、コンテンツの制作側に回るのか、ジャーナリストになるのか……。正直、今も方法はずっと模索しています。


——「方法はずっと模索している」「日々、自問自答していた」と、葛藤がうかがえるような発言がありましたが、一体何がそこまで、たかまつさんを葛藤させているのでしょうか。「こういう自分でありたい」といった理想像があるのでしょうか?

たかまつ:うーん…そうですね。私は、自分が正しいと思うことを「正しい」と言い続けたいんですよ。自分が損をしそうだから、面倒くさいからといった理由で、言葉を飲みこみたくない。
たとえば私が尊敬しているジャーナリストの田原総一朗さんは、どんな取材対象やテーマであっても、タブーにどんどん切り込む方です。そうしたオープンで偏りのない態度が「嘘をつかない人」「裏切らない人」として、さまざまな政治家からも信用されている。自分の立場を守るために、状況に応じてポジションを変える政治評論家も多い中で、田原さんはまっすぐ、ジャーナリストとしての態度を貫いていらっしゃるんです。その生き様にはすごく憧れます。

でも、正しいことを言い続けると、敵は増えます。嫌がらせをされても自分を守れる力や思想、戦略を持っていなければいけません。私はまだそこに迷いがあるし、田原さんほど「この道で行くんだ」と割り切れてもいないのでしょうね。

子どものように素直に違和感を抱く自分、矛盾や不条理を許せない自分を、いまだに抱えていて、うまく処理できない。だったらトコトン正しいことを追求していければいいんだけど、正直、私はまだ、そこまで強くなれないんです。正しいことを迷いなく追求していく人を見ると「私もいつかそんなふうになれるのかな、もっと強くなりたい」と思います。

ジャンヌ・ダルクではない私が、「弱さ」を伝える意味

——いまだ迷いの中にいて、自分の弱さとも向き合っていらっしゃる。それでも「正しいことを言い続ける自分でありたい」「真っ当に社会問題に光を当てたい」と模索しているたかまつさんの言葉だからこそ、若い世代にはまっすぐに届くのでしょうね。

たかまつ:そうかもしれないですね。特に子どもは、大人の本音にすごく敏感だと思いますから。
以前は、弱い自分をできるだけ見せないようにしていました。弱さは見せるものではないと思っていた。でも、この1年くらいで心境が変わったんです。以前はジャンヌ・ダルクのような女だと思われていたかもしれませんが、そんなに強い人間じゃないんだと。

去年の7月に「都知事選で感じた、虚無感。」という動画をアップしたのですが、これは「投票率をあげる活動をやるのが虚しくなった」といった私の弱音をずっと語るだけの動画なんです。こんな後ろ向きな言葉を発信していいのかな…とも思ったのですが、その動画を見てお手紙をくれた高校生の方がいました。自分も学校の校則を変える活動をしたとき、すごく大変で…といった体験談と「(虚しい気持ちになったのは)私だけじゃないんだ、と思いました」という言葉が書かれていて。それを読んで、背伸びしない自分の本音を見せることで、伝わる思いもあるのだと痛感しました

今、芸能人のメンタルケアが問題になっていますが、自分の弱さを認めて、心の拠り所を探す必要性、メンタルケアの重要性を伝えていくという意味でも、弱さを見せることは大事だと思っています。弱いことを認められる強さを、今は持っていたいですね。

——それだけ覚悟を持って発信しても、発言が誤解されることもあると思います。社会問題を発信し続けることに虚しさを感じることはないですか?

たかまつ:毎日あります。特にSNSは「怒り」を増幅させる装置のようなもので、直接顔を合わせていたら言わないだろう、と思うような攻撃的な言葉を引き出してしまうこともある。そういった言葉によって、対話ができない、分断を煽られる、といった虚しさは、日々、感じています。

それでも私が発信を続けていこうと思えるのは、過去に取材した人たちの顔が浮かぶときです。たとえば大切な家族をなくしてしまった経験や、依存症といった問題を抱えながら、それを乗り越えようとしている、誰かの顔。
一度問題を起こした人を、二度と許さない社会にすることは簡単です。でも、「もし私がその環境にいたら、どうなっていただろう」「私だったら、そのとき、どうしていただろう」と、私は、ちょっと想像力を働かせて考えてみたいのです。自分は「絶対に足を踏み外さない」と言えるだろうか。そこまで強くいられないとしたら、一体私たちはどうしたらいいのだろう。そうやって、目の前の人をただ叩くのではなく、弱さを知り、問題の本質に光を当てられるような自分でありたいです。


■あなただけの「!」を見つけるために
「今もなお、子どものころの違和感を抱く自分、
矛盾や不条理を許せない自分を、うまく処理できずにいる」
と話した、たかまつななさん。
小学生の頃、大人の何気ない発言や、富士山の麓で、矛盾や不条理を発見した少女は、
その違和感と向き合い、伝えることに、真正面から挑戦してきました。
唯一無二の活動内容、生まれた葛藤、
そして多くの人を惹きつけるまっすぐな姿勢と、言葉の力——。
“その人にしかできない”生き様のヒントは
大人になっても「うまく処理できない」ことの中に
あるのかもしれません。
 
! 大人になった今も、まだうまく対応できない、
いつまでたっても処理できない違和感や葛藤はあるか?

取材・文・構成:塚田智恵美


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