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プリウスに乗って

プリウスに乗って、旅に出よう 彼が誘ってくれた夏休みの始まり 窓の風鈴がチリンと鳴る 私は少しドキドキする 彼とのドライブは初めてだったから ドライブ中どんな曲を一緒に聴こうか ドライブ中どんな話をしようか 彼の運転は上手いだろうか プリウスの走行音はとても静かだ 彼の性格にそっくりだ 無口だけどそっと優しい 海が近づいてきた 少し眩しい、波のざわめき 彼の横顔と交互に海を眺める 毎年のように来る夏 今年も始まった 太陽が1番輝く季節が

    • ミッドナイト板橋

      上京して一年が経つころに奇妙な出会いがあった。僕が当時住んでいた六畳間のアパートには洗濯機がなかった。だから、中板橋駅近くのコインランドリーに週末になると必ずそこで洗濯をしていた。日曜日の夕方にいつも行っていたが、大体同じタイミングで来る大学生が僕ともう1人いた。僕は時間を変えようかといつも悩んでいたが、結局いつもの銭湯の真横にあるコインランドリーに行った。その大学生とはこれで会うのが4回目くらいの頃に向こうから声を掛けられた。 「自分この辺に住んでの?」 自分?となったが彼

      • ドライブレンタカー

        たけるの唯一の友達と呼べるのはフットサルサークルの先輩だけだった。大学で友達を作ろうとしなかったわけではない。ただ、時とその場に合わせていたら、一年の前期が終わる頃にまともに会話するのは同じ十条に住む先輩だけだった。その先輩も地方出身で、長野県の何市かは忘れたが、とにかく、たけると同じく大学を機に上京してきたのだ。何かとその先輩とは共通項が多かった。高校までサッカー部に所属し、ポジションは基本、ミッドフィルダー。入学して早々、学部のオリエンテーションで会った。見た瞬間からサッ

        • 2004年 part1

          僕は2004年が好きだ。なぜだろうと考えるが、これと言った理由は見当たらない。アテネオリンピックで女子フルマラソンで金メダルを獲ったのが日本人選手だったからとかではない。その年のドラマが面白かったとかではないのだけど、なぜか好きだった。多分、その年が僕の人生における分岐点となるキーパソンと呼べる人たちに出会えたことだからであろう。 僕は2004年にハタチになろうとしていた。大学2年生だった。特に目立つこともなく平凡な生活を送っていた。ただ、第二外国語のフランス語の授業だけは

        プリウスに乗って

          5号館の屋上、東京の空

          上京して2年が経つ頃に、村田ニネヴェは大事なモノをなくした。それと同時に異性に対する関心もなくなった。果たしてこれが良いことだったか、悪いことだったかは分からない。けれども、一人の大人に成長していく過程では仕方ないことだと自己で判断した。そして、大学を辞める決意をした。物事を進めていく中で一つこれだと決めてしまうと事態は急展開を進め、なかなか止まらない。それはまるで、坂道でブレーキの効かない自転車のように。教務課で退学届を提出し、久しぶりに5号館の屋上でも行ってみようと思いつ

          5号館の屋上、東京の空

          traveling companion

          「君は誰かと2人だけで海外を旅行したことがあるかい?」 すみれは首をかしげる。確か3人で大学時代に台湾に旅行した記憶がある。2人はない。 「僕にはある。しかもその当時最愛な人と」 また、元カノの惚気話を聞かされると思うと気が遠くなる。彼はずっと引きずっている。もう5年前になる彼女のことを。彼を見ていると男性の方が未練がましいような気がしてならない。 「私とどこか旅行に行きましょうよ」 しかし、彼は窓を見つめ遠くの空を眺め、私の話など上の空だった。つまんない男。そう思

          traveling companion