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パパの1on1インタビューとは「普段開けない引き出しを、一緒に開ける時間」

パパの1on1インタビューとは何か。

私にとっては「パパにとって価値ある時間とは何か」という問いでもあります。

これまで60人を越えるパパとの1on1インタビューを実践してきました。その経験を通じて、おぼろげながら、問いに対する答えの輪郭が見えてきたので、ここに一度、文章としてまとめてみます。

*筆者や具体的な活動内容については、こちらをお読みください。

はじめに

パパの1on1インタビューは「とりあえずやってみる」と特に準備することもなく、活動がスタートしました。何かの確信があったわけではないため、自分の考えを少しずつまとめながら、一歩ずつ歩みを進めています。(ときにはパパと対話する機会を極端に減らし、ひたすら一人思索することも)

そんな活動ですので、この文章では、
仮説:活動開始時に考えてた、パパに必要なもの
検証と考察:パパは何を考え、感じているのか
考察の考察:私はこの活動で何を学び、感じたのか
という流れで、活動を振り返っていきます。

仮説:パパに必要なものは何か

振り返ってみると、活動開始時のサナフミは、自分自身に対して停滞感を持っていました。新しいコミュニティに参加しても満たされない。自分の考えをノートに書き出しても満たされない。正体不明のモヤモヤが心の隅にあった気がします。

きっと何か変化(行動)を起こす時だろうと思い立ち、せっかくなら他人のためになることをしよう。しかも、普段話さない話題で、いつもと違った人と、いつもと違った語彙を使い、対話をしたら面白いかもしれない、と考えていました。

「誰と、どんな話をすれば良いのか」を考えたとき、きっと世の中の忙しいパパたちは、自分以上に、いつも同じ人と、いつもの話題で話しているのではないかと思い至ります。

そして、パパの1on1インタビュー活動が、ある仮説のもとにスタートすることになりました。

多くのパパは、パパとしての自分の考えや価値観を話していない。ゆえに、パパとして内省した言葉1on1インタビューで語る価値がある

普段、男の人が集まって話をするとき、子育てのことが話題になっても、
「習い事どうしている?」
「スマホとか見せている?」
「この子育てグッズが役に立つよ」
といった情報交換子どもの近況報告がほとんどではないでしょうか。そもそも子どもの話にならないことも多いものです。

まして
「自分は子育てでこんなことを大切にしている」
「子どもといるこの場面で幸せな気持ちになるんだよね」
と話をすることは皆無でしょう。

特に親しい間柄ですと、恥ずかしくて話しづらい話題です。目指したいパパ像を近しい人に語ったとしたら、「普段は、全然違うじゃん」と言われかねません。

とはいえ、飲み会へ行ったら、自分の本音や気持ち、ときには人生や価値観の深い話をすることもあるかもしれません。

しかし2020年、我々人類は、その機会を奪われることになりました。

オンライン飲み会が流行りましたが、一人が話せる時間は、想像以上に短いもの。所々でコメントはできても、自分の考えを長々語ることは、まずできません。

そのような現状を想像し、パパには「パパとしての自分」として社交の時間より内省の時間を過ごす必要がある、という考えに至りました。

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検証・考察:パパは何を考え、感じているのか

実際に1on1インタビューをしていく中で、だんだんとインタビューを受けたパパから「良い時間だった」と喜んでもらえるようになってきました。

中には、1on1インタビューの感想をnoteにまとめてくださった方もいます。(ご自身の言葉で、この活動の特長と応援メッセージを書いていただき、感謝です)

ただ、ここではあえて、インタビューをする中で、サナフミが手応えを感じられなかった側面に焦点を当てて、仮説の検証を行ってみます。

①パパとしての自分の考えや価値観を探る
パパの1on1インタビューは決まったテーマはありません。最終的には、内省をする流れになりますが、最初はそれぞれのパパが話したいこと(関心のあること)からスタートします。最初の話題は、大きく3つに分けることができます。

