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大好きだよは、保育園にいても伝わっているのです

働きながら、子育てすること、保育園にいれること、私は保育士としてそんな子達を『 かわいそう』だとは思ったことがない。

自分も両親共働きだったが、働く母が好きだったし、保育園はとっても楽しかったからだ。
ていうか、保育園がかわいそうな場所だったら、保育士、園の力不足になっちゃう。
園生活が充実するように、のびのび成長していけるように、保育士さんたちはほんとに細やかにいろいろ考えてやってる。そりゃぁ親には負けるが愛情たっぷりで自身のクラスの子達を愛してる。
悪いが実は、クラス担任は毎年、うちの(クラスの)子たちが一番可愛いと思ってる。

ともあれ、巷にはいろいろな意見があるのだな。先日、とりためていた『すくすく子育て』をみて思った。

働く母たちが、悩んでいる回。コミュニケーションをとれる時間が少ないこと、回りからかわいそうと言われてしまうこと。

その番組のなかで、私の尊敬する大日向先生がいってた言葉が印象的だった。

『寝る時間も、立派なコミュニケーション。』

一緒に遊ぶ時間が親子のコミュニケーションだと思いがちだけど、生活全てがコミュニケーション。

お風呂にはいる、
一緒に寝る。とんとんしたり、くっついたり、それだけでコミュニケーション。だから、ちゃんとやってる。

なんと暖かい、心強い言葉だろうか。

※※
それに………私は思い出した。保育士時代のこと。

離れていても、お父さんお母さんの愛が見える時はしばしばあったのだ。

子どもたちは、新しい靴、新しいタオルなどをもってくる日は、張り切って見せてくれる。  

新しいものを手に入れた喜びを伝えたいのかと思いきや、子どもたちは大概こう言うのだ。

「ママがかってくれた」
「パパにもらったの」
「ばーばがくれた」

何が嬉しいって新しいのが嬉しいんじゃない、子どもたち、大好きな人に買ってもらったのが嬉しいのだ。

そばにママがいなくても、もうそのぴかぴかの靴をはいてるだけで、愛に満たされている。そんな顔をしている。


お散歩にいくとき、可愛い花が咲いていて、お土産に持って帰るといった子がいた。
「このお花はママが好きなお花だから、ママにあげるの」
みんなと歩く楽しい道の、おすそわけ。
そこに、ママの喜ぶ顔の想像がプラスされて、その子はとっても真剣に花を選んでいた。
きっと、もらうばかりでなく、大好きな人に『あげる』愛に、その子は満たされている。
そしてお迎えのときに『あげる』を、『受け取ってもらえた』とき、きっと、ただなにかしてもらうよりも、嬉しいんじゃないかなと思う。


離れていても、近くにいても、なにもいわないでそばにいても、子どもたちは、ささやかな愛を見つけて返してくれる。

もちろん、ぐずぐずしてしまう日もあるし、手が出やすい時もあるかもしれない。その原因が、生活の乱れだったり、子どもの心持ちのこともある。親の焦りが出る時もあるだろう。
でも、それはきっと、親子がお互いに快適な生活をめざすための、きっかけになるサインなだけ。そこから見直していけばいい。保育士さんがサポートしてくれるにちがいない。

だから、かわいそうだなんて、1ミリも思わなくていい。

(一方で、保育園に預けていないお母さんも、預けないことで、子どもの発達にとってどうなのかと悩むこともしなくていい。最小単位2人も、子どもたちにとっては悪くない。)

でも、
子どもがかわいそうじゃないかどうか悩むお母さんの、その姿そのものが、保育士時代の私は愛を感じずにはいられなかった。  

その時、その瞬間、働くも働かぬも、きっと、どの選択も間違いではない。

4月から私も、働く母になる。
そんな今、あの頃出会った、悩みながらも愛の深いお母さんたちのようになりたいと、私は思うのだ。  


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