見出し画像

ミッドナイト板橋

上京して一年が経つころに奇妙な出会いがあった。僕が当時住んでいた六畳間のアパートには洗濯機がなかった。だから、中板橋駅近くのコインランドリーに週末になると必ずそこで洗濯をしていた。日曜日の夕方にいつも行っていたが、大体同じタイミングで来る大学生が僕ともう1人いた。僕は時間を変えようかといつも悩んでいたが、結局いつもの銭湯の真横にあるコインランドリーに行った。その大学生とはこれで会うのが4回目くらいの頃に向こうから声を掛けられた。
「自分この辺に住んでの?」
自分?となったが彼は僕に視線を向けてたから僕に聞いてるのだろうと思い、正直に「本町に住んでます」と言った。初対面の人に住んでる地域を言うのは、今考えると危険なことだったと思う。けど、その人は見た感じ大丈夫そうだった。言葉では表現しにくいが彼には安心感があった。話を進めていくうちに彼も同じ大学に通ってることが分かった。彼の年齢は3つ上だったが、僕と学年は一緒だった。
「俺はお笑いサークルに所属しとんねん」
どう反応していいか分からないまま、彼は話を続けた。
「関西弁を勉強してるんや。英語やら中国語勉強するよりよっぽどおもろいで」彼は仙台出身だったが、関西弁を話した。
関東出身の僕でも分かるエセ関西弁をいかにもそれぽっく話した。そこが彼の胡散臭いところでもあったが、彼なりのユーモアさでもあった。決してそのコインランドリーで意気投合したわけではないのだが、洗濯も終わり、帰り際に
「今日の夜暇か、カラオケ行かへん?」
と聞かれたので咄嗟に暇です。と言ってしまった。確かにこれといった予定はなかった。今日初めて会話した人とカラオケに行くのは億劫だったが興味本位で行くことにした。

集合時間は夜中の午前1時だった。僕はウォークマンでカラオケで歌う予定の曲を聴きながら自転車を漕いだ。自転車を駐輪場に止め、店に着くと、彼はアディダスの半袖に短パンという出立ちで店の前にいた。店員から渡された部屋番号は3階だった。部屋の中に入ると煙草の匂いがうっすらした。(当時は部屋の中で煙草が吸えた)彼はソファーに座るなり煙草に火を付けた。何故かライターではなくマッチで火を付けた。最初に歌うのは嫌だなと考えてるときに彼は言った。
「今日は歌いに来たんとちゃう。俺のネタを見てほしいねん。」そこから、彼はずっと一発ギャグやショートコントをやりだした。ネタ自体は全く面白くなかったが、今日会った初対面の人にネタを披露する精神力は認めざるを得なかった。大体、日が昇り始める頃になって休憩と言い雑談タイムが始まった。基本、僕は聞き手だった。その方が性に合っていた。
「いつかな、それはいつになるかは分からないがアメリカでスタンドアップコメディアンになりたいんだ」
いつの間にか標準語になっていた。彼も流石に疲れたのだろう。2時間以上1人で喋り続けていた。
「来月からアメリカのUCLAに留学する。お前と会うことももうないかもな」
彼が在籍していた学部では1年間の留学が必須だった。海外かぶれが多そうな学部だと僕は思った。実際その割合は高かった。
「フリータイムで入ったわけだし、一曲くらい歌うか」と言って歌ったのが尾崎豊のForget me notだった。バラード歌うんかいとツッコミを入れたかったが彼は自分に酔いながら歌っていた。その姿を見ると何もかもどうでもよくなった。今日起きた事、ほぼ初対面の人とカラオケに行きネタをずっと見せられること。東京ではこんな事も起きるんだと自分に言い聞かせた。結局のところ、こんな経験はそれ以降二度となかった。

その後彼とは連絡先を交換することもなく、別れた。家に帰る途中、川沿いの桜が散り始めているのに気付いた。それは僕に少し憂鬱な気持ちにさせた。大学で再会することもなかった。お笑いサークルに行ってみようかと思ったが彼の名前すら知らなかった。今思うと、あれは幻想で幻だったのではと思う。それくらい強烈なインパクトを残し、そしていなくなっていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?