人間を殺すテクノロジー

フィリップ・K・ディックは著作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の中で、人間と人造人間の違いはどこにあるのか、という問いを人類に投げかけた。我々はディックの問いに答えることができるだろうか?

テクノロジーはそもそもなんのために生まれたのか。結論から言えば、「人間の代わりを作る」ためである。これはつまり、人間がやっていることを、テクノロジーの力で無人化する方向に社会は進化していくということを意味する。それは、人間の意思に関係なく。

AIによって仕事が奪われる、というのは聞き飽きるほどなじみのある話だが本当にそうなるのだろうか?あくまでも経済学的な観点から考えると必ずしも正しいとは言えないようだ。

「イカロスの翼」という寓話をご存知だろうか。ギリシャ神話に登場する人間、イカロスは蝋で固めた翼を手にし、大空を自由に飛翔する力を得る。高く、もっと高くと飛ぶうちに太陽に近づきすぎ、蝋で固めた翼は溶けてイカロスは墜落し、死を迎えてしまう。

このイカロスの神話は、欲深い人間の傲慢さと、人間の欲望によって際限なく進化する科学技術の危険について喩えた物語として有名である。

昨日22日、国連安保理から衝撃的な発表があった。それは殺人AI兵器が、実戦で使用されたというものだった。(実際に死傷者など被害が出たかどうかは不明)使われたのは昨年春、リビアの内戦であるとのことだ。自律型致死兵器システム」と呼ばれる殺人ロボット兵器の実戦投入が確認されたのは世界初とみられる。

人間はテクノロジーの反逆を防ぐために、倫理という武器以外を持ち合わせない。しかし倫理は、時代と場所によって変化する曖昧なものである。ある国で正しいとされることが、ある国では間違っているということもよくあり得る。そんな曖昧なもので我々人間は秩序を保てるのだろうか。

倫理や哲学は、不安定でありながら法ですら変えてしまう力を持つ。我々人間は命を守るために、「何が正しいのか」を無限に思考する必要がある。

それがたとえ、存在しないと分かっているとしても。

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