見出し画像

8月31日の1週間前の夜に

8月31日の夜まで、あと一週間だね。子供の頃の僕はちょうど今頃、家出の準備をしていた。
まあ、それはいい。
今回、このテーマで多くの人が色々な事を書いていて、どれも良い文章ばかりだが、どうして多くの人が「書く」のだと思う?

それは満たせれない心を満たしたいからなんだ。

Instagramで「パーティピポーがイェーイ」みたいなんや「セレブでございま~す」なんて写真は見た事あるかい。彼らも満たされてない。本当に満足していたら写真を載せる必要なんかない。

Twitterで「ポジティブに前向きにイコーぜ」のような呟きだって、不安だから書くんだよ。ホントにそう思うなら、それを口にしたり、他人を巻き込む必要もない。

Noteでこうして書いているのも、メッセージを伝えたいという気持ちもウソではないんだけど、突き詰めると、書いて伝えることで自分を満たしたいからなんだ。

もともと「書く」という行為は、記録して知識を遺すために、生まれたのだと思うけど、いつの間にか、自分の中に欠けている何かを探して、それを補う方法に発展したんだね。

今時の10代の「恋」ってどうなんだろう。ラブレターなんて書くのかな。
僕はよく書いた。もちろん相手には渡さないよ。自分に自信があれば面と向かって告白してる。書いて心を満たして、そっと引き出しにしまうだけだ。

ラブレターだけじゃない。イジメっ子への呪いの手紙もよく書いた。それは書いてワーって叫んで、グチャグチャにして、ゴミ箱にポイだ。
ふとした時、自分が前に書いた呪いの手紙を読んで、恐ろしくなったから、書いたらすぐ捨てることにしたんだ。

だからさ。悩んだり苦しんだり、何か満たされない事があったら、いっぺん書いてみない。

あともう一つ。この世は文字で溢れてる。今回このテーマだけでも、多くの人が書いてるよね。それはこの世にはそれだけ満たされぬ思いが沢山あるってことでもある。

そう。だから、大人になっても、それは続くってことだ。死ぬまでね。一瞬は満足できても、それは海水を飲むようなもので、すぐに渇きがやってくる。

じゃあ死んだ方がマシだ。なんて結論急いじゃダメだよ。心配しなくても、ほっといたらいつか死ぬ。

「死ぬのが怖いから死にたい」なんてことを本気で言ってたヤツがいたんだけど、今頃何やってんだかね。いかんいかん。すぐ脱線してしまう。

満たされねまま生きるってのは、確かにキツいんだけど、満たされねのを満たそうとしながら生きるのは楽しいよ。
一瞬を満たすんだ。ほんの一瞬でいい。その一瞬を飴玉を口の中で転がして味わうように、頭の中で、何度も何度も味わってみるんだ。

まあ、味わい易くするために書いとくってのもアリだな。またそこ戻るんかい!

とにかくだ。人はいつか死ぬ、おそらく人類も滅亡するし、宇宙も蒸発するらしい。永遠なものは何もない。
ラブレターも呪いの手紙も、例えそれがアンデルセンのラブレターや、ルソーの被害妄想手記のように後世に残って、長きにわたる辱めを受けたとしても、この世とともに必ず跡形もなくなる。
だから、君が今、満たされていないのなら。

いっぺん書いてみないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?