夏休みの宿題から本好きにするための極意、というタイトルの記事ありそうだなぁ。


小1の娘は、この夏、初めての体験をした。
それは、《夏休み》である。
学生時代誰もが通る、始まる前は永遠のように感じる、あの長期休みである。
フルタイム、夏休3日有給使えて2日の母を持っている娘は、保育園育ち。夏休みという概念はなく、お盆の時にちょっと休んでお出かけするか、もしくは子どもの少なくなった保育園で先生とのんびり遊ぶか、そんな幼児期を送っていた。

今年は初めての小学校。「保育園ってずっと休み時間だったんだね」と言った娘は、遊ぶ日常から学ぶ日常への変化を敏感に感じ取り、今、まさに夏休みのありがたみを感じていた。「終わらなければいいのに」。ママも、昔そう思ってた。

もちろん、学童というものはある。
しかし学童は遊ぶがメイン。学校とは、全く違うそうだ。わかる。

そして、夏休みといえば、、「夏休みの宿題」である。生まれて初めての「夏休みの宿題」。あの膨大に見える宿題と、永遠に見える連休。それは、エベレストのように高く立ちそびえている、ように見える。

そう。それは彼女にとって初めての登山みたいなもの。毎日コツコツペース配分なんて言葉はないし、そして1年生たちは、初めての登山にワクワクしちゃうのだ。

親が嬉しいことに、学童では学習の時間が設けられていた。午前中1時間、お昼すぎ1時間。
これが非常に助かった。
同じ学童に通うある1年生、つまり『なんか知らんけど夏休みと言うのに突入して、たくさん宿題出たけど、私できるし!』という、無鉄砲な一人の女の子が、初日に計算ドリルを全て終わらせるという、暴挙にでたのだ。

娘は、彼女の小さな自慢に恐れおののいて、ついづいすべく、気合を入れたらしい。
計算ドリルを一日何ページもやりまくり、とうとう初めの3日で終わらせた。
「宿題だりい」と言っている3年生が多分いる学童の傍らで(たぶんね)、夏休みの宿題初心者1年生たちは、次々とワークを終わらせていったそうな。かわいい。

ただ、ワークというものは、普段からでている宿題と大差ないため、1年生にとっては馴染みのあるもの。つまりはどちらかと言うと、環境さえあれば、未知ではないので取り掛かりやすく、親が主導権握らなくてもできる類のものなのだ。

うちの学校は、1年生は自由研究は免除されたものの、問題は未知なる『絵日記』と、『読書記録』である。(他にも朝顔の観察がある。)絵日記は2枚、読書記録は感想文じゃなくてまだいいが、最低5冊は読んでこいと、書く欄がある。

これは、いくら学童が一日2時間を学習の時間に確保してくれていても、親が主導権を握らないといけない。

7月におでかけした時に、これ幸いとばかり、どう?今日のこと、日記に書いてみる?と聞いてみた。
すると、意外とやる気で、スイスイ絵は描き始めたが、苦戦したのは文章だった。すらすらと書いた文章を後で見直してみると、初めの方でなんと文字が一字抜けているのを発見。書き足したい言葉も出てきて、そうするとあとの行を全て消しゴムで消して書き直して、さらに、マス目におさまるように書かなくては行けないという難題が、発生した。手書きって、校閲と編集が大変なんだな。。(noteだったら簡単なのに(笑))
書いてみて最後の行で文字数がオーバーするのが分かり、やる気が削がれ、横暴に消しゴムをかけそうになる娘を必死で止めて(それで破けでもしたら、その後の宿題やる気株が急落するのが目に見えていた)、ほんとはいけないと思いつつ、「ここの点と、『私は』を消したら、5文字あくから、そこにこう書き直したら?」と、裏ワザアドバイスをしてしまった。
なんとか書き終わった。

