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ドライブレンタカー

たけるの唯一の友達と呼べるのはフットサルサークルの先輩だけだった。大学で友達を作ろうとしなかったわけではない。ただ、時とその場に合わせていたら、一年の前期が終わる頃にまともに会話するのは同じ十条に住む先輩だけだった。その先輩も地方出身で、長野県の何市かは忘れたが、とにかく、たけると同じく大学を機に上京してきたのだ。何かとその先輩とは共通項が多かった。高校までサッカー部に所属し、ポジションは基本、ミッドフィルダー。入学して早々、学部のオリエンテーションで会った。見た瞬間からサッカー部の雰囲気を感じとった。野球部出身とは別の雰囲気を持ち合わせてる。それを言葉で表現するのは難しい。
 同じ経済学部に所属し、必修の授業について聞いたり、履修登録の説明など、ありとあらゆる新入生がしなくてはならないことをたけるはその先輩から教わった。たけるにとって、先輩は唯一の頼れる人でもあり、初日から安心感を覚えた。まさに、お兄ちゃんみたいな存在だ。たけるには残念ながら、兄弟はいなかった。一人っ子で育って故に傲慢さもあった。そんな少し、生意気さが残った新入生に先輩は優しく接してくれた。
 一年の夏休み、たけるには予定などまるでなかった。他の学生は、合宿免許や国内、海外に旅行、サークル旅行、ボランティアなど、これでもかとみな必死に何かに取り組もうとしていた。それは予定表に空いてる日なんて作りたくないという熱量があった。
 そんなたけるに一声掛けてくれたのは先輩だった。
「夏休み暇だろ?」
僕は特にやることはないです。たけるはそう答えた。
「なら一緒に伊豆にでも行かないか」
伊豆という場所には行ったこともないし、興味もなかったが、先輩が言うなら行ってみてもいい。そして、断る理由などないのだ。たけるは運転免許を持っていなかった。運転は先輩が往復で運転することになる。
「運転は得意なんですか」
「得意というか、俺は運転するのが好きなんだ。例え、1人だろうと誰かを乗せたとしても」
たけるは、そいう人もいるよなと思う。若者の車離れが進んでると世間は言うけれど、車を運転するのが好きな人だってまだいるのだ。最終的にたけると先輩は1泊2日で伊豆を旅行することになった。途中、熱海の海に寄りながら。
 当日、車を借りるニコニコレンタカーに集合した。借りたのは小さなスズキの軽自動車だった。たけるは僕らにお似合いだと思った。2人で旅行する分には充分だ。足るを知るということが重要なんだと、前期の経済学の教授が言っていた。先輩の運転はまるで自分の性格を表現してるかのようなスムーズで無駄に飛ばすこともなく、急にブレーキをかけることもなく、居心地の良い運転だった。たけるは生来、車に酔いやすい体質だったが、先輩の運転では酔うこともなく眠ってしまいそうになった。先輩と付き合ってる彼女をとても羨ましく思った。先輩の容姿は決して世間の言う端正の顔とは言えなかったが、相手を包み込みような安心感は何にも変えられない彼だけの武器であることをたけるは知っていた。当のたけるは彼女などいなかったが、その日だけは先輩の彼女になった気分でいた。最早、伊豆になんて着かなくてもいいのではないかと思った。先輩は口数が多い方ではない。しかし、車内にいくら沈黙の時間が長くても、ぎこちない雰囲気になることはなかった。
 熱海に着くと、そこはまさに夏休みを象徴するような人混みだった。ちょうど着いたのが昼頃だったから海に入る前に、屋台に売っている焼きそばを食べることにした。祭りや海で食べる焼きそばが美味しく感じるのは何故だろうとたけるは考えた。先輩は急にたけるに言った。
「その場の雰囲気次第なんだよな。飲み会でも自分が面白くないと感じればお酒なんて少しも美味しくない。それなら、1人で家に帰って飲む方が全然まし。みんなとワイワイするからこそ、酒が美味しくなり、終電まで飲むことになる」
たけるはまだ未成年だから、お酒や飲み会については詳しくない。正直、先輩の言ってることはイメージしづらかったが、言いたいことは伝わった。
「先輩は今焼きそば美味しいですか」
質問するかしないか迷ったが聞いてみた。
「美味しいに決まってるだろ、たける。そもそも、嫌いな奴を旅行に誘うわけないじゃん」
たけるは、それを聞いて嬉しく思い、心の微妙な動きを感じた。それは何かは分からない。男を好きになるんてあるわけないと思っていたが、この時ばかりは心が揺れ動いた。たけるにとって、この夏の日の思い出は大学時代の忘れることのできない出来事になった。それは、今までにない感情の始まりだったかもしれない。



 

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