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葬儀にまつわる"迷信"や"慣習"あれこれ

 こんにちは、燦ホールディングスnote編集部の祖父江です。

 突然ですが、「あなたは迷信を信じますか?」

 迷信とは「道理に合わない言い伝えなどを、頑なに信じること」をいいます。迷信の中には、理に適っていないようなものもたくさんあるのですが、我々の生活や行動にさまざまな影響を与えています。

 本日はそのなかから「葬儀にまつわる」迷信や慣習について、そのルーツを紐解いていきたいと思います。



「北枕」

 日本には、亡くなった方の頭を北に向けて安置するという慣習があります。
 なぜ北の方角なのか?という理由は、お釈迦様が入滅した(亡くなった)ときに、頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)の状態であったから、という言い伝えによるものであり、仏教文化の色濃い日本では、現在もこの慣習が続いています。 

涅槃仏は、釈迦が入滅する様子を仏像としてあらわしたものです。

 このことから、普段寝る際に「北枕」を行うと、それが死を連想させるために“縁起の悪い”行いである、と言われているのです。
 
 似たようなお話のひとつとして「洗濯物を北向きに干すと、招かざる客が来る」という言い伝えもあるようです。ただし、こちらは宗教的背景ではなく「北側は太陽の光が届きにくく、洗濯物が乾きにくい」という、生活の知恵としての言い伝えが、いつしか迷信となって伝わったのでは?とも言われています。

「妊婦がお葬式に出るときは、お腹に鏡を入れておく」

 妊婦さんがお葬式に参列すると“赤ちゃんが霊に連れていかれたり、赤ちゃんの顔にあざができるかもしれない”という迷信が、一部では言い伝えられています。
 その災いをはね返すため、妊婦が葬儀に参列する場合は「“厄を跳ね返す力を持つ”といわれる鏡を、妊婦のお腹に忍ばせておく」という慣習が生まれたようです。また、地域によっては「妊婦はお骨を拾わない」というならわしもあるようです。

 一昔前の日本では、地域内で自宅葬を行う風習があり、その土地の人たちが各々の役割をもって葬儀のお手伝いをしていました。その際に、妊婦の方には葬儀への参列やお手伝いを免除させるための口実として、このような迷信が生まれたのではないか?という、別の説もあるようです。

 迷信とは関係なく、体に負担がかかるようであれば、妊婦の方は葬儀への参列を控えておくことが望ましいでしょう。

「友引の日の葬儀は控える」

 日本独特の風習である六曜には「友引」と呼ばれる日があります。文字通り「友を引く」という意味合いから、この日は縁起が悪いとして告別式を行うことを避ける方もいらっしゃいます。

 実は、六曜と仏教とのあいだには全く関係はなく、逆に仏教の教えでは「占いごとによって吉凶を判断すべきではない」といわれていることから、どの日取りにおいても葬儀を行うことに問題はありません。しかしながら、六曜を信じる文化は現在も色濃く残っており、友引の日は葬儀を避ける傾向が続いています。
 別の理由として、火葬場では友引を「定休日」としているところも多く、友引の日に葬儀を行おうとしても、当日に火葬ができないため、告別式を行わない(行えない)という実情があります。

「火葬場から帰るときは、行きとは違うルートを通る」

 火葬場への行き帰りの際「それぞれ通る道を変えないと、故人の魂が自宅に戻ってきてしまう」という説があります。
 そのため、帰り道を意図的に変えることは「故人の魂が迷わず旅立てるよう、自宅への帰り道をわからなくする」という意味合いがあり、このような慣習が残っている地域があるようです。

 似たような慣習として、出棺の際に棺をグルグルと左に3回まわす「三度回し」を行う地域もあります。こちらも、故人の魂の方向感覚を狂わせて帰ってこられなくする、という意味合いがあります。

「霊柩車を見たら親指を隠す」

 まだ宮型の霊柩車を街中でよく目にすることができた頃「霊柩車をみかけたら親指を隠せ」と誰かに言われたことはないでしょうか?

 古来、親指というのは「魂の出入り口である」と言われていました。亡くなって間もない遺体には“まだ成仏できていない魂が残っている”とされ、その死者の魂が“親指を通じて生きている人間に入ってくる”と考えられていたことから、それがいつしか「親指を隠せ」という迷信につながったという説があります。

いまは見かけることが少なくなった「宮型霊柩車」

 余談ですが、宮型の霊柩車については、そのむかし「遺体を納めた棺を輿に乗せ、人が担いで運んでいた」という風習がルーツであると言われています。
 現在は「目立ちすぎる」「ひっそりと葬儀を行いたい」などの理由から、宮型の霊柩車はすっかり見かけられなくなりました。また、2009年の自動車の保安基準の改定により、突起物が目立つ宮型霊柩車は新造ができなくなり、既存の車両も維持費用の問題から引退せざるを得ないという事情も絡んでいるようです。


 いかがでしたでしょうか?

 迷信を気にするかどうか?については、個人の判断に任される一方、葬儀には、宗教的な作法やマナーもいくつか存在します。

 気になる点やわからない点がありましたら、葬儀社のスタッフに遠慮なく相談するのが良いでしょう。