はりぼては フ.フ.フ. と微笑み。
「空ろな肖像」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017
ぼろぼろと表皮が剝がれていく張りぼての肖像。うすく微笑んでいる空ろ(うつろ)な張りぼては云わば中身のない外づら。世間に向けた外貌に他なりません。肖像とはもうひとりの自分であり、もしかすると良心はそこにあるのかも知れないとも想うのです。
オスカー・ワイルドの作品に「ドリアン・グレイの肖像」(福田恒存 訳)という小説があります。奔放な官能主義の美貌の青年ドリアン・グレイが 悪事を重ねるごとに友人の画家によって描かれた彼の肖像画はしわが増え 醜く変貌し老い朽ちていくのですが、不思議と彼自身は時を経ても一向に 老いる風が無く若々しく美しいままなのです。結局はその画家までをも殺し悪徳の果てに切羽詰まって醜く化した肖像画を破壊するのですがそこに駆けつけた人々が目にしたのは若さと美しさを誇るドリアンの肖像画とその傍ら で心臓にナイフを突きたて息絶えている醜悪な老人の死骸だったのです。 これを読んだ当時まだとても若かったボクがうかつにも(!?)心酔してしまったのはドリアンの存在やこのストーリーにではなく、主要登場人物の ひとりでドリアンに魅せられながら示唆を与えるヘンリー・ウォットン卿の 語る極めて刺激的な逆説の数々に対してであったのです。 これはその頃の ボクに取って鮮烈な誘惑的言葉だったのです。 (例・思想の価値は、それを表現する人物の誠実さとはなんのつながりもない、むしろ、人物が誠実さを欠けば欠くほど、思想の知性度は純粋となる。 など )
ワイルドは「デカダン派(頽廃)」「世紀末芸術」「唯美(耽美)主義」「悪徳」「享楽者・放蕩者」そして文学史のみならず近代社会の表舞台に 大っぴらに登場した最初の真正ホモセクシュアル作家。といった今からすれば古めかしいイメージが多々つきまといますが、そんなものとは無関係に この作品はボクの内に忘れ難い印象として今も残るのです。 またこの作品にはワイルド自身によるニ頁半の序文が添えられているのですが、これは「芸術家とは、美なるものの創造者である。」という言葉で始まり「すべて芸術は全く無用である。」で結ばれています。
ちなみにワイルドには童話として書かれた「幸福な王子」というよく知られた作品がありますが、まったく異なるこのふたつの作品の深淵には何か共通するものを感じ得ないではいられないのです。
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