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学生時代の経験は死生観に大きく影響する。

時折、いつか死ぬのに生きるなんて面白いな、なんて考える。まあ今日食べたエビも、食べられるために産まれてきたわけじゃあなかろう。私だって死ぬために産まれてきたわけではないんだろうな。

でも、人はいつか死ぬ。いつか死ぬことが救いになっている人間もいる。

私は何かに失敗したらその場で人生を終わらせようと思って生きている。恥ずかしかったり取り返しがつかなかったり。実際そんな死ぬ覚悟なんか出来ちゃいないんだろうけど、でも、最悪死ぬしな……と思いながら生きると案外上手くいくことの方が多い。
そのため、私はよく行動力のある人間だと言われる。思い切りのある人間だと。良い評価なんだろうけど、少し面白い。

高校1年生の夏休み、友達が死んだ。人生に漠然とした不安を抱えたことが理由だった。中学生の頃から不登校気味で、なんとなくずっと気にかけていた。私が目を離した隙に、居なくなった。
私はずっと考えている。高校に上がっても連絡を取っていれば彼女が居なくなることはなかったのではないか。勝手な罪悪感で押し潰されそうになる夜も多々あった。でも、そんなのは杞憂だ。私一人なんかが行動を起こしていたってなんら変わらない。彼女は彼女の意思で決めたのだから。
しかし、抜け出せないのだ。高校1年生の時からずっとそんな考えに囚われている。そんなことないよ、と言ってもらいたいがためのエゴ。そう考えるとなんて独りよがり。人間なんてそんなものだ。

彼女が死んだ時、泣かなかった。現実味が無さすぎて泣けなかったのだ。部活があったので葬式にも行かなかった。行かなかったからまだ受け入れられていないのかもしれない。まだ彼女と行ったUSJも、駄菓子屋も、久しぶりに会った中学の卒業式も覚えている。まだそこに行けば会える気がしてしまう。でも、私は20歳になったし彼女は15歳のまま。不思議な話だ。

でも、忘れたくない。たとえエゴだとしても独りよがりだとしても私に憧れてくれた彼女を私は。

人はいつか死ぬ。いつか死ぬ事が救いになっている人間もいる。立ち行かなくなった時は死に助けてもらうことがあるかもしれない。でも私は、「死にたい」とだけは言わない。彼女のあの気持ちに届かないから。

いつか死ぬのに生きるなんて面白いな、なんて考える。死ぬのは怖くない。けれど。
私はまだ、精一杯生きるよ。

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