神田正信 Masanobu KANDA

自身の遥かな記憶に幻想が混在した物語をモチーフとし絵にしています。ご高覧いただけました…

神田正信 Masanobu KANDA

自身の遥かな記憶に幻想が混在した物語をモチーフとし絵にしています。ご高覧いただけましたなら幸いです。

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個展

 青森市での拙作展 「記憶の憧憬」の様子をざっと紹介させていただきます。 ■ 会期 / 2022 , 8 .11 ~ 20 於 / Caf'e & Gallery ペーパームーン    ■ 以下、会場風景と作品の一部をご紹介させていただきます。     この一年 余り note に投稿されたものが主になっています。    ( 作品サイズ表記・額装含まず )  改めて「個展」という場を考えます。 個展とは、ここまでやってきたことを公開す

    • さざめく夜には

        アメリカの詩人リチャード・ウイルバー(1921 ~ 2017)の詩に 「ヒキガエルの死 」というのがあります。 ( アメリカ現代詩101人集 /思想社1999 / P170 沢崎順之助 訳 )  ( 作中より引用をまじえながら紹介をさせていただきます ) それはヒキガエルが電動芝刈り機に足をとられ、ちぎられ、ひょこひょこと跳ねて庭の隅のシネラリアのほの暗い葉かげで静かに死に向かっていく様子をえがいたものなのですが、ボクはこの詩を読んだ時に何とも言いようのない新鮮なショッ

      • 哲学者は夢想するよろこびを知る?

                      「哲学者」        25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017  詩的哲学者といわれるガストン・バシュラールの著作「空間の詩学」 (岩村行雄 訳 ちくま学芸文庫)を拾い読みしてみました。   人間をとりまくきわめて身近なさまざまな空間(特に小空間 ) ~ 家、部屋、抽出、箱、戸棚、巣、貝殻、片隅 、などなどを”哲学” して いるのです。 それらは単に形状の分析ではなくそこに存在する宇宙に想いを巡らせ・・・

        • 番外編 ・ 「玻璃」という書物を知って いますか?

          ※ この画像( 表紙・装丁 )のキャプションは本頁末尾に記載いたします。 ■ 番外編として " 美しいと想う書物 ” をご紹介したいとおもいます。                  かつて關川左木夫というひとが刊行した「玻璃」という書物がありました。上の写真のそれは90歳で逝去した關川氏を追悼して翌 ’98年に刊行された 追悼号であり同時に終刊号なのだそうです。                          ボクはこれを然る友人から贈られたのですが添えられていたメ

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        • 記憶の憧憬 Gallery Paper moon 2022
          1本
        • 顔 - FACE - 青木画廊Luft 2017
          15本
        • 番外編 ・ 「玻璃」という書物を知っていますか?
          1本

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          夜会服には仮面のまなざし。

                       「傷ついた仮面」 24 × 17.5 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 仮面にはなぜだかパックリと傷のような裂けめが。                               外貌であるはずの仮面を外したなら果たしてそこに本当の素顔があるのでしょうか? 自分の内面にもうひとりの別な自分が潜んでいるような。              個性化されているのはむしろ仮面の方なのかも知れない

          夜会服には仮面のまなざし。

          はりぼては フ.フ.フ. と微笑み。

                      「空ろな肖像」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 ぼろぼろと表皮が剝がれていく張りぼての肖像。うすく微笑んでいる空ろ(うつろ)な張りぼては云わば中身のない外づら。世間に向けた外貌に他なりません。肖像とはもうひとりの自分であり、もしかすると良心はそこにあるのかも知れな

          はりぼては フ.フ.フ. と微笑み。

          やわらかな夜に蓮の花が咲いた。

                      「花はどこへいった」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 メリメリと内側から顔を破り裂き出現したこの蓮のようにみえる花は果たして脳髄から湧き出でそれを養分とし花開いたのでしょうか。                 (蓮は泥の中から出て美しい花を咲かせるところから汚れなき花とされ特に仏教ではその象徴的な存在のようです。) 15年前になりますが上野の国立博物館で観た仏像展。多く

