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「“New-Move” Society」プロジェクト座談会


SandSの初プロジェクト「“New-Move” Society」。このプロジェクトの振り返りをかねて2020年末に座談会を実施。このプロジェクトを通じてSandSのメンバーが発見したこととは。4人のメンバーがそれそれの担当を通じて、SFプロトタイピングの活用方法について話しました。


高井:もともとSandSは「アジアの都市を対象にしたトレンドレポートでまともに使えるやつがない」っていう課題意識を起点に「旅行がてら、定性情報をまとめたレポートを作れたら需要あるんじゃない?」っていう考えから始まった、文字通りの“Speculative and Sightseeing ”だったんだよね。
ところがSandSのwebサイトを立ち上げた矢先に緊急事態宣言が出て、アジア含めて海外へ行くなんて全くできる状況じゃなくなって「どうしよう?」みたいな状況で。でも、ステイホームやリモートワークとか、コロナ禍で急激に一変してしまった社会は、海外に行かなくとも旅行者のように十分新鮮に観察できる対象になったし、いつどうなるのか全く先の見えない未来こそ、今僕らが考えなきゃいけないものだろうということで、思考実験的に始めてみたのがこの『“New-Move” Society』だったんだよね。

だから、今でこそ「SFプロトタイピング」って少しブームになっているけど、別にSFプロトタイピングをしたくて始めたわけじゃないし、これがSFプロトタイピングなのかどうかは正直分からない。

SFプロトタイピングってなんだろう

林:最近あるアーティストが『SFにおける死』について調べているっていうのをFacebookで見て。そこで、確かにSFのディストピアな世界観って覚えているけど、どういうエンディングかって覚えていないなって思って。

高井:SFってディストピアの方が描きやすいんだよね。舞台設定を飛ばせるし、ドラマチックな展開にしやすいから。

浅見:圧政に対するレジスタンスとかね。この物語のなかでも「野人」っていう設定があったよね。

【野人】私生児や違法移民など、戸籍・チップを持たない者たちの俗称。監視社会の目をくぐり抜けて行動できる「野人」は主に裏社会で重宝され、社会問題化している…という設定。

高井:反体制だよね。ある意味この設定における被害者とも言える存在。でも本編では登場させるところまでいかなかったね。

佐々木:でもなんでディストピアのほうが描きやすいんだろうね。

浅見:たぶん改善することが多いからだと思う。幸せな世界を見せられたら、それでいいじゃん、ってなって何も起こらない。支配されているとか、(ジョージ・オーウェルみたいに)ビッグブラザーとかだと、それってどうやって監視の目を掻い潜って、もうちょっと人間らしく生きられるんだっけっていうポジティブな問いに変換できる。

佐々木:カウンターの思考をしやすいのか。

浅見:こんな未来嫌だね、というだけでも少しアクションが変わるような気がする。

高井:課題というか、試練が起こらないとね。カタルシスが起こらないし物語にならない。

SFプロトタイピングのビジネス活用について

林:デザインリサーチだと、そこが課題の設定や問いにつながっている。でもある意味SFプロトタイピングだとマッチポンプっていうか、自分で課題を作って自分で課題を解決する、になっちゃうよね。だから、実は解決方法までデザインしたほうがいいのか、そこはよく分からないけれど。

高井:多分SF小説だったらそうなるよね。環境設定と課題があって、それをどう「オチ」として収束させるかという点では、解決策もセットで考えておいた方がいい。ただSFプロトタイピングってなると、課題は現実から未来にありそうなものを設定して、そこから予測的に考えていくから、解決策は出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。

林:その「出てこないかもしれない」という前提を許容しないと、そもそもこのプロジェクトは成り立たないよね。必ず解決策があるという前提だったらコンサル的な思考になって、解決可能な課題設定になってしまう。

