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発達障害者が結婚する方法 ※期間限定で無料公開中

◾️発達障害者が結婚するには

私のことを簡単に自己紹介をすると、パニック障害と発達障害グレーゾーンを抱えている一般男性です。Twitterでは性別不詳なのにも理由があり、過去にDMでストーカーされたのが原因で性別を隠すことにしました。

発達障害と分かったのは、大学を卒業してからで周囲が普通に出来ていることがまるで出来ないのがきっかけで始めは努力不足・工夫が足りないなどと自分に原因があると思って、仕事を色々と変えたりもしましたが上手くいかず。

後に心療内科で症状を伝えると発達障害のテストなども行った結果、軽度の発達障害であることが判明したのです。

◾️元嫁との出会い

今は離婚していますが、元嫁とは今でいうマッチングアプリに似たようなアプリで出会いました。今と比べれば明らかにそういうアプリが少なかった時代でした。

付き合うようになったのは、出会って4回目ぐらいのデートで自分から告白しました。その時は発達障害であることは告白せず、3回目のデートでパニック障害持ちであることをカミングアウトしました。よく、出会ったらとか出会う前にカミングアウトする方がいいという話も聞きますが、私はオススメしません。その場合、色眼鏡と偏見というフィルター越しで自分という人間が見られてしまうからです。

ある程度、仲良くなってから障害や病気のカミングアウトをオススメします。私は今まで付き合ってきた相手にもそうしてきましたが、皆さん受け入れてくれました。

自分が気にしているほど気にしなかったりしている場合もあり、驚いたのを覚えています。

◾️同棲の開始

付き合ってから3ヶ月くらいして同棲しようかという話になりました。始めは戸惑いましたが、何事もやってみなければ分からないと思い、元嫁と物件を探し回りました。今思うと恐ろしいのですが、家賃10万の家で同棲をすることになり、その時の私の貯金は障害者枠で働きながら実家生活で貯金した400万と元嫁の手持ち金が何と3万というおかしな状態でした。

元嫁は当時、夜職をしていてガールズバーで働いていました。私はそれに抵抗があり、同棲を開始したらパートでいいから仕事を変えて欲しいとお願いして、一緒に仕事を探してあげました。

その結果、コールセンターでの採用が決まりました。

◾️同棲生活で驚いたこと

同棲生活が開始した時に実は障害者枠で働いていることをカミングアウトしました。元嫁の反応は「働いているなら別にいい」という返答でした。

元嫁は毎日パートをしている訳ではなく、週4のフルタイムだったかと思います。休みの日は夕方の17時まで爆睡していて、家事も夕飯作りも掃除もしない徹底ぶりでした。今思えば、この時に結婚は辞めておいた方が良かったとさえ思います。週1でも掃除してとお願いしても中々しなかったり、「発達障害かな??」と思うほどでした。

◾️義母にご挨拶

何故、ご両親でないかというと、元嫁の母親はバツ3のシングルマザーだからです。実家は青森でおそるおそるご挨拶に伺って驚いたのは、部屋の中の散らかりっぷりでした。TVでよくゴミ屋敷の特集を見たことがありましたが、自分の目で目撃することになるとは思いませんでした。

足の踏み場もなく、落ち着かない中で結婚のご報告をしたら、すんなりとOKで拍子抜けだったのを覚えています。しばらくすると妹も2階から降りてきて挨拶をしました。そこでまた驚いたのは、妹も未婚のシングルマザーだったことです。話を聞いてみると、男が妊娠させて逃げたとのことでした。その子供を養う為に義母や義妹がパートでスーパーで働いているとのことでした。

私はとんでもない家系に足を踏み入れてしまったと思いましたが、退路は個人的にありませんでした。そして、元嫁を自分の両親に紹介してめでたく結婚をすることになりました。

◾️結婚生活の開始

何はともあれ、結婚生活が開始しました。そうする元嫁は子供が欲しいと言ってきました。私は、自分がパニック障害や発達障害を抱えていたので、子供を作ることには躊躇していました。

元嫁にも「遺伝したらどうするの?」と聞いたら、「遺伝するかどうかなんて分からない。産みたい」とのことでした。子作りを開始して3ヶ月ぐらいで新しい命を授かることが出来ました。

当時、元嫁から妊娠の報告を聞いた時は本当に喜びました。凄い不思議な気分であったのを覚えています。

◾️つわり生活の開始

元嫁が妊娠して3ヶ月ぐらいの時につわりが始まりました。元嫁はつわりが酷く、食べては吐いていたので、私は何か食べやすいものをと思い、フルーツを買ってきたのを今でもよく覚えています。後は妊婦さんのサプリメントなどを購入したり、栄養面が本当に気になった時期でした。

◾️長女の出産

時は過ぎて新しい家にも引っ越して1ヶ月くらいした時の夜中に元嫁が破水して急いで産婦人科に電話してタクシーで病院まで向かいました。

当時はコロナ禍でもないので、会社を休んで出産に同席しました。本当に命の現場というのは凄まじく、新しい命が誕生する場には独特の緊張感が漂っていました。元嫁の汗を拭いたり、励ましていく中で8時間くらい経過して赤ちゃんの産声を聞いた瞬間、私は恥ずかしながら泣いてしまいました、それと同時に元嫁へ「ありがとう」と感謝の言葉を口にしました。この場に立ち会えて本当に良かったと思っています。離婚した今でもそれは変わりません。

◾️最後に

いかがだったでしょうか??ここまでが第1部という感じで、長女が産まれてからも色々な問題が降りかかってきました。楽しかったり、嬉しかったり、時には泣いたりなどの展開です。

発達障害者が結婚する方々というよりかは発達障害者が結婚に至るまでの方が正しい気もしました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。また、機会があれば続きを書きたいと思います。

それでは、また。


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