見出し画像

2004年 part1

僕は2004年が好きだ。なぜだろうと考えるが、これと言った理由は見当たらない。アテネオリンピックで女子フルマラソンで金メダルを獲ったのが日本人選手だったからとかではない。その年のドラマが面白かったとかではないのだけど、なぜか好きだった。多分、その年が僕の人生における分岐点となるキーパソンと呼べる人たちに出会えたことだからであろう。

僕は2004年にハタチになろうとしていた。大学2年生だった。特に目立つこともなく平凡な生活を送っていた。ただ、第二外国語のフランス語の授業だけは頑張っていた記憶がある。もともと、フランス語ができたわけもなく、たまたま適当に選んだのがフランス語だったのだ。それが、もし中国語であったとしても、当時の僕はそれを受け入れ、授業に参加していただろう。そして、同様に発音に苦労したことだろう。フランス語の先生は40歳くらいのフランス人男性で、母国の大学を卒業した後に上智大学の大学院に留学したらしい。そして、大学院時代に出会った、ある一人の日本人女性と結婚して、今もなお日本で生活している。フランス語のクラスは女子の学生の方が多く男子は5~6人といったところだ。フランス語のクラスに仲の良い友人なんていなかったから教室の一番前で受けていた。だから、先生に良く当てられることが多かった。それを不憫だと思うことは特になかった。いつかの授業でクロード・モネの話になり「彼は日本の庭園を愛していた。パリのオルセー美術館で、そこには日本語の説明文が至るところで見れるぞ。」​

画像1


その先生は言った。そして、最前列に座っている僕の名前を呼び

「君は学生のうちにパリに行きたいと思わないのかね?」

急に聞かれ少し動揺した。「確かに行ってみたいと思います。ですけど、そんなお金は僕にはありません。」言った後で、貧乏自慢みたいで恥ずかしいと少しだけ後悔をした。先生は少し頷いた後に「ふむ。確かに往復で航空券は10万円前後はかかるかもしれない。けど、それくらいバイト代でも親から貰うことは不可能なのかね。」今日の先生はやけに食いつくなと思いながら、「先生、僕は今バイトをしてないんですよ。ですから、社会人になってから行きたいと思います。」その後、先生はこの話を一切しなかった。

次に週の授業になると、先生は僕に交換留学の説明会のパンフレットを持ってきた。そこにはアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、アジアの国々に実際に留学してきた先輩が相談や現地での生活教えてくるという会のようだ。僕の平凡な学生生活に留学というプランは微塵もなかったのだが、先生が「今、フランスに行くわけではないのだから、とりあえず説明会には参加しなさい」という強いプッシュを受け渋々参加することに決めた。説明会の大教室に行ってみると各国ごとにブースが分かれていて、フランスのブースにはフランス代表のサッカーチームのユニフォームを着た日本人の学生2人とフランス人の学生がいた。ブースに着くやいなや「Salut Ça va?」と陽気に挨拶をしてきた。僕は少し胡散臭さを感じながら、挨拶を返した。僕と同じように説明を聞きに来ていたのは、背の高い女の子が一人だけいた。先輩の説明を聞いてるとき僕は全く集中することもなく、その女の子のことだけを考えていた。果たして、同じ学部だろうか、何年生なのだろうか。雰囲気だけで見れば年上のような気がした。あまりにも彼女の服装は洗練されていた。エレンガントな装いではないが、自分に似合う服を知っているという感じだ。20分程度で説明が終わり、後は個人の相談を聞くという流れになったタイミングで僕はその子と目があった。あまりにも目力が強すぎて、目を背けることができなかった。「あ、フランス語の授業でいつも前で受けている子だよね」まさか、彼女も同じフランス語のクラスにいたなんて思いもしなかった。「アドルフ先生のクラスかい、奇遇だね。留学考えてるの?」当たり前のことを質問したので彼女は少し顔をしかめながら「そう、今父親がフランスのリヨンで働いてるの。わざわざ、お父さんに会うために留学するわけじゃないけど、高校生の頃からフランスに憧れていたの。だって、ヘミングウェイやスコット・フィッツジェラルドもフランスで執筆活動をしていたのよ。そいうのって憧れるじゃない」正直、僕は彼らの名前を聞いてピンと来るのものはなかった。ただ、グレートギャツビーだけは高校生のときに読んでいたが、その時に作者が誰だったかなんて覚えていなかった。とりわけ、彼女は文学をこよなく愛し、芸術にも精通していた。名前は椿といった。彼女はその名前を気にいってないらしい。だから僕に「ミシェル」と呼んで欲しいとお願いをした。僕らは少しの自己紹介とそんな小さな会話しその日は別れた。季節は新緑が照り輝く学期末を迎えていた。

各科目のテストやレポートの締め切りが迫る中、フランス語のテストも一週間後に迫り、授業の終わりにテスト範囲が発表された。椿は僕の席に来て、隣に座った。「今からお昼ご飯食べに行かない?神楽坂に私がいつも良くフレンチの店があるの。どう?」僕はその日、朝から何も食べていなかったしお昼は学食を一人で食べようとしていたから、彼女と一緒にいる方が何倍も価値があるように思えた。多分、午後の授業には行かないかもしれないと思った。神楽坂にあるフレンチレストラン決して敷居が高いものでもなく、学生でも気楽に入れる店だった。でも、僕一人で入ることはないだろうと思った。彼女は本気でフランスに留学を考えていて、来年は日本にいないだろうと強く僕に宣言した。彼女はフランスから僕に手紙を書くと言った。「ところで、私の名前忘れてないよね」僕ははっきりと「ミシェル」と答えた。僕は彼女の前ではミシェルと呼ぶことにしていたが頭の中では「椿」とイメージしていた。彼女は満足そうに微笑み、大きく2回頷いた。椿は感情が表に出るタイプだった。僕はどちらかというと内向的な性格だったから、感情を上手く表現することはできなかった。椿はその後、今の日本の若者について熱く語っていたが、それはまるで僕に言っているようだった。世間で起きていることに少しは関心を持ちながら生活しなさい。そうでもしなければ、世間から置いていかれるよと言ってるみたいだった。その頃僕が住んでいた6畳半の家にはテレビもなかったし、一人暮らしで新聞をとることもなかったから情報を仕入れる元がなかった。大学の図書館に行き新聞を読むことはできたが、それも週一回読むか読まない程度だった。そんな風に生活している中で、椿に出会えたことは明るい希望になった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?