浅見:だからこの取り組みをSFプロトタイピングと呼ぶ、呼ばないということは置いておいたとしても、「クライアント」はいないから、「お金をもらっている以上、何かを結果として出さないといけない」ということではなかった。R&D領域などで時々ある「一緒に思考を飛ばす実験的なプロジェクトをしましょう」とかは別だけどね。答えらしい答えを出さなくてもいいっていう意味では代理店的な仕事の範囲に縛られずに済んだ。

林:仮にこれをパッケージ化してクライアントワークにする場合、クライアント側に相当な度量がないときついだろうね。

高井:今SF作家の樋口さんたちがやっている会社Anonとかが、SFプロトタイピングをサービスでやっているんじゃないかな?それもただ、解決策を出すこと自体を目的とするよりは「そういう思考で考えてもいいんだよ」という視点の価値を提供しているんじゃないかと思うけど。

浅見:発注者と受注者の関係性を飛び越えてワーキンググループ的にやっていくと、単に「誰々さんの文章力やアイデア力がすごい」ということではなくて「そういう視点で物事を見ればいいんだ」って社員が勉強になるというプロセスをインストールすることを企業側が欲しているんだと思う。

林:そうなるとCXOレベルで議論する時の最低知識みたいになってくるよね。事業会社の未来予測だと、未来の幅があったときに「この未来だとこの会社だとこういうことができる」とか。

浅見:PEST分析とかのきっかけとしてその視点がないと考えられないよね。

佐々木:クライアントワークに向かないというよりは「売り方、切り取り方」にもよるかも。ただ最低限として相手の理解がないと成立しないとは思う。アジャイル開発とかもそうで、外部委託だけで推進するのは結構つらい。プロジェクトメンバー全員の開発プロセスへの理解と相応のスキル(優秀なスクラムマスターやフルスタックエンジニアがいるなど)がないと。

林:ぼくもエージェンシー側と事業会社、両側にいたけど、絶対に埋まらない溝ってあるよね。エージェンシー側の方が幅広く経験があったりするのに。 

佐々木:だから請負契約だとやれないよね。納品の成果物が約束できないから、基本的には準委任契約になるよね。

林:でもそういう会社増えているんじゃない?「マインドセットだけコンサルします」って場合でも、もちろん最後のアウトプットは強引に作っているんだろうけど。

4人でのコラボレーションと日常の業務の違い

林:今回のアプローチって「リレー小説」っていうジャンルになるのかな。こういったアプローチをデザインのメソッドにできると面白いのかも。一人が全てを書いてしまうとその人の頭の中だけになるから。コラボレーションワークでみんなが自分の得意分野の話を持ち寄って、次の人がそれを受けてどう繋げるんだっけ、というのは面白かった。一方で、日常業務とかだとどうしてもトップダウンになるじゃない? 一般の事業会社もそうで、責任者がディレクションする。それがない場合にどこに行き着くんだろう。

佐々木:不安定だったよね。着地が分からないし、どう転がるか分からないっていうのを面白がれないと。

浅見:それを決めてなかったんだよね。出たとこ勝負で決めてやろうっていうのか、ここの結末だけ決めといて、その道筋は考えながらでいいんじゃない、って。

高井:「とりあえずやってみよう」で始めたからね。誰かが一人編集者的に立ってっていうやり方もあったかもしれないとは思うけど、今回は特にディレクターや編集者って役割を4人の中で立てたりはしなかった。

浅見:そこが決定的に日常業務と違ったところかな。他にあるんだっけ?