          やわらかな夜に蓮の花が咲いた。

          ひとすじの涙が。

                         「解放」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017       ( noteホームのヘッダーに使用している作品です )      「顔」は人間を最も象徴する存在確認の「装置」ではないでしょうか。              親子4人が一つの部屋で寝ていた幼少期。わが家の長押(なげし)にはなぜか能面が飾られていました。否、今にして考えればあれはきっとレプリカだったのだ

          ひとすじの涙が。

          仄暗い部屋にピストルはまだ鳴らない。

                         「静寂」 23 × 16.5 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2021 夜は五感をたたみこみ。探偵小説は読み終えました。もう誰も来ることはないのです。「ねえ君、牛乳のむ?」 ピストルが鳴るまでの沈んだながぁい静寂のひまに。 稲垣足穂の「一千一秒物語」を読んだ時、おもわず「なんだこりゃ!」とひとり呻いたのでした。  ショートショートよりも短いと想われる超短編(掌編?)が70編(改訂版)収録

          仄暗い部屋にピストルはまだ鳴らない。

          呼びかけるほどにそれは遠ざかる。

                      「角をもつ詩人」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 詩人はパラレルワールドを彷徨します。夢に導かれたもうひとつの世界の意識の旅。呼びかけても呼びかけてもそれは遠ざかっていくばかり・・・ 日本のモノノケである鬼の角は牛だと言います。鬼そのものが牛をモチーフとしているの

          呼びかけるほどにそれは遠ざかる。

          夜はじっと動かない。

                     「ふたつとない幸福」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 その闇はやわらかいけれど香りを放たない。音楽も聞こえない。じっと動かずただ沈黙しているだけなのです。 夜の暗さは想像力を刺激します。子供の頃、暗闇はちょっと怖かったけれども不思議を感じる空間でもありました。陰影はま

          夜はじっと動かない。

          ぽっかり浮かぶ雲のように漂いたい。何も言わない。何も考えない。

                        「私的回想」 24 × 17.5 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2016 雲が好きです。自然という神が水蒸気で造るあの自由気ままなカタチ。  記憶と空想の境界に漂うあの素晴らしい雲。 好きな詩の一編にアルチュール・ランボオ「サンサシオン」があります。 フランス語で「感覚」「感触」などという意味だそうです。           金子光晴の訳詩がたっぷり

          ぽっかり浮かぶ雲のように漂いたい。何も言わない。何も考えない。

          夜の調べが聞こえる。もはやスープは冷めたろう。

            「真夜中の目撃者」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 晴れた夜には夢をみる。夢は自分だけの覗き窓。夜はしっとりと暗く心地よい。夢はいつも未解決の僕自身の中への旅立ち。 画中の人物(?)は自分自身のブイヨンスープを飲むのだろうか。    冷めたスープのそれは一体どんな味がするのかな・・・。

          夜の調べが聞こえる。もはやスープは冷めたろう。

          傀儡の夢。化石のような夜に。

          「着脱式」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 (本作品はアイコ ンに使用している作品と同じ構図で描いた別ものです) 「ドウエル教授の首」という小説をご存知でしょうか? アレクサン

          傀儡の夢。化石のような夜に。

          鳥はさえずり嘆きの歌をうたうだろう。

          「軽い胸さわぎ」 25 × 21 ㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板 2017 夜が明けたら鳥は大空へ向かうことでしょう。しかし鳥は空に支配され彷徨するのかも知れません。籠の中で羽ばたく鳥は何を意味するのでしょうか。 人類が存続し続ける限りその歴史に刻まれるであろうコロナウイルス・パンデミック禍は一向に収まる気配が見当たらな

          鳥はさえずり嘆きの歌をうたうだろう。

          耳は美しい。耳はまた不気味でもある。

                  「採耳記」 25 × 21㎝ 油絵具 / テンペラ乳剤混成 板2017 人の耳はその顔の中に配置された部位として目、鼻、口などと比べると圧倒的に奇怪な造形を成していると想うのです。その形も人により実に多彩で不思議を感じます。 奇怪 ≒ 不気味 ≒ 美 ⁉ 自身のそれに於いては鏡を使ってもその全貌を見極めることはなかなか難しいものです。  ところで、その耳は果たして顔の一

          耳は美しい。耳はまた不気味でもある。