読書記録はまっさらなまま、8月も幾日か過ぎた。
普段から、家にある絵本は読んではいるが、それでは本人曰く駄目らしい。かと言って、学童で読んだ本のタイトルを覚えてきて書く気はゼロ。
読書記録というものは、読み終えた本、専用用紙、筆記用具が揃ってなくちゃ書けなくて、本を読むのは机とは限らないから、記録することの面倒くささが、読むことのハードルを上げてる模様だった。

でも本は、好きになってもらいたいんだよなぁ。絵本は好きだし、もっと文章読むことの楽しさを、たくさん感じてほしい。
夏休みの宿題としての読書記録は、親に読書を意識して貰うためにあるのかもしれない。

ほんと、一学期から図書の時間があって、本を借りてきてたのだが、チョイスが適当すぎるし、本人全く嬉しそうじゃない。
寝る前、『ちいさいももちゃん』を読み聞かせていた割には、借りてくるのは図鑑や適当な物ばかりだった。図鑑だって好きならいいのだが、やたら重いくせに、対して読みもせず返していた。
前なんか「植物図鑑」を借りてきたのだが、娘が借りてきたのは有川浩の「植物図鑑」だった。いや、それ図鑑じゃないし、小説だし、大人向けだし。代わりにママが読んだわ。面白かったわ。

この適当さは何故なんだろう。

図書館が宝の山に見えていた私には、理解ができなかった。

でも、娘と図書館に行ったときに気付いた。

児童書のコーナーで、膨大な量の本から選べと言われても、わからないのだ。
保育園の絵本なら、保育室にその年齢にあった絵本が並んでいるからどれをとってもハズレはない。安心して手に取れる。先生が読んでくれたりもするし、ジャケットとタイトルで、だいたいどんな話か見当がつけられる。
学校の学級文庫もあるし、読んでるみたいだけど、、、でも、そこから拡がって図書室や図書館で自分に合った児童書を選べるほど、まだ子どもたちは知識がないのだ。
私が、洋楽のレコードを沢山前にして、選べないのと同じだ。

児童書は、「かいけつゾロリ」や「おしりたんてい」みたいな、ゲーム性のあるものから、純文学まで、文字の大きさも、わかりやすさもバラバラ。古いものは絵も渋いし、本自体も古い。絵本のようにパッと開いて中身がわかる訳では無い。口コミも5つ星もない中、自分で選ぶのは難しいだろう。

では、どうしたらいいか。
自分なら、誰かにオススメしてもらいたいなぁ。
私は、一人で一回図書館に行って、娘を介さずに本を選んで、何冊か借りてきてみることにした。

シリーズになっているものから一冊。
娘が好きそうなジャンルで、1年生でもわかりやすいもの。
私が実際好きだったもの。
あらすじを話して、娘が興味を魅かれていたもの。
新しいもの、昔からのものも、海外のものとジャンルを狭めず選ぶ。

そんな事を考えながら、3冊選んで、ついでに私が読みたかった本も借りて、娘の手の届くところに置いた。そして、私がしたのは、私が借りてきた本を娘の前で読むことだった。
「なに?何借りたの?」と、目ざとく見つけ、自分に向けられた本を読み始める。
あっという間に2冊読んで、「もう2冊読んだ」という達成感で、夜には3冊目を読んでしまった。

よしよし。
次の返す日になって、二人で図書館に行く。
シリーズの続き借りる?と聞くと、借りるという。
シリーズのなかの一冊を借りてきたのは、そのシリーズは面白い(内容が想像つく)、と、分かるから選ぶときのとっかかりになりやすいから。

娘が何冊か選び、私もまた娘のために新たに何冊か選ぶ。
読んでも読まなくてもいいと思いながら、家に帰って気づくと静かに背中を向けて読んでいる娘を見ると、嬉しい。

このまま本と友達になってくれたらいいなぁと思う。いろんなワクワクが待ってるよ。
あ、記録もつけ忘れないように!

二学期からの娘、さて学校は行けるのか!乞うご期待。








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