林:今回、野人とか色々な設定は考えたけど、結局本編には入らなかった。そのへんは忖度なく無理なものはズバッと切りながら書いたと思う。

高井:一応、全ての話はつながってはいるけど、一話完結というかオムニバス形式で、文脈回収や伏線回収はあえてあんまり気にしなかったね。

浅見:逆に日常業務との類似点もあったかなと思って。「New-Move」っていうお題で仮説を立て、それに対してストーリーを描き、その中の具体的なものを想定するという点では「カスタマージャーニーマップ」っぽい側面はある。今回はSF小説で作ってるけど、普通のリサーチでも何かしら「テーマ」があって、デプスインタビューから紡ぎ出してストーリーを作るから、その上で細かくアイディエーションしていくというプロセスは結構近いと思う。

高井:体験向上のポイントとか、課題解決のポイントとかね。カスタマージャーニーだとメインターゲットのペルソナだったりするけど、今回はAnonymous(匿名)で色々な登場人物のシチュエーションにおけるペインポイントを描いているけど、それを解決するアイディエーションまでは描かなかった。

林:架空の世界におけるペルソナを作ったってことだよね。その人たちを僕らがエスノグラフィーっぽく見ているっていう。
あと、このストーリーで出てきた言葉の定義はしっかり決めなかったよね。たとえば「アカデミー」っていう言葉が出てきたときに、それは「学校」かもしれないけど、他の人が頭の中で考えたアカデミーの定義をぼくは聞かずに受け取っている。ディスコース(言説)が違うことを前提に作っている。なんとなく浅見はこう思っているだろうなというのを想像して書いているから、少なからず違っていて。用語集を作れるレベルまでは作り込んでいない。

高井:どっちがいいんだろうね。ちゃんと定義した方がいいのかな。

浅見:SF小説を書くならやった方がいいけど、アイディア膨らませるだけならやらなくてもいいかな。

佐々木:ある程度抽象的だったり余白がある方が、考えやすいかもね。

浅見:あとは2人が書いた「アカデミー」という設定に対して、他のメンバーが質問するという方法もあると思う。

佐々木:アカデミーって最初は強制収容所みたいなイメージで書いてたんだよね。言葉から連想できるものって人によって違うと思うけど、独自の言葉を作るっていうことは重要だと思う。

浅見:「強制収容所」って言葉がきつすぎるって思って途中で変えたんだよね。

林:でも、空間のイメージは違うよね。僕は割と白い病院みたいなイメージだったけど。映画とかになった場合にビジュアルが先行しちゃうことがあるけど、そのときに人間は視覚で見せられるとすごく影響されるよね。

高井:だから各記事のヘッダー画像を作るのは、どういうビジュアルにするのか結構悩んだ。みんなが書いた小説を頭のなかで映像化して、どのシーンを切り取るといいアイキャッチになりそうかって考えるんだけど、アカデミーの話のときは、交通違反した時の免許更新センターのビデオの教室みたいなイメージで探した。これくらいの抽象度だと大きく外れてないかなと思って。

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収束と発散を切り返しをどう設計するか

林:今回、僕が最後のタクヤの話を担当したんだけど、やっぱり3人分のストーリーを受けてきているから、最後は大変(笑)。「最初からオチを考えておくかどうか」ということなんだけど、ここが意見が割れたところで。読者からすれば「オチを付けてほしいかな」と思ったり。でも、収束を先に決めると逆に決めたゴールから外れられなくなって偶発的なストーリーの面白さは出づらくなる。

高井:SFプロトタイピングはアウトプットを約束するものじゃなくて、発散の仕方とか「Out-of-the-box Thinking」の仕方を提供することだと思う。だから物語としてのオチをつけることは必須ではないのかな。

浅見:SF小説とSFプロトタイピングの違いかもね。一番の違いは物語として成立させるかどうか。小説だと読み手のことを考えて成立させないといけないけど、プロトタイプ目的ならキレイに終わらなくてもいい。

林:ユートピアを描く場合も同じなのかな。コロナが収束しなさそうな状況だけど、一方で結構ユートピア的に暮らしている人もいるよね。

高井:リモートワークが認められて子供といる時間が増えたとかね。ユートピアは一本の長編小説だと面白くないけど、このプロジェクトぐらいの一話完結だったらいけるんじゃない?リレー小説全体としてのオチはないけど、一話一話では成立はしてるから。

