マガジンのカバー画像

日本の森、モリのニッポン紀行

807
「延喜式」に掲載されている式内社をタイヤの太いFATBIKEという自転車で訪ねています🚲 2020年1月より140文字で巡拝記を書き始めました。 ・2020年12月6日〜(no… もっと読む
運営しているクリエイター

2021年12月の記事一覧

往馬坐伊古麻都比古神社二座@大和國平群郡。

「往馬」も「伊古麻」も「イコマ」と読む。表記は違えど社名に二度繰り返すのは、「イコマ」と訴えなくてはいけない事情でもあるのかと勘ぐりたくなる。生駒山を背景に山を拝む祭壇のような神社。高台に上り拝殿で手を合わす。その奥に七棟並ぶ桧皮葺本殿。

写真は奈良県生駒市。

龍田比古龍田比女神社二座@大和國平群郡。

聖徳太子が法隆寺守護として龍田本宮から勧請した、という説もある斑鳩の古社。境内には大楠とソテツという社叢の二大巨頭。大阪と奈良を結ぶ社前の旧道からは目立ったことだろう。その道を渡ると「龍田氏子中」と刻まれた常夜灯。でも前に立つ電信柱が不粋。

写真は奈良県斑鳩町。

龍田坐天御柱國御柱神社二座@大和國平群郡。

七五三参りで晴着に身を包んだ子どもたちの姿。拝殿に参拝するも祝詞奏上の途中、柏手は小さめに。風神として有名だが、十一月初旬のこの日は境内を吹き抜ける風が心地よい。散策路で手帳に俳句を記すひと、画帳を出してスケッチするひと。銘々の龍田本宮。

写真は奈良県三郷町。

南方刀美神社二座@信濃國諏方郡。

下社を訪ねた秋、祭神の八坂刀賣命は秋宮にいらっしゃる。春宮から中山道をへて姫神おられる秋宮に向かう途中、青塚古墳へ。六世紀後半と推定される前方後円墳。後円部に露出した石室。墓場を覗く罪悪感とともに未知に接するワクワク感。くびれ部鎮座の小祠にも御柱。

写真は長野県下諏訪町。

南方刀美神社二座@信濃國諏方郡。

塩尻から岡谷に向かう国道、下り坂の半端なきウネウネ感。周辺との隔絶役を果たす衝立のような山地を下ると中心に湖がある盆地。風光明媚な一方で独特な風土も根づくわけだ。下社春宮の大鳥居をくぐる。生きたケヤキやスギが森を形成しても境内で注目を誘うのは御柱。

写真は長野県下諏訪町。

南方刀美神社二座@信濃國諏方郡。

名古屋西部を流れる庄内川東岸の地名「社宮神」。近くの七所社の境内社である石神社のことと知った。「おしゃくじさん」とも呼ばれるその神の源流は諏訪。出雲を追われた建御名方命が入諏する以前の土着の神。ちなみに愛知には諏訪神社より社宮神系の神々が多いとか。

写真は長野県諏訪市。

南方刀美神社二座@信濃國諏方郡。

諏訪大社四か所で四隅の「御柱」すべてを直接見られるのは上社の前宮だけ。表面がつるつるしたモミノキで、本殿に向かい右手前から時計回りに一、二、三、四。前宮奥は墳墓が鎮まる聖地というが、すぐ後ろはマレットゴルフ場。ベンチに座れば豊かな社叢と市街を一望。

写真は長野県茅野市。

阿智神社@信濃國伊那郡。

建物で目一杯埋め尽くそうという嫌な思想はない。ただ余裕ある空間に社殿が建つも、主は磐座が露出した小丘「河合陵」。阿智族の御祖をまつる墳墓。昼神温泉から中央道園原へ。奥宮は阿知川と黒川が出合う「河合」の高台に鎮座。木と川に囲まれ清浄な気が支配する伊那の聖地。

写真は長野県阿智村。

阿智神社@信濃國伊那郡。

道路端の気温計は二度。昼神温泉郷内、前宮周辺には温泉旅館が軒を連ねる。樹上で葉を茂らせた木々のため地表に日光は注がれない。温泉は近くとも境内は寒い。祭神は「阿智祝等の祖」、天八思兼命と天表春命。天孫族である阿智族は出雲系諏訪族と対立関係にあったと語る由緒。

写真は長野県阿智村。

大山田神社@信濃國伊那郡。

どっしりと苔むした根元から直立するスギは天を刺す。耳を澄まし聞こえるのは川の流れと手水にわくポンポンという水の音だけ。森閑とはこのことか。大己貴命が主神だが相殿の八幡と八郎明神の二柱をまつる社殿は室町期の重文。境内の一角に大根の絵が描かれた不思議な石塔。

写真は長野県下條村。

桙衝神社@甲斐國八代郡。

旧美和神社を示す標柱なき森の入口。石畳の参道をのぞき草で一面覆われた広前。旧社地から相当な古社を連想したが社殿は平成二十年改築。後方には神木のスギが直立し天をつく。石の神も健在。拝殿前方に注連縄を巻かれた立石。神社近くには石垣上の木製社に丸石集めた道祖神。

写真は山梨県笛吹市。

桙衝神社@甲斐國八代郡。

御坂峠を越えると甲府盆地まで長い下り坂。坂が落ち着いたころ交差点角に美和神社の標柱が立つ。由緒によれば景行天皇期に甲斐国造の塩足尼が大和の大神神社を勧請。後醍醐天皇期に桙衝神社を名乗ったことが論社の理由。歴史ある神社で甲斐国二宮なのに式内社でないという謎。

写真は山梨県笛吹市。

桙衝神社@甲斐國八代郡。

かつて本殿裏に聳えた樹齢八百年の大ケヤキは落雷で枯死。社殿、宝物、古文書類は幕末の火災で焼失。式内社なら長い年月で失われるものも多いだろうが、こう列挙されると切ない。しかし歴史に揉まれながらも神社がここに鎮座する現実。これはまことに「有り難い」ことと思う。

写真は山梨県笛吹市。

中尾神社@甲斐國八代郡。

「新羅三郎義光以来、武田氏の崇敬厚く...」と由緒は在りし日の神社を語る。訪ねた印象は村の産土。しかし境内に入るや巨樹の姿に驚く。ケヤキの神木で樹齢は相当なもの。後方から見る樹幹の中身は空洞でも、樹勢衰えず現役で枝葉を伸ばす。道祖神もあり。石と木の神に感激。

写真は山梨県笛吹市。