1)現状共有(過去と現在の比較)
・リモートワーク中心になり、子どもと一緒に遊ぶ時間が増えている
・今までは、全然子育てに関わってこなかったけど、今は、、、

2)特定のテーマ・悩み
・最近イヤイヤ期でわがままを言うわが子に、イライラする自分をなんとかしたい
・子どもとの距離感(どこまで子どものすることに介入するか)に関する悩み

3)ビジョン・わが子への思い
・将来、わが子には自分の好きなことを見つけて生きていってほしい
・パパとして、子どもが成長していく環境を用意してあげたい

私が最も内省につなげるのが難しいと感じるのは、2)特定のテーマ・悩みです。

一見すると、対話の内容(方向性)がはっきりして、質問がしやすいように思えます。しかし、話し手の問題意識(問題解決への意欲)が高いほど、パパとしての自分の考えや価値観まで、話を深めるのが難しくなります。

その理由は、話し手のパパとサナフミの対話のスタンスが噛み合わないところにあります。話し手は、問題解決をしようとするスタンスである一方、サナフミは、問題として捉えているパパとしての自分を(一緒に)探ろうとするスタンスです。対話における出発点、前提が違っています。

実際、あるパパには
「もうちょっと具体的なアクションにつながることが話したかった」
「論点が定まっていなかったので、まとまりませんでしたね」
と感想をもらうことがありました。

どちらが良い悪いの話ではないのですが、テーマ(論点)をはっきりさせて、思考が問題解決モードに入ると、客観的な原因を探り、解決方法を考えたくなります。そうなると、いつの間にか「パパとしての自分」から「仕事の自分」に変わってしまいます。

個人的には、いつもと違う「パパとしての自分」について話す場だからこそ、まとまらない考えや心に浮かんだ気持ちを徒然なるままに語ってもらいたいと考えています。

「考えや価値観を話す」と言葉では簡単に言えますが、実際に心の奥にあるものを言葉にするのは難しいものです。

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②パパとして内省した言葉を語る
「どんなパパになりたいですか」と質問したとき、
「頼られるパパになりたい」
「いろんな世界を見せてあげるパパになりたい」
など、多くのパパは、それぞれの思いと語ってくれます。

その一方で、「パパとして」と自分を限定したくない、と考える人もいます。もっと言えば「パパだから〇〇でなければならない」「父親たるもの、こうでなければ」などのイメージに囚われたくない。将来のことをパパだからという前提で考えたくない。そのような考えです。

パパとしての将来像を「語る人」と「語りたくない人」との対話から、その違いはどこから生まれてくるのだろうかと考えました。

ふと、対話したパパたちの顔を思い浮かべてみると、前者の子どもには乳幼児が多く、後者の子どもは小学生(主に10歳以上)の場合が多いと気づきました。

もちろん、明確に分けることはできません。ただ私の仮説としては「子どもの年齢(変化・成長)がパパの自意識に影響を与えていている」そして「パパとしての自分は不変なものではなく、時間とともに変化するもの」と考えました。

私の仮説では、パパの自意識(ありたいパパ像)は、大きく3つの段階があります。

1)0歳~:子どもに〇〇してあげる人
2)3歳~:子どもにとって、〇〇な人 
3)10歳~:子どもと向き合う自分は〇〇でありたい
*子どもの年齢はあくまで目安

1)0歳~:子どもに〇〇してあげる人
赤ちゃんは、自分でできることは限られています。発語がない時は、自分の欲求を言語で表現することもできません。パパ(ママ)は、わが子をお世話する時期であり、パパからわが子へ与えることがほとんどの時期です。そのため、この時期のパパは、親子の関係から、パパの自意識(ありたいパパ像)を「子どもの世話をする人」「子どもに何かしてあげる人」と考えやすいと思います。

2)3歳~:子どもにとって、〇〇な人 
子どもと会話ができるようになると、パパは、子どもの考えが少しずつわかってきます。次第には「パパ好き」「パパ嫌い」など、わが子からパパのことをどう思っているのか、告白されるようになります。わが子がその時々の感情で、発言していると頭ではわかっていても、子どもから自分(パパ)がどう映るのか、気になるものです。そのため、この時期のパパは「子どもから見てどんな人か」を考えやすいと思います。