林:その場合、話数を増やした方がいいのかな。一話一話ごとに背景情報と事件があるとか。

高井:最初は一話完結のオムニバスで短編を続けていくイメージだったんだけど、書いていくうちに面白くなって、つなげてみたくなっちゃったんだよね(笑)。

佐々木:バトン形式になったから結果的に長編っぽくなったけど、一斉に出せばそうならなかったのかも。

林:でも人は物語の順番を意識すると思うんだよね。

浅見:読み手は見出すと思う。バラバラの世界とも、つながっているとも言わなければ、つながっていると勝手に解釈するんだと思う。

SFかSFプロトタイピングか

浅見:実は今回のプロジェクト、SF小説でもSFプロトタイピングでもない気がしてて。「フィクション」ではあるけど「サイエンス」ではない。僕の中のSFって例えばテッド・チャンのように、今ある技術に基づいてフィクションを描いているものなんだけど、今回はサイエンスの話というよりはオルタナティブワールドぐらいのイメージだから。いっそのこと「〇〇フィクション」って僕らが命名しちゃえばいいじゃんって思って。

高井:サイエンスの部分は、2020年からの数年後にあり得るテクノロジーの範囲で、最低限荒唐無稽にはならないような裏付けだけした感じだったね。

林:そのあたりの設定は結構詰めた気がする。GPSでcm単位の精度だとか、体の2箇所に埋め込んで体内で発電とか、現在考えられている未来のイメージには沿っているよね。つまりドラえもんの世界観。全部あり得そうだけど「道具だけフィクション」。

高井:確かに世の中で「SF」と称されているものの全てが必ずしも「サイエンスフィクション」ではなくて、もっと幅が広くなってきている気はする。

浅見:そうなったときに「SandSらしい」もの、たとえば「スペキュラティブフィクション」とか、そういう新しいジャンルとして名前をつけてしまうっていうのもいいのかな。スペキュラティブはそもそもフィクションみたいなものだし。サイエンスフィクションという名前自体に引っ張られないほうがいいと思う。現時点で一番近しい言葉が「SFプロトタイピング」だった。

林:ネットで調べると、「SFにおけるニューウェーブ運動の参加者は、SFは科学小説ばかりではないという見解から、SFはサイエンスフィクションではなく、スペキュラティブフィクションの略だ」って記事もあるね。

一同:おお!当たっているじゃない!

浅見:我ながらセンスあるな(笑)。

終わりに

佐々木:同時にSightseeingも重要だよね。「Sightseeing Fiction Prototyping」という表現が合っているのか分からないけど。
Sightseeingって観光以外になんか意味あるのかな。そもそもこの言葉自体が面白い。

高井:「見物する」という意味で捉えると、客観的な目線って感じがする。だからチカとかタカコとかを第三者的に監視カメラで覗き見てた感じ。

林:トレンドワードで「Immersive(没入)」ってあるけど、ちょっと違うのかな。タカコの場合、バーカウンターの斜め上にカメラがあって観察しているけど没入もしている気もする。

高井:本質的にSightseeingって客観的でありながら、その世界に没入はしているんだよ。

林:実際に「観光している」って状態は、気温とか湿度とかも含めて「物理的にその場所と時間を共有」しているよね。だから観光地の写真を見るだけではSightseeingにはならない。Immersiveの次なのか、Immersiveの日本語的な解釈がSightseeingなのかもしれない。没入という言葉だとARとかVRを先に思い浮かべるけど、それよりは対象物の横にいて...それってVirtualなethnographyかな。

高井:Immersiveだけだと没入して夢中になって感情移入してしまう。そこに客観性がないと分析できない。SpecurativeにやるならImmersive×何か、だろうね。

林:ImmersiveとObserveを対極にした場合、真ん中あたりにあるイメージ。両利きの発想だけど「ここはもうちょっと没入しよう」とか「ここはもうちょっと観察しておこう」というのが同時にできることが面白い。これを僕らはSightseeingって呼んでいたのかも。

高井:没入しつつ客観視しているということがSandSのSightseeingってことだね。

<了>

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