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乃木坂46、櫻坂46、日向坂46のそれぞれの歌詞の特徴を考察してみる。

乃木坂46の歌詞は1を広げる。
櫻坂46の歌詞は1を掘る。
日向坂46の歌詞は1を伝える。

よりイメージを掴んでもらいやすいように90年代バンドがより幅広い世代に伝わる共通言語だと信じてそれぞれ乃木坂46を「スピッツ」、櫻坂46を「Mr.Children」、日向坂46を「ウルフルズ」で例えてみた。

乃木坂46の歌詞は叙情的である。

スピッツ的な歌詞であると思う。
叙情的とは「感情や気持ちなどが、じんわりと外に現れるような雰囲気や文章」である。
分かりやすく言うと、事実の拡大解釈だ。
代表曲である「君の名は希望」をみてみる。
「僕」は透明人間と言われていて誰からも相手にされない。
そんな中、転がって来たボールを僕が拾うまで見ていた「君」に自分の存在意義を見出す。
客観的事実としては「君」は転がってきたボールを「僕」が拾うまで見ていただけだ。
それ以上のことは何も描かれていない。
それなのに、「僕」は世界の見え方を180度変える。
乃木坂46の歌詞はまるで小説かのような歌詞が多いと思う。
そしてそう感じる曲にはちゃんと乃木坂46らしさがあるのが凄いと思う。

櫻坂46の歌詞は内省的である。

ミスチル的な歌詞であると思う。
内省的とは「自分自身の内面を見る様子」のことだ。
欅坂46時代は特に「エキセントリック」の歌詞のように1を通り越して0を掘り続ける楽曲もあるが、その核が櫻坂46になっても受け継がれている。
自分自身の内面にひたすらに思いを馳せる。
「君」という存在が本質的にはいらない。
最新曲の「何歳の頃に戻りたいのか?」の歌詞をみても分かるように「僕」一人の物語のものが多いし、ちゃんとそのような楽曲が櫻坂46らしさに繋がっていると思う。

日向坂46の歌詞は直感的である。

ウルフルズ的な歌詞であると思う。
直感的とは「推理や説明にたよらずに、物事の本質を直接的に感じとるさま」である。
一番キャッチーでシンプルにストレートに心に響く。
そんな応援歌が日向坂46らしさだと思う。
また恋愛ソングでも、思いを何かに例えたりせずにそのまま伝えている楽曲が多い。
日向坂46らしいイメージがあるデビュー曲である「キュン」や「青春の馬」ように「好きだ」「頑張れ」をハッピーオーラ全開で愚直に真摯に真っ直ぐ伝える様がとても感動するし、それが多くの人に刺さる理由だと思う。


このように乃木坂46の歌詞は叙情的で、櫻坂46の歌詞は内省的で、日向坂46の歌詞は直感的である。
もちろん、全ての楽曲が当てはまるわけではないし、いいとか悪いとかもない。
それぞれの好きづきに依存する。
そこにそれぞれにしかない魅力がしっかりとあり、坂道の姉妹グループとしてそのグループの持つメッセージ性がちゃんと棲み分けされていると思う。

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