「"好き"とか言う感情なんてあるべきなのか?」という話
この記事を読む前に
ここでは恋愛とか心理学とかにそこまで詳しくない人が恋愛について語っている。正直、モテたいとか、恋愛したいって思っているなら読まないほうが良いと思う。ゲンナリしちゃうぞ。
ただ、恋愛というものに否定的だったり、筆者と同じく「好きってなんですか」って思っている方がいるのも事実だと思う。
そこで、そんな方々向けに"好き"ってどんな感情なのか、本当に必要なのか、どうやって扱っているのか。そんな話をさせてほしい。
まとめ
恋愛感情は天国に昼と夜を作るようなもの。いままで天国にいるときのような平穏はなくなる。刺激やより素晴らしい幸福を与えてくれるかもしれないが、苦痛やより惨たらしい人生になる可能性もある。
だから、本当は恋愛感情というものを持たずに暮らしたほうが人生は楽になる。
それでも、誰かを好きになりたいと思うなら、その覚悟をしておいてほしい。
"好き"という感情とは?
ざっくり言うと「楽しさ・嬉しさ等の前向きな感情を与えてくれる人自体を欲しい」と思うこと。
「恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである。少なくとも詩的表現を受けない性欲は恋愛と呼ぶに値しない」
芥川龍之介の言葉ではこんなふうに表現されている。
要は、"好き"という感情は人間が自然にもってる欲の一つだ。ただ、それが満たされている人にとってはこの感情は湧きにくい。だから、もう既に幸せな人がこの欲を持つことはないと思われる。
では、幸せってなんなのか。幸せと恋愛感情ってつながっているのか。
幸せと恋愛感情の関係って?
幸せというのは、満たされている状態のことだ。再び過去の思想を借りると、「人は何かの目的を達成するためには必ず何かをする。 そして、その何かの目的はさらに上位の目的につながっている。 その究極の目的が「幸福」である」(アリストテレス)
だから、幸せになるには誰かを好きにならなくちゃいけない。そんなふうに思い込んだら誰かを好きになりたいと思うのかもしれない。ただ、そんなことをしなくても、十分幸せになる方法は用意されていると思う。それ以上は話題とずれるのでやめておくとする。
閑話休題
幸せというものと恋愛の関係性は結構根深い。恋愛をしている時は、誰かを求めているし求められている。そうして相手に「受け入れられ」「認められ」「かけがえのない人として扱われる」ことで大量の満足感を得ている。いわゆる承認欲求というやつだ。この欲求が満たされると、自己肯定感につながったり、自分の価値を認める事ができるから、幸せだと感じることが出来る。この部分に疑問を覚える人もいるかも知れないが、そのあたりは別の機会に。
"好き"って本当に必要なの?
なくても困らない。ただし、恋愛感情があると幸せの限界値が増える。その一方で苦しみの限界値も増える。普段の生活がより華やいで見えるかもしれないが、その一方で感情の起伏が激しくなる。だから、自分の感情にどれくらい責任を持つかという問題になる。
個人的には、誰かを好きだと感じている間は比較的幸せで居られるが、それが嫉妬に変わったり、憎しみに変わったりすることに注意が必要になる。幸せより、苦しさのほうが強調されてしまうからだ。あくまで自分の思いで人を好きになるのであって、誰かと比較することで度合いを比べるものではないと思う。
では、どうやったら幸せを維持したまま恋愛感情を扱えるのだろうか。
"好き"の扱い方
これについては物議を醸すかも知れない。
一番良いと思うのは、色んな人を好きになること。分かりやすいのは友人に対して恋愛感情を持つこと。
もし、試しで片思いをしてみたいと思ったら、誰か具体的な人を思い浮かべない方がいいかもしれない。二次元の人等なら、嫉妬することも難しいと思うのでおすすめ。楽しさや嬉しさ、安心感などを得ている自分を想像すれば親しいものは得られると思われる(保証はしないが)
結論
"好き"という感情は、誰かを欲しいと思うこと。
人に対して"好き"だと思うと、より幸せになる事もできるが、より苦しくなることもある。
だから、色んな人を好きになってみると、波が少なくて済む。最も、社会的・法律的なルールは守らなくてはいけないけど。
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