3)10歳~:子どもと向き合う自分は〇〇でありたい
小学生になると、幼児期に比べて、親子で一緒にいる時間が短くなります。特に高学年になると、友達と過ごす時間が長くなり、子どもの人間関係において、家族以外の割合が増えていきます。パパとしては少し寂しいものの、親離れならぬ、子離れの準備が始まっていくのは、この頃からでしょう。そのため、子どものお世話をするパパから、子どもと対等に付き合っていくパパへ移行していき、「子どもと向き合う自分」について考え始めるのではないでしょうか。

子どもが何歳であれ、わが子がいなければ「パパとしての自分」は存在しません。だからこそ、あえて子どもとの関係を意識して、パパとしての自分を捉えることは、いつもと違った観点から内省ができるので、非常に意義があると思います。

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③パパとして1on1インタビューで問いに答える
文字通りインタビューは1対1なので、話し手は、問われたことに対し、何かしらの回答を求められる状況です。当然、不快になることを聞くつもりはありませんが、それでも互いが違和感を持つ問答になる場面があります。

例えば「なぜ幸せだと感じるのか」「なぜ嬉しいと感じたのか」といった質問です。私は話し手の感情をよりはっきりと認識できるように、といった意図で問いかけたのですが、問われた方にしてみれば「そう言われても困る」と感じる質問です。よくよく考えてみるとイマイチな質問ですね。

「好き」や「幸せ」について、説明できる理由は必要でしょうか。たしかに、これらの感情の背景には、過去の経験や自分の価値観があります。しかし、感情において、AだからBのように、わかりやすい因果関係は、まず成り立たちません。説明できることを前提として、直接的に理由を聞くのは愚問でした。

説明をしようとすると、話し手は聞き手の納得を考えます。いかに相手にわかってもらえるかを前提とすると、感じていることより考えていることを話すことになります。そして、聞き手も納得ができる根拠がほしくなってくる。そうすると、自分の本心にない無難な答えが思い浮かび、どこかで聞いた著名人の言葉を付け加えてしまうものです。

やはり私個人としては、パパの「説明」ではなく「感想」が聞きたい。感想とは、「心に感じたことや思ったこと」です。この点は、私自身の力量不足を感じる場面が多々あります。これから、もっとパパが感想を話しやすい(自ら話したくなる)時空間、関係性を作っていけたらと考えています。

サナフミは何かのコーチでもなれけば、コンサルタントでもありません。強いて言えば、「年に数回会う、気心知れた親戚の叔父さん」が理想。パパには、普段会わない人(サナフミ)だからこそ、気兼ねなく話してもらいたいです。

話し手のパパに説明を求めたやりとりを振り返って、本来聞きたかったのは客観的な理由ではなく、個人的な「どんな(とき)幸せなのか」「どんなところが好きなのか」の部分だと気づきました。

あくまでも、パパとして生じた感情を立脚点とする「本音を語る1on1インタビュー」を目指し、引き続き探究してまいります。

初対面の人に、パパとしての本音を語るために必要な要素とは何でしょうか。皆さんのお考えがあれば、ぜひコメントいただきたいです。

考察の考察:私はこの活動で何を学び、感じたのか

ここからは、上記で考察した内容をさらに考察してみます。考察している自分を部屋の天井近くから観察して、考察するようなイメージですね。

「理学(サイエンス)」と「工学(エンジニアリング)」

「理学(サイエンス)」
物事や自然における、原理(ことわり)を理解する
原理は「どうして〜が起こるのか」を探求する
工学(エンジニアリング)
原理を用いて、具体的事象に応用する
原理を「どう使っていけば良いのか」模索する

活動をしていく中で、パパにとって、内省することが本来のサイエンスであり、日常の子育てはエンジニアリングではないか、と考えるようになりました。

もちろん、原理を知るために、本を読んだり、著名人の話を聞くことも必要です。書籍には多くの人に共通する原理が書かれています。しかし、他人が見出した原理原則を「どのように自分に応用するのか」は書かれていません。自分のことは自分しかわからないので、本の内容(原理原則)を知っただけでは、実践(応用)できるようになりません。

