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5号館の屋上、東京の空

上京して2年が経つ頃に、村田ニネヴェは大事なモノをなくした。それと同時に異性に対する関心もなくなった。果たしてこれが良いことだったか、悪いことだったかは分からない。けれども、一人の大人に成長していく過程では仕方ないことだと自己で判断した。そして、大学を辞める決意をした。物事を進めていく中で一つこれだと決めてしまうと事態は急展開を進め、なかなか止まらない。それはまるで、坂道でブレーキの効かない自転車のように。教務課で退学届を提出し、久しぶりに5号館の屋上でも行ってみようと思いつき、行ってみるとそこには、いかにもバンドサークルに所属している風体の男たちがいた。彼らが吸っている銘柄はセブンスターだった。電子たばこが主流の今も紙たばこ吸っている彼らを見てニネヴェはあいつの存在を思い出した。

ニネヴェは文学部に所属していたが、授業で習うことは到底意味のあることだとは思えなかった。社会に出て役に立つことなんてないと思った。「有島武郎は白樺派です」そんなことを説明する日は今後生きていくうえで多分ない。決して、授業がつまらないから辞めたわけではなかったが、ただ授業に行き、時間が過ぎ、たまにサークルに顔を出し、生活に困らない程度にアルバイトをするという、全国の学生の大半がそうであろう退屈する生活をしたくなかったからである。だからこそ、一日ご飯を食べることを忘れてしまうくらい熱中する何かが欲しかった。それが、創作活動だった。読書感想文が得意とかではなかったが、自分のオリジナルの物語を書くのは好きだった。それは、誰にも介入されない自分だけの世界がそこにはあった。中学生の時に一回だけ自分で作りあげた作品を他人に見せたことがあった。しかし、その文の構成はめちゃくちゃで担任の先生に見てもらったが、特にこれといったコメントもなしに返却された。果たして読んだのかと疑った。冷酷な先生だったと今振り返ると思う。高校から大学にかけて冷酷な人間も多いが、お節介の人間もいることを知り、人間はとても興味深い生き物であるなと感心した。

屋上から見える東京タワーとても小さく見えたが、夕焼けとのコントラストはとても美しかった。この屋上にもう来ることもないなと思うと少し寂しいような気もしたが、自分で決めた道なのだから後悔はないと無理矢理後付けをした。さて、これから自分の人生はどうなっていくのだろう。毎日、不安と焦燥で身体が締め付けられ、ストレスで不眠症になるかもしれない、そんなことを考えた、12月の冬空の5号館の屋上で。

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