人が渇望しているのは「今」以外を意識しないことではないか

経歴

初めに私の経歴を書こうと思います。これは自虐でも自慢でもなく,
人が他人の文章を読むファーストステップには何が必要だろうと考えた結果の自分なりの答えです。
どんな背景があって,どういう種の人生を歩んできたのか,あるいは話を聞くに値するかどうかを,人は潜在的に経歴から判断しているのではないでしょうか。プレゼンや本における冒頭の自己紹介の本質的な目的はここにあるように思います。

  • 神奈川県鎌倉市生まれ

  • その後小3くらいまで父親の仕事の都合でチェコ共和国に三年住む

  • 愛知県の公立中学校

  • 愛知県の私立進学系高校

  • 一年浪人

  • 同志社大学 電子工学科

  • 同志社大学大学院 電気電子工学専攻 ←2023年現在

(私は高校の頃から違和感を感じていますが),やはり大学名で判断する方は多いので,大学名だけ出しました。

「浪人」の文字だけで香ばしい香りがしてきませんか?この方は人生に迷っているんでしょうきっと

本題

みなさんは”過去”の黒歴史や直近の反省を頭の中で繰り返して,
「脳内反省会」を開いていることはないでしょうか。
私の中ではいつも開催されていました。
みなさんは”未来”の心配事や,相手の反応を予測して,
「未来予想学会」を開いていることはないでしょうか。
私の中では脳内反省会と入れ替わり立ち替わり開かれていました。

事の始まりは上記の,理由のない過去回想と未来視によって行動できず,研究が進まずに「マズイ…」と思ったことでした。
(お世話になっている研究室の先生に申し訳が立たない という心境
+進捗がないことに対する別研究室の教授の発言→トラウマ的記憶の影響もあった)

理由がないということに気づいたのは,過去・未来をつかさどる二つの会議が終わってからでしたが。


私は文章を書いている時, 「何を書いているんだ僕は…」という”冷め”が来るまでは書き続けられます。 ただ,noteに既にここまで書いているということにも現れていますが ”未来視”を終えた私は書く前に「黒歴史になりそう」だとか考えていないんですね。 もっと言えば,黒歴史などという概念が自分の中に存在しなくなったマインドにあると言えます。
(ただ,”冷め”という恥の感覚がある以上,まだ黒歴史の概念は存在しているといえるかもしれません。)


「マズイ…」と思った結果,youtubeの新R25チャンネルだったか,そういう類の動画が目に留まるようになって,その中では本の紹介をしていました。
その中の,初めはほんの一冊
買って読んだのです。
でもまだ読み切ってはいない。(私は積ん読の常習者です)
けれど自分の中で確実に意識の変容が起こり今このような行動力が生まれています。
積ん読の常習者であっても,”窮すれば変じ,変ずれば通ず”のですね。

(厳密には”この”行動力は,バンドの曲をyoutubeで聞いたことによるものです。
そのとき明文化できる二つの気づきがありました。

 ・「彼らは多分音楽で食べていけるかどうかなんて考える前に
   既に音楽をしている」という気づき

 ・「youtubeで曲を流せるようになった背景(路上ライブだとか)」
   に対する気づき

(ここでいう背景は,努力とほぼ同じ意味のつもりですが,なぜだか背景がしっくりきます)

この二つによって泣いてしまったことによる行動力になっています。
(自分で書いてて意味が分かりませんが,少なくとも言えるのは意識が変化する前はそもそもの気づきさえなかっただろうということです)


大それたタイトルの2ミリも書いていないですが,”冷め”よりも前にツカレタのでここで切ります。
まず読んだ本の紹介がしたいな。(2023/9/26)

(人は自分の行動予定を他人に伝えることで達成感を得てしまう,ある種の承認欲求の満足を得てしまうと考えているのでここは願望にとどめます。)


余談:音楽を聴いていて感じたのですが,やはり芸術は究極の自己表現なのでしょう。
0から歌詞を作り曲を作り,キャンバスに自由に絵を描いた結果個性が表れないことがあるだろうか,いや,ない。
個人的には全人類芸術活動をすれば世界が楽しくなりそうだなと思っています。僕は稚拙な文しか書けないですが,音楽や美術が得意な人を安易にうらやましがることはありません。
というのも,人には生まれ育った環境とともに並々ならぬ背景があるからです。僕には到底同じ背景を歩むことはできません。

時に,得てしてその道の偉大な人は謙虚ですがその理由は,背景が努力ではないから,ではないでしょうか。
新R25チャンネルで,呂布カルマさんが参加する回で印象的だった発言があって,大谷翔平さんや藤井壮太さんのことを
「坂を上がった人ではなく,下っていった人なんじゃないか」
と評しています。僕はこの人物像を,「自分の好きなことを損益度外視で行った人」と解釈しています。やっていることが好きなことだから,その行動には抵抗がなく,道は下りであるために上がっていかなきゃという焦燥がない。
凄い表現だと思います。
僕が努力という言葉を使うことに違和感を感じていたのは恐らくこのような,努力のようで努力でない行動があると感じていたからなのかもしれません。


本題:人生を変えた本 及び この投稿の目的


原題:[The power of now]がこの本のすべてを表していますが、
日本語題名もニーズに訴えかけていて良い
https://amzn.asia/d/axi3ClV

この投稿の目的はこの本を読んでもらうためにあります。もし、この時点であなたにその意思があるなら、
この投稿に唾吐いてアマゾンに行ってください。
しかし、みなさんは人に勧められた本を読んだ経験がいくつありますか。
私もほとんど読みません。
なので私の”すすめ”には意味がないかもしれませんが、
でも、人は結局知っていることしか知りませんので。

余談:人生を変える、あるいは思考を変えるのは結局
本当に窮した時に自分で探して見つけた本
ではないでしょうか、僕はそうでした。
その時にあなたの人生を変えるポテンシャルを持つ本がネットの海に沈んでいる、あるいは海に放り込まれてすらいない可能性はありますよね。
だから僕はみんなにそういった本を紹介してほしいなと思いますね、できればご自分の考え方を添えて。

漂うスピリチュアルのかほり

「オイオイオイ、スピリチュアルな話なんか信じてねーよ」
と口の悪い読者の方は思われるかもしれません。
いいですか、落ち着いてください。
この本の性質を表した極めて参考になるレビューがあります。

"おおお大いなる存在ィィ!??"

会ってお茶でも飲みたいくらいに理解力が高く、説明のうまい方です。
補足すると、「大いなる存在」というのはこの型の言う「プラクティカルな内容」、つまり実践的な、ある手法を著者が試した末にたどり着いた思想の産物です。端的に言えば、ある気づきを得て、神を信じるようになった。そんな心境でしょう。
僕もそうですが、読む際にスピリチュアルな部分は

”ふーん、スピリチュアルじゃん” 

って感じで読み進めると良いです。
実践的な部分はおそらく誰にとっても実践的ですが、スピリチュアルな精神性に至るかどうかはやっぱり人それぞれだと思うので。

次は本の内容についてどこまで語っていいか調べてからタイトルの内容に徐々に近づけていけたらなって感じ~(ギャル) (2023/9/28)

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