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私はあなたの所有物じゃない

今日は私が過去に遭った「性被害」について書きます。
嫌な出来事を思い出してしまうかも、という方は読まない方が良いかもしれません。

1. 私が過去に遭った性犯罪被害

22年間生きてきて、3回痴漢に遭いました。
全て、電車での出来事でした。

「電車で痴漢に遭った」と書くと、満員電車を思い浮かべる人も多いかもしれません。しかし、この中で満員電車だったのは、1回だけです。

初めて痴漢されたのは、高校1年生の時でした。
忘れもしない、合唱コンクール本番の日です。

満員電車で、降り際にお尻をつかまれました。3回。かなり力強く。
合唱コンで何があったか覚えていないけれど、あの被害に遭った、あの瞬間は、本当に、はっきりと覚えています。私を触ったリュックを背負った中年の男が、階段をさっさと登っていくのを見ました。私は、気持ち悪い、と思った後に、悔しい、と思いました。

とても楽しみにしていた学校の行事の日に。
これから本番に向けて頑張ろうと思っていたのに。
その思い出となる日を、勝手に最悪の日に変えられたんです。

この日を境に、私は満員電車に乗る際には、必ず犯人の手を捕まえられる範囲の位置に手を置いています。満員電車の時は、常に警戒しなくてはならないんです。

*
2回目は、大学の入学してまもない頃の帰り道でした。
これも、被害に遭った瞬間は鮮明に記憶に残っています。

私は、白シャツに花柄のスカートを履いていました。電車はかなり空いていて、車内で立っているのは私含めて数人。

その時、ズカズカと私の後ろを通った男がいました。
そして、すれ違いざまに私のお尻を掴んだんです。

この日を境に、私は電車に乗る日にミニスカートを履かなくなりました。

なぜ、私の自由を勝手に奪われないといけないのか。
悔しくて、腹が立って、仕方がありません。

*
最近の出来事。
立っている人がいないくらい空いている電車に座っていました。
お酒が入っていたこともあって、ついつい居眠り。

ジーパンを履いていたから、まさかと思っていました。
でも、隣に座っていた男子高校生が、駅に着いた瞬間、太ももを触って降りていったんです。

一瞬で酔いが覚めました。

触られた感覚は、翌日も残っていました。
ゴシゴシしても消えない。

ああ、なんて気持ち悪いんだろう、と思いました。

2. 私はあなたの所有物じゃない

ここまで、私が今までに遭ったことのある性犯罪被害について書いてみました。

私は、自分が痴漢に遭うなんて全く予想していませんでした。
ニュースで痴漢が取り上げられる度に、「私なら絶対に叫んで、捕まえてやる」と思っていたんです。家族にもそう話していました。

でも、一度も捕まえられなかった。

被害に遭う度に、次こそは捕まえる、と何度も脳内で捕まえるイメージをするんです。だけど、やっぱり当事者になった瞬間、頭が真っ白になってしまう。

そういうところに漬け込んでくるのでしょう、犯罪者は。

本当に、卑怯です。

私は、少なくとも3人の犯罪者を野放しにしてしまった。
痴漢をする人は繰り返すと言います。だから、きっと私以外の誰かを、辛くて怖くて悔しい思いをさせてしまうことになってしまったかもしれません。

それがまた、悔しくて、悔しくて、たまらない。

3. なぜ、このテーマについて書こうと思ったのか

私は、家族に痴漢に遭ったことがあるという話をしたことがありません。

家族から見えている自分は「なんでも思ったことは主張できる女の子」だから言いづらいし、同情されるのも辛いし、心配されるのも辛いからです。なんとなく、「痴漢をされた娘」とみられたくないという気持ちがあるのかもしれません。

そんな私がnoteという公の場で書こうと思ったのは、3回目の被害にあった後、こんなことが頭を過ったからです。

「太ももを触られたくらいで、痴漢だなんて言えないでしょ」
「それくらい、いいじゃない」
「騒いで電車が遅延する方が困る」
「今時、誰だって痴漢に遭うでしょ」
「こんなブス、誰が痴漢するか」
「自意識過剰」
「冤罪」
「もっとひどい被害にあった人もいるんだから」

痴漢を摘発した際に、周りからそんなことを言われるんじゃないか、という恐怖が込み上げてきたからです。
そう思ったのは、今までtwitterなどネットでそういう言葉を見てきたからだと思います。

「こんなクソみたいな社会、おかしい」

「なんで被害者が責められるんだろう」

こんな怒りが湧き起こりました。

*

先日、こんなツイートを見かけました。

松本さんという大学生の方なのですが、この方のツイートを見ていて、「私は、間違っていると思ったことに声をあげることを、どこか躊躇していたな」と気付かされたのです。

私は、心のどこかで諦めていたんだと思います。

でも、私が諦めることで、私以外の誰かがまた傷つく。
傷つく人がこれから先も、増えてゆくかもしれない。
自分は間違っていないのに、なぜ不自由や我慢を強いられないといけないのか。

なぜ、見知らぬ誰かに、勝手に、私の尊厳を奪われなきゃいけないのか。

改めて、声をあげる勇気を持とうと思ったのです。
それで、noteに綴ってみました。

問題を曖昧にしない。有耶無耶にしない。放っておかない。
諦めない。

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