「褒めるのがよい」と言われても、場面によって違うのはもちろん、親子の数だけ適切な行動があり、千差万別です。今日適切と感じた行動も、1ヶ月後には適切でないかもしれません。そもそも何を「適切」と考えるかは、自分の中で納得する原理原則がなければ、日常の場面では判断が難しいものです。

もちろん客観的で普遍的な「適切」はなく、どこまでいっても自分の納得でしかないものです。それでも、あえて現時点の自分はどう考えているのかを話すことが必要だと思います。

そうでなければ、気づいたら、自分は役に立つパパなのか、と自分を(原理に基づかない)エンジニアリングの視点だけで捉えるようになってしまいます。

1on1インタビュー活動をする中で、サナフミは、自身の父親から受けた教育を振り返り、父親をエンジニアリングの側面で評価していると気づきました。つまり、自分の人生に父親がどれだけ役に立ったのかという視点です。具体的に言えば「うちの親父は子育てに関わってくれなかった(何もしてくれなかった)」といった評価です。(実際は幼少期に関わってくれていたのにひどい話ですね)

「パパ」という言葉を「部長」のように、役割として捉えると「パパとして●●ができる(している)」という機能(役立つかどうか)に注目してしまいます。役割は果たすもの、役に立って当然といった考えですね。サナフミの例で言えば「父親が何をしてくれたか」の部分です。

日常においてパパとして「何ができるのか」「何をするのか」を考え、問題を解決していくことは必要です。しかし、人生という時間軸で考えたとき、パパとして「何ができるのか」という機能より「どんな存在であるか」という存在意義が問われるのではないでしょうか。

パパとして何かを問われる場面で、自身の存在意義に沿って行動できるパパでありたい、と私は考えます。だからこそ、ときおりサイエンスの観点で、自分の原理を見出していくことが必要だと思います。

ただ、冒頭で触れたサナフミの感じていた正体不明のモヤモヤは、エンジニアリングの視点なしに、サイエンスばかり考えていたところに原因があると思います。モヤモヤを感じていた頃は、「〜とは何か」など本質的な議論で、比喩を使いながら自分の考えを述べるのが得意と思っていました。しかし、実際は、その本質を借りてきた言葉で話しており、自分の経験からの言葉で語ることはできていませんでした。

現在のサナフミにとっては「パパとは何か」「パパとしての自意識はどのように形成され、変化していくのか」を考えることがサイエンスであり、1on1インタビューはエンジニアリングと言えるかもしれません。

エンジニアリングの側面が具体的になったからこそ、自分の中でより深くサイエンスしていくことができていると実感しています。何事にも当てはまると思いますが、一つのことに偏らず、バランスが大切ですね。

サナフミの変遷が気になった稀有な方はこちらもどうぞ。

まとめ:普段開けない引き出しを、一緒に開ける時間

一人の人間を一棹(さお)のタンスだと考えてみると、仕事での自分、趣味をする自分、友人と遊ぶ自分、家族と過ごす自分、学生時代の自分、といくつもの引き出しがあります。

多くのパパは、仕事(キャリア)の自分が「よく開ける引き出し」であり、パパとしての自分は、多くの人にとって「開けない引き出し」ではないでしょうか。

しつこいですが、「パパとしての行動」ではないですよ。

パパ1on1インタビュー.002


あるパパはインタビューの終わりにこう言いました。

「そこに引き出しがあるのはわかっているけど、開けないままになっていました」
「開けているつもりだったけど、中身を見ていませんでした」

引き出しは、目的を持って、開けることが前提です。
取り出したい(入れたい)ものがあるから、引き出しを開けるのです。

きっと、パパとしての自分の引き出しには、昔のアルバムや日記、大切な人からの手紙みたいに「すぐに役立たない、けれども捨てられない大切なもの」が入っています。ただ、何もしなければ、おそらく開ける目的は見つかりません。

普段開けない引き出しを、一緒に開けましょう。



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